池袋演芸場18 その1(痛い前座と痛い客)

《昼席》
手紙無筆 ふくびき
釜泥 くま八
マグナム小林
一目あがり 小痴楽
ふぐ鍋 芝楽
おせつときょうた
やかん 笑遊
英会話 寿輔
(仲入り)
うめ吉
肥瓶 夢丸
そば処ベートーベン 鯉昇
ボンボンブラザース
徂徠豆腐 蝠丸
《夜席》仲入りまで
道具屋 前座(伏せます)
寛永宮本武蔵伝 紅純
小泉ポロン
無精床 鯉橋
動物園 愛橋
宮田陽・昇
替り目 遊雀
漫談 桃太郎

 

仕事の安定しないライターの私。
ずっと継続的になにかしら続いていたのだけど、13日の金曜日は、朝のうちに全部片付いてしまった。
いったん失業してしまったので池袋へ。
といっても、「でもしか落語」ではない。どこかで1日、必ず行きたいなと思っていた芝居である。
落語を聴いてくつろいでいる最中に、まとまった仕事も決まりました。

池袋、昼席のトリは柳家蝠丸師。
毎年この12月中席・昼の主任を務めている師匠。この芝居に来たいと毎年思っていて、3年越しである。
この次の下席、落語協会の新作まつりに毎年来ているためもある。今年は早くから、中席のほうに照準を合わせていた。
蝠丸師、最近まで知らなかったのだが夏の怪談噺で舞台から落ちて骨折していたそうで。
上野広小路亭の「しのばず寄席」にも顔付けされていないなあと思っていたのだが、ずっと寄席を休んでいたのだ。
この芝居から復帰しているのだそうだ。

芸協の寄席に来るのは久々。昨年夏の国立、神田蘭先生の真打昇進披露以来。
その前は、一昨年のこどもの日の池袋。
寄席というと私はついつい落語協会、次に円楽党になってしまう。
それでも、芸協の噺家さん自体が久々だというわけではない。
今年も、遊馬師の勉強会や、今輔師の独演会などを聴いている。そもそも芸協らくごまつりに行った。
芸協の二ツ目さんになると、もうしょっちゅう聴いている。
芸協嫌いでは絶対にないのだが、寄席の定席にだけ来ないのである。
この芝居は、蝠丸師以外にも、結構頑張った番組である。いつもこれだけ充実しているなら、もっと芸協に通う気になる。

池袋駅西口から見た演芸場のビル、いつの間にかエメラルドグリーンに変わっている。ついこの間まで黄緑色だったけどな。
地下の演芸場は店子ではなく、ビルの大家である。

昼席を全部と、夜席を仲入り前(桃太郎師)まで聴くことにする。
夜席トリ(講談の神田陽子先生)まで聴いてもいいのだけど、夕飯作らないといけないのだ。
普段、安い(短い)席を探している私だが、やはりもっともコストパフォーマンスが高いのは、流し込みの寄席定席。
割引券は探したけどなかった。東京かわら版割引はない。
定価の2,500円。消費税が10%になっても上げていない。

おかげでずいぶん楽しんだけども、池袋には珍しく、クソみたいな客がいた。
夫婦で来ていて、右手の奥に座っていた。
バカ旦那が、知っていることを全部バラさずにいられないというヘキの持ち主。連れ合いだけじゃなくて客全員に。
たとえばマグナム小林先生のバイオリン漫談で、「こだま通過」のあと、「(ひかりものぞみも)全部一緒なんだ」といちいち声を出す。
演者とコミュニケーションを図りたいようなのだが、観劇マナーがどうこういう以前に、人としてぶっ壊れている。
池袋は、落語のわかっているいい客の多い寄席。だが、いい客は落語協会の席にしか行かないのだろうか?
山遊亭くま八さんなど、マクラのオチをバラされ、ぶち壊しの一席だった。

キチガイ客ついでに、この日のもっともダメな高座から先に片付けておこう。
夜席の前座。名前は伏せる。
夜もその後どんどん入ってきたものの、スタート時は20人程度の薄い客席。
演目は道具屋。
最初から、思いっきりネジの外れた与太郎をぶつけてくる。嫌な予感しかしない。
そんなの、オチケンのやる落語だろうよ。
最初はちょっとだけ面白かったが、しょせんはオチケン落語。基本ができてないからじきに飽きる。
客が飽きても、一生懸命ネジの外れた与太郎を演じ続ける前座。
楽屋の立前座もうんざりしたのであろう。お雛さまの首がスポンと外れたところでこれをサゲと解釈し、どんどんと鳴り物を入れる。
そこで下りればいいのに、合図を無視してまだ先を続けるアホ前座。
お雛さまの首を飛ばしておいて胴体でキャッチするギャグ(意味不明)がどうしてもやりたかったらしい。
まだまだ続け、やっとこさ下りて、「すいませんでした」と立前座に謝る声が客席まで聴こえた。

きちんとした噺家になるため、「なにをしてはいけないか」、その悪い見本のような人。
前座が新作やっちゃいけないのと同じ、掟破りの独自演出。
困ったことに、思いっきりバカの与太郎、ちょっとだけは面白いのである。客席が困惑して静まり返る前座がたまにいるが、そういうものとは違う。
だが、そのちょっとのウケが当人の首を絞めることになる。
「フラがある」とか、まるで勘違いした評価をする素人も中にはいそう。だがそんなのでウケても、落語の本質には迫れない。
即物的な面白さを欲しがる前座、絶対にものにならないだろうな。
当人が気づく日は一生来ないかもしれない。師匠がガツンと言わない以外、道はないだろう。
困ったことに、この一門にちょっと似た雰囲気の先輩がいるのである。
その、楽屋では好かれているらしい先輩がダメ前座だったかどうかは知らない(たぶんダメだったと思う)が、この日のダメ前座はそれに影響を受けてしまっているらしい。
超売れっ子も育っている一門なのだが、ダメな前座にとっては間違った方法論しか学べない環境なのかもしれない。
まあでも、まるっきり間違った前座をたまに見ておくのも、落語ファンとしては悪いことじゃないと思う。
落語の保守的なしきたりにも意外と意味があることを、ときとして客も学べる。

嫌なことは先に全部吐き出した。この後しばらく楽しい池袋の模様を続けます

作成者: でっち定吉

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