黒門亭3(柳亭小燕枝「あくび指南」)

早朝寄席がはねたあと、慌ただしく仕事してから黒門亭にハシゴ。
黒門亭へは、柳家小ゑん師を聴きに続けて三度出向いたところである。
小ゑん師の出ない黒門亭には久しぶり。実力派の志ん弥師ネタ出しに、ご無沙汰だが好きな小燕枝師、話のネタに木久蔵師という面白いメンバー。
空席が残り、7割くらいの入りの第2部であった。

小駒  / 鮑のし
一蔵  / 鷺とり
小燕枝 / あくび指南
(仲入り)
木久蔵 / やかんなめ
志ん弥 / 質屋蔵(ネタ出し)

柳亭小燕枝「あくび指南」

今日はもう、圧倒的に柳亭小燕枝師匠がよかったです。72歳のベテラン師匠。
稽古のマクラの一環として、師・先代小さんの稽古の話がよかった。
覚えた「寝床」を小さんに聴いてもらったところ、最初はちゃんと座ってメモを走らせていたが、そのうち横になって、いびきをかきだした。
途中で止められない小燕枝師、終わって師匠を起こしたところ、師匠は一言「面白くねえな」。
小三治師が、小さんに「おめえの噺は面白くねえな」と言われ、その後考え抜いて出世したというエピソードはあまりにも有名なのだが、実際には、多くの弟子に対してそう言っていたのである。
五代目小さんという落語界の偉人を、「小三治の師匠」「談志の師匠」として狭く狭く語るのはいかがなものかと思う。数多い他の弟子たちの語る小さんの姿は、とても楽しい。

他にも、「始まりとしまいだけ合う」ブーメラン音痴の小里ん師が新内を習った話や、歌右衛門に笛のご指名を受けた一朝師のこと、つば女・南喬師らと自転車部「落車会」を作って活動した話など、さまざまな噺家さんの稽古にまつわるエピソードが聴け、マクラだけでも大変楽しかった。
でも、「一般人の知らない楽屋ネタを披露する」という雰囲気ではないのだ。故人を含めた人たちとかかわった昔話を、小燕枝師は本当に楽しそうに語る。
そして、「稽古」のありきたりのマクラはひとつも振らない。たまたまなのかもしれないけど、ひと世代前の噺家さんには珍しい入り方だ。

「あくび指南」という噺、現代ではそれほど人気があるようには思えない。
現代人も「稽古」というものにはなじんでいるし、その中でしばしば「なんじゃそりゃ」という理不尽なツボがあるのも確かである。そういう部分が現代人に響くはずなのだけど、面白く聴かせてくれる師匠はそうは多くない。
今をときめく一之輔師が得意ネタにしているが、あの師匠の場合、噺を作る腕がすばらしいので、ネタの選択として、普通にやってウケない素材のほうがむしろいいみたいである。私も「デーン」というフレーズの入る一之輔師の「あくび指南」は大好きだが、この噺自体が面白いとは正直思っていない(ちなみに、うちの小学生の息子も「デーン」が好き)。
だが、今日の「あくび指南」は本当に面白いな、と思った。アレンジの面白さではなくて、素材自体の面白さが際立っている。
塩・コショウだけでいただいたら肉がおいしかったというときには「いい肉だった」と思うだろう。一之輔師については、安い肉に対するソースと調理法に感心するわけだけど。
とはいえ、塩・コショウだけでおいしく味わわせるのもまた、実際には調理人の腕である。

「あくび指南」のマクラとして、「炬燵の下で男同士で手を握っていた」を振るのは普通だ。だが本編とのつながりがどうも不自然だと思う。「女の師匠に教わりたい」というところから噺に入るので、師匠夫人をわざわざ「看板」に出す必要がある。
だけど、看板に出てきた夫人は消えてしまう。マクラのために出てきただけのような感じに映る。
寅さんでも使われていたこの楽しいマクラは、ブログでも取り上げたが本来「汲みたて」のものだろう。他の噺でも、「稽古屋」「猫の忠信」にならスムーズにつながるだろうけど、東京ではいずれもあまりやらない噺。
小燕枝師の場合、古典落語の付属マクラを振らなかった。だから看板夫人をあえて出す必要はない。
「あくびの稽古」がテーマなので、最初から男の師匠であっても全然構わない。噺の流れが実にスムーズである。

「あくび指南」は、少々起伏に乏しいところがあり、下手すると聴いてるほうもあくびが出る。
だが小燕枝師の噺、バカなことをやってる師弟の姿が実に楽しい。この、しょうもない人たちの世界に参加したい気分にさせられる。
そして、しょうもない世界の噺なのだけど、そのあくびの稽古の内容自体、意外なくらい粋だ。煙管の形にこだわるあたりが落語にも通じる。
やはり、踊りやら常磐津やら、いろんなことをやっているのが、噺家さんのかたちとして出てくるのだろう。
塩・コショウのみで味わう料理の「素材」を、「噺」と捉えるのではなく、「噺家」と捉えることもできる。噺家がウマいから、おいしく味わえるわけである。

もうどうにもたまらない。
こんな高座に出逢ってしまったので、また小燕枝師が聴きたくて仕方なくなった。
小燕枝師の語りは、高座と座敷との垣根を溶かして一体化してしまう。黒門亭の場は最高である。
もし予算が許せば、自宅にお招きして目の前で一席お願いしたいくらいだ。

***

冒頭に戻ります。
前座は金原亭小駒さん。ついこないだまで名乗っていた人がいた名前である。その、現在の龍馬師が思い浮かぶ。
「鮑のし」は前座で聴くことはあまりない気がする。やっていいんだな。
普通に上手い落語。
次に上がった一蔵さんから「志ん生の曾孫だ」と聴いてびっくり。
そんな人がいるとは知りませんでした。先代馬生の孫とのこと。
もちろん、血で落語ができるわけではないけれど、上手かったので楽しみですね。

春風亭一蔵「鷺とり」

「黒門亭」第二部のトップバッターは、迫力ある面構えの春風亭一蔵さん。
兄弟子一之輔が主任の、鈴本の出番を終えてこちらに来たとのこと。あちらはすでに満員札止めだそうで。
なかなかぶっ飛んだ感じの「鷺とり」。噺も上方由来だが、大げさな所作も、上方の影響を受けているのだろうか。
鷺が喋る場面は、前歯を出す。これも上方っぽいギャグ。
鷺に連れられ空を飛んだ男が茨城県牛久まで連れていかれ、牛久沼に落とされる。
そこで天から降ってきた子だと大事にされ、やがて出世して横綱稀勢の里になるという由来の一席。
アホかあんたは。褒めてます。
サゲを変えないと、坊さんが死んでしまうという、ちょっとあと味の悪い噺だから。
それにしても一朝一門、実に層が厚いですね。

林家木久蔵「やかんなめ」

仲入り後のクイツキは林家木久蔵師。
黒門亭というフィールドが、なかなか微妙な感じに映るひとである。マクラでも話していたが、稽古をつけてもらう場としては、落語協会2階は噺家さんのホームグラウンドなのだけど。
木久蔵師、お父さんと違い、一応古典落語をちゃんとやっている噺家さんだ。寄席にもちゃんと出ている。
ごくたまにTVで落語を聴くが、決して下手だとは思わない。
そもそも、最初から下手ではないかという目で見てしまうのは立派な偏見であるが、その偏見は自身の選択した二代目バカキャラに基づくものだから仕方ないところもある。
多くの師匠方に稽古をつけてもらっているが、毎回呆れられているという自虐マクラ。手厳しい黒門亭の客を前にして爆笑であった。
金馬師匠には、特に厳しく仕込んでもらうが、帰るときには「また遊びにおいでよ」と言われるとのこと。

そこからの「やかんなめ」。たぶん、マクラで名前の出てきた喜多八師に教わったのだろう。喜多八師の稽古は、いちいち止めるのでやり辛かったとのこと。
正直、微妙なデキだなあ。
決して下手ではない、やかんのお侍も、下手そうなイメージはするけど、決してそんなこともない。
では、なにが微妙なのか。
爆笑を呼んだバカキャラマクラと、本編との間とに、完全な断絶がある。
そらそうだ。人情噺の要素まで入っている「やかんなめ」、バカキャラのままできる噺ではないもの。爽快感を付け加えられるひとでないと務まらない。
実際の腕がどうであろうが、バカマクラを踏まえて聴く本編は、バカな師匠が語る落語として映ってしまう。

林家木久蔵師の、ちょっと微妙な「やかんなめ」の熱演を聴く。
そんなに面白いわけでもないが、切り捨ててしまうのは惜しい芸。
ある程度世間で名前の売れている噺家さんも、苦労が絶えないものだ。ちゃんと落語をやる師匠であっても。
木久蔵師、「バカキャラを封印して古典落語一本でやっていく」方法もあると思うのだが、それでたちまち拍手喝采とも思えない。
かといって、お父さんのようにバカキャラを極めるのも大変だ。

落語とバカキャラは、実のところ相性がかなり悪いのだ。
笑点のキャラは「与太郎」「泥棒」「隠居」「やかんの先生」「若旦那」「権助」など、もともとは古典落語の登場人物に準じている。権助はこん平師。
バカ落語界のパイオニア、木久扇師のキャラは「与太郎」から出ているわけだ。
だが、古典落語の与太郎ネタだって、バカキャラで演じるのは難しい。
どこかに、バカキャラのままでもできる古典落語もありそうな気もするのだが、私は知らない。

木久蔵師にいちばん向いているのは、正蔵師が成功している、「素直な落語」という路線ではないか。そう思った。
すでにここを目指しているのかもしれない。まあ、バカキャラをある程度封印する必要があるけれど。
「バカキャラ」マクラでまず笑わせておいてから、スッと本格古典落語に入ってみせるという手もありそうだ。断絶をはっきりさせてしまうという。
だが、キャラ立てとは別に、ご本人の生来の声がアホ声である点に難があるかもしれない。「低い声で迫力のある侍」はさすがに不自然だ。
アホ声自体は個性なので、いい悪いではない。それを活かしてやるしかない。

ともかく、でも一生懸命にやっている人(だと思う)ので、なにかしら突破口を見つけて欲しい気がする。
上目線の意見に聴こえたらすみませんが、私なりに気に掛けているのです。

話はそれるが木久蔵師、いずれ高齢の木久扇師に替わって笑点の大喜利の座は転がり込んでくるだろう。
ますます関係ないが、木久蔵師が黄色い着物を着る際には、「二代目キャラ」のかぶる噺家がひとりリストラされるのは必定であろう。
さて、木久扇師の弟子では息子ばかりが贔屓されている感があるが、現実問題、一門でバカ芸が継げるのは木久蔵師しかいないと思う。
座布団利権が約束されている中で、本業の古典落語にどう励むか。これも難しいかじ取りではある。
ある種二刀流。実は木久蔵師、大谷翔平もびっくりの険しい道に挑んでいる。

橋本さとし氏のナレーションが流れてくる。
「古典落語と、テレビで見せる人気のキャラクター。どちらかひとつを選ぶべきなのか。木久蔵は、悩んでいた」
そこにスガシカオの歌がカブる。
「ずっと探してた。理想の自分って」

***

黒門亭、トリは古今亭志ん弥師。
通好みの噺家さんだ。様子もいいし、噺家の本道という趣き。
サゲの理解に欠かせない「質流れ」についても、説明っぽくなく、マクラの一環としてスムーズに織り込む技術は圧倒的。
なのだが、半年で三回この師匠を聴き、私はついに通の座にしがみつけず、滑り落ちてしまった気がする。
この日はもともと、この師匠目当てで来たのですが。
今日のネタ出し「質屋蔵」も面白かったのだけど。どうも、この人ならではという、圧倒的なものを汲み取れなかった。
今回たまたまではなく、毎回こうなのだ。
「こっちの腕には昇り竜、こっちの腕には下り竜」というセリフは「穴どろ」にもあるけど、同じく黒門亭で聴いた今松師匠の「穴どろ」は圧巻だったなあと。

自分に合わないとか、つまらないとか切って捨てるのははばかられる芸である。
薄味の噺家さんの、上質な出汁が味わいつくせなかった。これは聴き手の問題だと思う。
落語ファンのリトマス試験紙のような志ん弥師匠、もう少し修業してからまた聴きにきます。
ただ、明らかな志ん弥師の欠点はある。よく噛むこと。
噛んでいい噺家さんもいる。柳家小満ん師であるとか、桂南なん師であるとか。
志ん弥師の場合、噛んで欲しくない。
噛むたびにいちいち引っかかってしまうのであった。

黒門亭という特殊な空間、じっくり噺が聴けていいのだけど、常連どものふるまいはあまり好まない。
満員札止めだとまだ大人しいが、空席が目立つこの日、傍若無人とまでは言わないがわが物顔。
部屋の隅と隅とに座っていながら、大声で語り合うなよ。
で、その内容が、私も先ほどまで聴いていた早朝寄席のことで、「小辰さんの『替り目』さあ、あれは白酒師匠のかたちだね。そのまんまだね」なんての。
内容にはそうかあ?と疑問符が付いたが、個人の主観が客観的に正しいかどうかは別にどうでもよろしい。
感じたことを人に伝えたいと思うのも、まあいい。
だが、隣同士でやって欲しい。他の客もいるのに、野暮の極み。
もしかしたら、常連というのはこういう態度であるべきと思っているのだろうか?
こんなを見ると、池袋に籠りたくなったりもします。それとも、また黒門亭に通って、野暮常連の定点観測でもしようかな。
初心者のファンも、常連に負けずにどんどん行こうではないですか。別に食われりゃしないから。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。