柳家花緑弟子の会4(中・柳家花飛「洒落番頭」)

続いては花飛(かっとび)さん。いつ聴いても、珍品を掛けてくれる人。
なにしろ、「一眼国」とか「万病円」「豆屋」なんて、神田連雀亭で過去に聴いている。
だが先に位牌屋を出した圭花さんと同様、珍しいだけで終わらせるようなことはない。
珍しい噺には価値がある。でも珍しいままなのはなぜか。あまり客の気に沿わないからである。
そうした珍品を、きちんと料理できる人。
この日も珍しめの「洒落番頭」。
「庭蟹」ともいうが、花飛さんは「洒落番頭」というフレーズを強調していたので、ネタ帳に書かれるタイトルは恐らくこちらだろう。
主人に頼まれて、一生懸命シャレを放つ番頭が、高座の上の花飛さん本人に被る。シャレのわからない主人に伝わらなくてくじける姿が、芸人にとてもハマる。
だからといって、番頭がかわいそうなんてことはない。主人のわからなさ振りがすごい。
全然シャレられないじゃないかと怒る主人に対し、番頭さんはちゃんとシャレを言ってたんですよと伝えるのは、小僧ではなくおかみさんだった。
軽くて最高。

花飛さん、マクラはこのネタと全く関係なく、実に珍しいことに先に出た圭花さんの噺から拾う。
ケチの噺が出ました。落語の世界のケチというのは、ちょっと無理があるんじゃないかと思うかもしれませんが、でも私には結構わかるんですと。
私の姉がこうでしたと身内の話。
子供の頃、年子の姉が珍しく、誕生日にマンガをくれました。
でも、せっかくのお小遣いを貯めて買ってくれたなんて話だったら、わざわざここで言わないんです。
名探偵コナンを買ってくれたのだが、コナンを集めているのは花飛さんじゃない。姉自身。
コナン読み終わったら、私の本棚に置いておいてと言われた。ずっと置いておいていいからと。
こういう姉がいたおかげで、楽屋で理不尽なことを言われても切り抜けられますだって。

花飛さん、相変わらず暗めのトーンでボソボソこんなことを言うのが、やたらと面白い。
つ離れそこそこの客席に爆笑が生まれた。
この人を2年以上聴いている。もともとユーモアに溢れているこの人、さらにどんどん面白くなってきたみたい。
そして、他に花飛さんと被る個性を持つ芸人が見当たらないのだ。
乾いた雑巾から絞り出すようなユーモアがたまらない。
前座のような朴訥さもたまに感じるが、でも全然違う。
落語も広い意味ではお笑いであるけど、関西主体の現代お笑いとはまったく違うコンセプトを持つ花飛さんの芸。
関西のお笑い好きに聴かせたら、このテンションの低さ、怒るかもしれないな。演者と客とが、直接的に気持ちを通い合わせることもないし。
でも、テンション高いものだけが話芸じゃないのだ。
関西のお笑い好きがこの客席にいたとしたら、洒落番頭における、シャレのわからない主人の立場になるかもしれない。これはやや愉快。

最近つくづく思うのが、まず高座の噺家自体が面白いと思っているネタでないと、客も笑わないということ。
だからといって、「どうですか! 面白いでしょ!」と気合を入れてもダメなのだけど。程度の問題。
そうした手段を念頭においたとき、花飛さんのように「面白そうには語らない」という手法は、落語界全体を見回したとき、極めて特異なものだ。
だからといって、亡くなった喜多八師のような、すねたユーモアとも違う。もっとずっとまっすぐ客の気持ちに届く。
いっぽうで、ギャグに自然と角度が付いているので笑うという点も否定できない。
ニコリともしない花飛さんが、とても楽しい。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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