市川チャリティー新春落語 その1(古今亭菊之丞「ふぐ鍋」上)

届いたばかりの東京かわら版で、500円と安い会を見つける。しかも、古今亭菊之丞師の独演会。
場所は江戸川の向こう、本八幡。
交通費がそこそこ掛かるが、都営地下鉄の1日券を活用し出掛けることにする。
菊之丞師は、地元市川を初め、船橋やら柏やら千葉県内でずいぶん会がある印象。無料など、不思議な会もよくある。
売れっ子なのに、昔からのお付き合いも大事にしているのだろう。
その、千葉県内の多くの安い会、検討はよくするが、実際に参加したことはない。
ところでこの2月1日、市川のチャリティーの会、Web上に情報が全然出ていない。本当にあるのか?
菊之丞師の公式サイトに書いてあるから大丈夫だろうけど。
駅からやや歩く、市川教育会館という建物。ニッケコルトンプラザが近くに見えるあたりまでやってくる。
開演30分前に着く。予約のない旨を伝えると、うろたえる係員。
偉い人が呼ばれてやってきた。
その偉い人が、すいません本当はダメなんですが、今日はお風邪の人もいらっしゃいますからどうぞだって。
ありがたく入れてもらうが、でも恩を着せられるほどのことでもない。
予約が必要なら、かわら版にその旨書いておいてくれないと。書いてあって満席なら、問い合わせをしないこちらの不備ということになる。
掲載だって義務じゃないんだから。完全シークレットの会にしたっていいわけで。
まあ、私も図々しくなっていて、別にあせったりはしなかった。
そもそも事前に問い合わせていたら、満席ですと断られていたかも知れない。
だからいきなり行ったほうがいい。ダメならダメで仕方ないわさ。
フルネームを言わされて入場する。予約はいっぱいなのかもしれないが、新型肺炎を恐れてなのか空席も結構ある。

チャリティーの会なので多少心配したのだが、挨拶が極端に長いなどはなかった。1時間半、仲入り以外フルに落語だ。
プログラムによると、菊之丞師が2席だって。これはラッキー。
前座は菊之丞師の唯一の弟子、女流のまめ菊さんで手紙無筆。
まめ菊さん、聴くのは初めて。
言葉が綺麗だ。立花家橘之助師の喋り方に似ている。江戸っ子みたいないい口調。
「手紙」の発音は鼻濁音に聴こえないけど。その程度のことをとやかく言うわけじゃない。私は使えないのだから。
橘之助師に似てるということは、つまりカッコいいということ。可愛いのにカッコいいまめ菊さん。
師匠に似て、わざとらしいところは皆無。とても気持ちいい落語。
女性の落語というのも世間にすっかり慣れてもらっているが、聴く側が慣れただけじゃなくて、彼女たちもがんばっていてこそ。
ともかく自然に喋る人ならば、違和感はゼロである。あとは上手いかどうかだけ。
よくウケていた。
客はもちろん年寄りばかりだが、毎年来てるのかわりと落語慣れしている人たちだ。

しかし、「手紙無筆」について最近、落語協会では前座噺としては滅びたようだと書いた。
そのとたんの手紙無筆。でも、落語協会の寄席では確かに聴いていない気がする。

続いて菊之丞師。今年は年男ですとのこと。
この会には毎年来ているのだそうな。昨年は雪の日で15人しか来なかったとか。お客がいればやらなきゃならない。
マクラでよく語っている、菊之丞の名前の由来。兄弟子も全員一致で菊之丞に賛成するが、師匠含め誰も丞の字が書けない。
真打昇進の際に、「御船家ぎっちらこ」を勧められたこと。
古今亭にはそもそも、いい名前がない、志ん生、志ん朝しかない。
以前の菊之丞師ならこう語ったあと、そんなの絶対無理ですからねと付け加えていた。
今はそうは言わない。つまりそういうことかなと思う。
まあ、この場所で「実は志ん生継ぐんですよ」なんて話が急遽出るとは、私も思わないけども。
師匠、圓菊と緞帳の話。火焔太鼓の山場で入れ歯を飛ばしてしまい、悪ウケしてしまう圓菊。
いつもなら、サゲたあと、投げキッスまでしたりするので、緞帳を閉めるまでにたっぷり間を取る師匠。だが、いつものとおり時間を取ってから緞帳を下げたら、師匠に叱られた。こんなときは早く閉めろよと。
それから噺家になって、初めてちゃんとした焼肉を食べたという話。
そしてふぐも。
前座のときは遠慮して1枚ずつ食べる。だが、真打昇進の後輩に誘われて行くと、数枚ガバと取って、後輩が青くなるのを見て楽しむ。
実に自然にふぐの話題に入るため、落語本編の仕込みとはまったく思わない。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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