三遊亭円楽、芸協入り

スポーツ報知のスクープ。

弟子を置いて、ひとりで落語芸術協会入りする三遊亭円楽師匠。当面客員として。
円楽党にも引き続き籍を置くとのこと。

うーん、微妙なニュースだなあ。なんというか。
気になる点がいろいろある。箇条書きにしてみた。

  1. 芸協入りの目的
  2. 円楽の野望
  3. 芸協での地位
  4. 円楽党のその後
  5. 円楽にとっての寄席

まず1。
「寄席に出たい円楽師」「売れっ子芸人が不足している芸協」、そんな芸協にやきもきする「末広亭の席亭」の利害が一致したということであろう。
一見何の問題もなさそうだ。
売れっ子の芸人の下のランクで、たまにはトリが取れる芸人層はちょっとだけ困るかもしれない。まあ、でも円楽師のトリのときに仲入り前を務めさせてもらうほうが、客が入ってかえっていいかもしれない。
その下のレベルの芸人にとっては、今さらなにも変わらない。

2の「野望」であるが、芸協入りが、単なる「本人だけ寄席に出たい」で終わるはずがないであろうことは、芸協も席亭も、先刻織り込み済みだろう。
席亭のほうは、円楽党が芸協に合流してくれたほうが層が厚くなっていいから、これで終わらない方が望ましい。
芸協のほうはというと、まとめて来られては困る。既存の芸人の互助機能に支障をきたす。だから、2010年の合流申し入れは拒絶して、今回改めてひとりで受け入れた。
近々ありそうな野望への第一歩は、円楽師が芸協入りした後に弟子を取ること。そうすると、芸協に根を下ろすことができる。
笑福亭鶴光師が芸協入りしたのちに取った弟子たちは、上方落語家であるものの、なんの差別も受けていない。芸協のメンバーとして、堂々と真打になっている。
この線を狙いそうだ。
ちなみに、円楽師の下のほうの弟子に因果を含めて、移籍させ前座からやり直すという技もある。
だが、いちばん下の弟子は、すでに二ツ目に昇進している。ちょっとかわいそう。
でもこの方法、絶対にないとはいえない。立川流から移籍した立川談幸師の弟子ふたりは、芸協で1~2年前座をやり直し、格好を付けたのだ。
前座からやり直す方式も含めて、今後も円楽党から、(円楽師の弟子に限らず)個別の合流はあると思う。
ちなみに、関係ないけど立川流からもあるでしょう。

3「芸協での地位」が結構問題。
芸協入りの先駆けは、立川流を脱退して、弟子をふたり連れて芸協入りした談幸師。
当初は1年は客員扱いで、主として代演をこなす想定だったはず。私も代演で談幸師をお見かけした。
だが、芸協の香盤を見ると、新真打の下に破線が引かれ、さらに談幸師はその下の扱いである。2年近くになるのだが、まだ客員で冷や飯食らいなのか?
そのことの是非と、もうひとつ、円楽師を特別扱いすることの是非がある。
円楽師に、客員のままトリを取らすとなると、談幸師の立場がない。
まあ、香盤も大事だが、人気がものをいう世界。そのことをただちに「不公平」でダメだとはいえないものではある。
でも、協会の互助機能を損なうものであるのは確かだ。じゃあ、なんで円楽師だけ? ということになる。
権太楼門下から破門され、落語協会から移ってきた三遊亭遊雀師、今や芸協のエースだと思うのだが、この人の移籍と比べても、談幸師の扱いは少々不当な気がする。
それでも、円楽師も含めてこの師匠たちは「寄席」で前座修業を済ませているので、まだ問題は少ないとはいえる。
この先、たとえば三遊亭兼好師が芸協に入るとするならウェルカムだけど、「若竹」も含めて「寄席」修業をしていないので、扱いが難しいことになる。
いずれ解決されるとは思うけど。

4「円楽党」は。
円楽党に籍を置いたまま芸協に加入するという円楽師。
これが許されるということで、つまり「円楽党」が一門の親睦団体に過ぎず、互助団体である協会とは全く機能が異なることがバレてしまった。先刻わかっていることだけど。
円楽師、「円楽一門」であり続けたまま、互助団体に籍を置くわけである。

立川流もすでに瓦解しつつあるようだが、円楽党もまた、ゆるやかに消滅していくのだろうか。
日本中の落語団体を一枚岩にしたい円楽師も、それでいいと思っているわけだ。私も別に構わない。というか歓迎。
ただ籍を置いても、「円楽党」にそもそも機能がない以上、その意味はほとんどない。せいぜいが、弟子たちと所属が分かれないというくらい。
円楽師、円楽党の両国寄席などには出なくなるだろう。そのようなものに出るくらいなら、芸協の寄席に出る義理のほうが優先する。

5「円楽にとっての寄席」とは。
思惑はさておき、円楽師、ひとりの噺家としてのライフプランを考えたとき、今さら寄席に出てどうするのだろうと、私など正直思う。
円楽党は、立川流と異なり「寄席」を否定している組織ではない。だからかつて「若竹」を運営していた。
私財を投入した「若竹」を、先代円楽が閉じたのは、弟子たちが営業にばかり行って若竹を抜いてしまうことが多くなったからだと。もちろん、楽太郎であった当代円楽師も、抜いていたほうだ。
そこを考えると、今さら感がなくはない。

***

冷や飯食らいの身分なのではないかと書いた談幸師、7月の浅草中席前半5日間の夜トリを務められるようです。よかった。

寄席は噺家さんにとって生活の糧を得る場ではない。だが、大事な場所であることに異論はない。ただのファンの私にも、もちろん大事。
でも、たとえば春風亭昇太師匠。寄席にどれだけ出ているか。
笑点に出ている師匠は、地方を廻らないと座布団利権が活かせない。必然的に、そうそう寄席には出るひまはない。小遊三師もそうだし、落語協会のほうも、木久扇、たい平といった笑点メンバーは、寄席にはあまり出ていない。7月にはおふたりともトリがあるけど。
「寄席が大事」だという噺家さんの矜持は、これら笑点メンバーたちにももちろんあるだろう。だが、寄席への出演と、TVの売れっ子であることとは、そうそう両立しない。
円楽師、寄席に出してもらえるとして、引き換えに地方の落語会、多くを手放す覚悟はあるだろうか。覚悟があっても簡単なことではない。地方のご贔屓を、寄席のために切り捨てることなど難しい。
そして、プロデューサーとしての顔も持つ円楽師であるが、寄席でプロデューサーの出番は大してない。大物プロデューサー小朝師が、寄席と完全に距離を置いているのをみてもわかる。
まあ、そこまで覚悟して寄席に出たいという気持ちは、どうもウソくさいけど本当だとしよう。寄席好きの私も、その思いには感謝しなければならない。

だが、目下の私のいちばんの懸念材料は、「円楽師が寄席に出てトリを取ってみたところ、実はそれほど上手くなかったのがバレてしまう」である。
決して、そうなることを期待しているわけではない。せっかく出るなら、元気なころの歌丸師のように、圧巻の高座を務めていただきたい。
だが、CDもさほど出していない円楽師、そもそも寄席で発揮するウデを持っていただろうか?
それほど簡単なことではない。噺家として活動していても、寄席に流れる空気は、噺家さんにとってもずいぶんと違うみたいだ。
二ツ目まで落語協会にいたからといって、円楽師はこの寄席の空気を取り戻せるのだろうか?
最大10日間のトリを務めるのは、笑点メンバーと一緒に地方を廻るのとは、全く違う空気のはずである。

31日、定席のない日の「余一会」に、円楽党・立川流の噺家さんが出ると、「ふだん出られない寄席に出た」と話題になるが、かなり違うと思う。余一会の実質は、小屋としての寄席を使ったホール落語にほかならない。
寄席とは、小屋のみならずシステムを指す言葉なのだ。「寄席に出る」とは、「定席」にずっと出ることをいう。

今後、ありそうな現実。
円楽師は、「新宿と浅草でトリを年1回ずつ。あとは現在のまま地方を飛び回り、並行してプロデュース業」。つまり大して変わらない。
トリも少ない方が、円楽師にとっても力を入れられていい。たぶん席亭も喜ぶ。
ヒザ前のような、真の腕の見せどころ、難しいポジションはたぶん務めない。
年2回も出ておけば、「円楽が寄席に戻ってきた」というエクスキューズにもなる。談幸師のような、代演での出演はなくても代バネ(トリの代演)はありそう。
いっぽう、楽さんは何しに入ってきたのだと、芸協の同業者に陰口を叩かれる。ただし、円楽プロデュースに混ぜてもらう芸人は大喜び。
以上が、結構リアルに想像される。

寄席を愛してやまない私なのだけど、外の世界から「寄席」を必要以上に神聖視されると、なんか違うんだよなあ。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。