私も大好きな噺家さんなのだけど、入船亭扇辰師の人気は私の想像をはるかに上回るすごいものですね。おみそれしました。
ぐずついた天気だし、日曜とはいえ開演直前に行けば大丈夫だと思っていたのですが、息子とふたりやっとこさ席が取れました。
喬太郎・一之輔の両師が出ないことについては、代演情報見ている人も少ないかもしれないし、さほどの影響はないだろうとは思っていたけども。
焦ってしまいまして、モギリも通らず客席に入って、係員に追いかけられてしまいました。
ホームグラウンドなのに、「堀の内」「松曳き」レベルに粗忽なわたし。
もしかして、超満員の新宿から避難してきた人もいた? 池袋下席は2時開演で、他と時間がずれているから、その可能性はある。上野からの避難だって、あって不思議ない。
市朗 / 狸札
市弥 / 真田小僧
歌実 / 交番戦記
彦いち / 熱血!怪談部(代演)
ホームラン
柳朝 / 紙入れ(代演)
文蔵 / 笠碁
(仲入り)
扇蔵 / 親子酒
さん喬 / 子ほめ
翁家社中
扇辰 / 野ざらし
うちの子、「今日は本当に楽しかった」とのこと。そうですね、圧巻の芝居だった。扇辰師の「野ざらし」もすばらしいもの。
といっても、そもそも池袋で満足できなかったということ、まずないけども。
ちなみに息子は、文蔵師がよかったとのこと。渋いね。
なんで小学生が、爺さんふたりが喧嘩して仲直りするだけの噺に感銘を受けたのか知らないが、確かに見事な「笠碁」だった。落語のことならなんでも知ってる息子だが、この噺自体、初めて聴いたとのこと。子供向けの落語本には載っているはずがない噺。
子供は、バカな大人の噺が好きなのだと思う。いい年こいた爺さんたちが子供のように喧嘩しているのを、学校での日常に重ね合わせたのかも。
ちなみに、ぐずついた天気なので「笠碁」を掛けたのでしょう。そこそこ季節を問う噺だ。
寄席の番組として、実によくできていた日であった。楽しい新作あり、色物さんの活躍あり。
ヒザ前、さん喬師の「子ほめ」というのがまた素晴らしいではないですか。寄席を知り尽くす師匠の前座噺。
***
いつも通り楽しい池袋の下席。
寄席に一度行ってみたいという人には「鈴本演芸場」のほうをお勧めするけども、ディープな池袋の下席も悪くはない。
「寄席には行ったことがないが、落語は昔から好き」という人もいるだろう。そういう人にとっては、アクが強すぎるということはないはず。
時間が3時間と短いので、初めての人でも気力が持つと思う。それに安い。
層の厚い、「落語協会」固定の芝居である。芸人は厳選され、ハズレは少ない。
国立演芸場の定席(下席はない)も時間は短く、料金も安いのだけど、得てして吹き溜まりのような番組になっていることがある。
知識のない人が行くとガッカリすることもあるはずで、あまりお勧めしない。
冒頭から進めます。
時事ネタ筆頭「このハゲー」は、誰かマクラで話していたように思うが、誰だか忘れてしまった。
あのネタは、落語が束になってかかってもちょっとかなわないインパクト。
ナイツとロケット団に任せておくしかあるまい。彼らなら、籠池さんの百万円ネタともども面白ネタに昇華してくれるだろう。
前座は柳亭市朗さん。ちょっとオチケンっぽい喋りの人。
前回もそう思ったのだけど、オチケンが抜けてから、上手くなっていくのでしょう。
トップバッターはイケメン落語ブームを引っ張るひとり、柳亭市弥さん。
この人、一之輔師の影響が相当に強い気がする。ずいぶん、師匠(市馬)から離れるのが早いなあ。
イケメンではない白酒師なども手掛ける、面白古典落語をやりたいのだろう。ただ、ストーリーはほぼいじらず、面白いクスグリを入れ込むことに注力している。
「真田小僧」は寄席では本当によく掛かる噺。前座さんもやるけど、二ツ目も多く掛けるし、ヒザ前の小里ん師でも聴いた。
正直、ちょっと飽きているのだけど今日の「真田小僧」は面白かった。というか、日ごろからよく聴いていて、次を想像できる人ほど、たぶん聴いて面白い内容。
その工夫のクスグリ、あらかた忘れてしまいましたが。でも「楽しかった」という記憶だけ残ればいいじゃないか。
二ツ目昇進記念の三遊亭歌実さん。
スポーツの名門、鹿児島実業高校出身なので、名前が「かじつ」なんだそうだ。
そして、警察あがりで、落語を聴いたことなく弟子入りした変わり種。昇進直後なのに、早くもセールスポイント満載。
落語界というところ、自衛隊出身者も数人いるし、警官上がりがいたっていい。
昇進の高座なのに、漫談だけで降りた。池袋演芸場というところ、そもそも漫談があまり掛からない寄席であることも考え合わせると、実に図太い神経。
いや、前座を終えたばかりとは思えない、実に面白い高座でした。
どこかで聴いたようなワンパターン古典落語を聴くくらいなら、オリジナルの漫談のほうがずっと面白い。
4年間の前座修業中、師匠(歌之介師)の「ウタハラ」に耐えたことをアピール。師匠モノマネを加えて大爆笑。
「もっと知識があれば、絶対一朝一門に入っていたのに」と師匠ディスりまくりであったが、そっくりのモノマネに溢れる師弟愛が感じられる。
漫談の話芸も、圓歌→歌之介→歌実と、こうやって脈々と継承されていくのだなあ。
林家彦いち「熱血!怪談部」
次に喬太郎師の代演、対馬から帰ってこられた林家彦いち師。押忍。
極真空手の先輩に、「待ってました」と「たっぷり」とを混同した「まったり」という掛け声をもらうという、師の得意なドキュメンタリー落語ふうのマクラ。
いつものマクラでも、緩急がパワーアップしていて実に楽しい。同じ話を何度掛けても笑わせる絶妙の話術。この師匠、間違いなく、ここ数年でステージを一段階上がっている。
だから売れっ子喬太郎師の代演を任されるのだろう。
古典落語も上手く、寄席でもよく掛ける師匠だが、今日はトリと仲入り前が古典専門の師匠。キョンキョンの代演だし、ここは新作に違いないと予想していた。
さらに、季節的にも「熱血!怪談部」だろうと息子に伝えていたらドンピシャ。
ネタ予想が当たり、ちょっと息子に尊敬してもらえた。入場時にモギリを突っ切って恥ずかしい思いをしたところだが、これでチャラ。
楽しい噺に場内沸きかえる。怪談部の新任顧問「流石(ながれいし)先生」の気合と根性が師のニンにぴったり。
本当は、彦いち師は体育会系に染まりきっている人ではないのだろう。きっと、ずっと違和感を持ちつつ空手をやっていたのだと思う。
だからその世界に心理的な距離があって、それを一般人からウケるギャグにできる。
さらに言うなら、かつて落語に対しても距離感を測りかねているところがあったのではないかと想像する。
「熱血怪談部」はよくできた噺で、学園ものだが、怪談ものの仕掛けがほどこしてある。
爆笑からの意外なサゲが見事。
息子も、初めて彦いち師の落語が生で聴けてとても嬉しかったとのこと。
今日初めて気づいたのは、彦いち師、ずいぶん(物理的に)前に出て高座を務めている。なるほど、客席にほどよく圧を掛けていて、この気合の出し入れが、爆笑を生むのである。
寄席というところ、噺家さんがそれぞれ、自分に求められる役割を忠実に果たし、客を飽きさせないところがすばらしい。
番組を組む際の意図もそのようなもの。池袋の番組は、いつもこの点が見事なのである。
ホームラン
次に、うちの息子も鈴本で聴いてからファンになった、漫才のホームラン。
今日もファンキーな高座で楽しませてくれた。
池袋では必ずやる、マイクいじり(マイクが飾り物で、音が入っていない)から。
客席の一番前に、いちいち噺家さんに手を伸ばして拍手をするお父さんが座っていた。拍手する自分に楽しくなってしまっている、野暮な人だなと思っていた。
同行者に、「一緒だと思われたくない」と軽口を叩かれていた。
楽屋でも話題になっていたのではないだろうか。噺家さんたちは全員、このお父さんをスルーしていた。
スルーというと薄情に映るが、噺とは大変デリケートなもので、野暮なお父さんひとりによってたちまちぶち壊されることがあるのである。だから手を出さないのは当然なのだ。
そのアンタッチャブルなお父さんをいじったのがホームランの勘太郎師匠。
お父さんが声を返し、「いつも上野のパチンコ屋で師匠と一緒」なんだと。場内爆笑。
今日は、野暮な父っつぁんにしてやられた。
お客さんが笑ってくれると、本当は面白くなくても上で聴いてる社長が勘違いして、また仕事をくれるのだと。
ジャイアンツネタから清原ネタ、それからオリンピックネタから、勘太郎師匠の歌う「東京オリンピック音頭」に併せて踊りまくるたにし師匠。
場内かき回して去っていくホームランであった。
春風亭柳朝「紙入れ」
続いて、お休みの一之輔師の代演で、兄弟子の柳朝師。
一之輔師、ラジオでも休みの理由は言っていなかった。
ホームランの後というのは、やりにくいポジションだと思うが、このひとは空気にあまり頓着しないようだ。
いったん沈静化させようという気負いもなく、極めて自然体。一朝師譲りですね。
新宿の出番を済ませてきたが、あちらは2階席を解放して、桟敷の奥まで立ち見が並ぶ状態だったとのこと。いずこも賑やかですな。
玉川大学に講義に行って、アホな女子学生に「与太郎ってなんですかあ」と聴かれ、「お前のことだ!」と怒る定番マクラで沸かせてから。
噺は「紙入れ」。艶笑噺で、本来は子供がいるとやらないはず。うちの坊主以外にも子供がいるのにと思った。
まあ、うちの坊主は廓噺も喜んで聴く奴なので別に構わないのだが、私は「紙入れ」あまり好きじゃない。喬太郎師の「紙入れ」でもピンとこないくらい。
なんで嫌いなのかはよくわからない。上方落語の「茶漬間男」なんてのも間男噺だが、そちらは別に嫌いではない。
先代文治は、「紙入れ」「風呂敷」なんて噺は、客に不快感を与えるから決してやってはならないと弟子に言明していたそうである。どこかに不快感発生スイッチのある噺なのだろう。「風呂敷」は、現在、おかみさんの遊び要素は排して定着しているので、掛けて構わないと思うけど。
だが、柳朝師の「紙入れ」はいい。明るいのである。ムダに明るいのではないのだけど、カラッとしている。
顔をよく動かして、人間の喜怒哀楽を表現する。若手で顔を動かすのが得意なひとは、他に文菊師がいるくらいではないか。一之輔師もたまに効果的に使うが。
女の怖さがテーマの噺だけども、そこをテーマにして強調し過ぎると、たぶん嫌な感じになる噺なのだ。柳朝師のおかみさん、実にほどがよろしい。
いや、儲けものでした。
最後、「女房に間男されるようなバカな亭主、気が付くめえ」でスカッとさせられた。嫌な感じを受けた客など、いなかったのではないか。
橘家文蔵「笠碁」
そして仲入り前の橘家文蔵師。
本来マクラの楽しい師匠、また、この日は池袋の前に鈴本の代演に入っている。ネタはあるはずで、なにを喋るかと思っていたら、早々と「笠碁」へ。
トリネタだから、しっかりマクラ振ってると尺におさまらなくなるのだろう。
それもあるが、文蔵師の無頼マクラの延長線に、「笠碁」の世界はない。無頼キャラを封印して、噺の語り手に専念するのだ。
この笠碁、聴き手の頭にある、古今東西多くの師匠のものが合わさって完成する「笠碁」のテキストからまったくぶれていない。
想像から外れる展開も、セリフもない。
工夫の好きな文蔵師にしては、随分と端正な運び。
だが、これがいい。老人の噺に乱暴要素は不要だし。
借金を申し込みにきて、さらに返せず数日待ってくれといったおととしの話を蒸し返して、「私、あのとき待たないと言いましたか」。
よく知っている噺の、よく知っている展開なのだけど、語りの緩急ひとつで大爆笑を呼ぶ。
心の底から「可愛い爺さんたちが仲直りできてよかった」と思える逸品。
仲入りまで、ハズレなし。
クイツキは入船亭扇蔵師。
今日は中日で、トリの扇辰師匠にごちそうしてもらう日とのこと。
扇蔵師は扇遊師の弟子だから、扇辰師からは甥弟子にあたる。
「親子酒」、若いのに、徐々に酔っていくさまがなかなか上手いなと思った。
こんな噺を聴くと、飲みたくなる人もいるのではないか。池袋は飲酒禁止です。
柳家さん喬「子ほめ」
そしてヒザ前、さん喬師。
このブログは、日本一、寄席の「ヒザ前」の重要性を繰り返し述べているのではないかと思う。
ウケさせてはいけないが、退屈させてもいけない。トリにしっかりつなぐ非常に重要なポジション。
三遊亭円楽師が、芸協入りして寄席に戻るとされているが、この難しいポジションを務められるとは思わない。
寄席のポジションについて知識がなく、この日の池袋に、さん喬師が顔付けされているので来たという人もいるかもしれない。だが、そういう気負いで来ると、だいたいがっかりする。
最初から、ヒザ前の役割に焦点を合わせておけば、同じ高座を見ても、まったく違うものが浮かびあがってくる。
東京のベテランの師匠は、揃ってヒザ前が上手い。トリで一流の師匠が、ヒザ前ではがらりとスタイルを変えてくる。
まあ、中にはヒザ前だろうが、浅い出番であろうがまったくおんなじように噺を進める人もいる。だが、さん喬師には「ヒザ前」のこだわりは大きいようだ。
マクラは、なんでも「ヤバい」の一言で済ませてしまう若者へのコメント。
ひと昔前はなんでも「チョー」を付けていたと。「チョームカつく」の場合、「ムカつく」という喜怒哀楽が入っていたからまだ感情が明らかだった。なんでも「ヤバい」になってしまうと、もはやそこに喜怒哀楽の表現が残っていないと残念がる。
単に上から若者を批判するのではなくて、目線が優しいところが素敵な師匠。
それに、「現在」の若者像が、紋切り型ではないのでどんどん変わっていく。あたり前なのだがなかなかこんな噺家さんはいない。
そこから、すでに座敷に上がり込んでいる八っつぁんとご隠居の会話に。「短命」でも始めるのかと思ったら、なんと「子ほめ」だ。びっくり。
年中、前座で聴いている子ほめと、同じ噺で展開もほぼ同一だが、まるで違う。
「厄そこそこ」のくだりも一応仕込んであるのに、番頭さんに「いよ、町内の色男」と返されると、「あっちのほうがうめえや」とすごすご引き下がって歳を訊かない八っつぁん。
前座の力の入れどころを省略して子ほめに入るが、サゲは違っていた。初めて聴くバージョン。
横丁の先生が、「タケの子は生まれながらに重ね着て」という上の句をつけてくれた。それに八っつぁんが無理やり下の句をくっつけるサゲ。
調べたらこういう形があるのですね。不勉強で知らなかった。
すごく得した感じの高座。だが、トリにつなぐヒザ前の仕事は、見事に果たしている。
翁家社中。
つい先日久々に観たばかり。先日は小楽・和助だったが、この日は小楽・小花の師弟コンビ。
ちなみに、和助・小花の若い二人が夫婦である。和助さんは、亡くなった和楽師匠の弟子で、奥さんの小花さんが小楽師匠の弟子となる。
ナイフで一か所失敗があった。まあ、そんなこともある。小楽師匠、「今日は特別サービス」。
寄席のヒザは、紙切り・マジックなども楽しいけど、客の頭をリセットする効果がいちばん高いのが太神楽。
入船亭扇辰「野ざらし」
トリの扇辰師登場。楽屋を横目で見て、なかなか座らないおかしな仕草。
「文蔵アニさん、太鼓叩いてくれんのはいいけど、音がでかいよ。太鼓だけ目立ってるじゃねえか」
爆笑。
いたずら好きの文蔵師だが、高座に出てきたり、言葉を返したりはしなかった。
池袋らしくて実にいいですね。楽屋ネタなのだけど、ちゃんとファンもそこに混ぜてくれている。
扇辰師、その見事な芸を寄席でもよくお見かけする。この師匠も、ポジションを考えて忠実に使命を果たす噺家さんだが、よく考えたら主任で聴くのは初めてだ。
こういう噺家さんたちが、寄席という空間を支えている。
いなせな扇辰兄イの「野ざらし」。
落語会とトリと代演でくたびれているので適当にやりますと。もちろん適当なデキではない。
八っつぁんが十分すぎるぐらいバカで、終始躁状態なのに、同時にやたらと粋でカッコいい。
こんな二面性を併せ持つ八っつぁん、扇辰師にしかできまい。
バカでカッコいい八っつぁん、まさに江戸っ子の鏡。扇辰師は越後の長岡出身だけど。
堀井憲一郎氏に言わせると、新潟県稲瀬市出身だそうだ。そんな市はありません。
熱演が続き、すでに5時を回っていたので、多くの「野ざらし」同様に途中でサゲるかと思ったら、そこから5分で、野だいこを登場させ、サゲまで持っていった。
冒頭、三味線の皮のマクラを振っていたから、途中でサゲたら変か。
勢いのあるままフィニッシュ。
この日池袋で買った7月号の「東京かわら版」を読むと、ちょうど堀井氏がコラムで「野ざらし」について書いている。
「歌い調子」の考察である。この方、ギャグまみれの文章の中で、落語の核心をグサッとえぐってみせるので、大きな敬意を払っている。
「野ざらしの柳好」をはじめ、歌い調子の噺家さんは、全体のトーンと「サイサイ節」のトーンが変わらないのだと。だから、「サイサイ節」が唄っぽくない。
他方、歌い調子でない噺家さんは、妄想に重点を置いて、唄のときは声を変えて歌ってみせると。
なるほど。扇辰師の「野ざらし」は、明らかに前者だ。
先日黒門亭で聴いた、小せん師の「夜鷹の野ざらし」は、「歌が上手くて拍手がしたくなった」と思った。ということは、後者なのだ。
歌い調子の扇辰師の「野ざらし」は、最後まで続く勢いがすばらしい。
途中でコケたら取り返しがつかなそうだが、もちろん扇辰兄イ、そんなヘマはしでかさない。
妄想がきつすぎるので、寄席で掛けづらくなったという「野ざらし」。たぶん、20年くらい流行らなかったのではないか。
ここに来て、確実に復権してきているのを実感する。
「昭和元禄落語心中」の影響は、噺家さんが直接感じているかどうかは知らないが、間接的にはあるかもしれない。
ところで、「野ざらし」復権の理由は、「妄想」を社会が許容するようになったためだと思っていた。
それもあるだろうが、扇辰師の「野ざらし」は、妄想よりも「歌い調子」に主眼が置かれている。幇間の出てくるサゲ付近、そんなに楽しいものでもないが、「歌い調子」なら勢いで乗り切れるのである。
落語好きが「気持ちよさ」を求めて聴くようになったことの表れでもあるのだろう。「お笑い」と切り分けて「落語」を楽しむのは、悪いことじゃないと思う。
この日も大満足の池袋。こちらの高い期待を、常に軽く越えていく見事なチームプレイが見られる寄席。
7月下席は、家内も好きな喬太郎師が主任である。また来なきゃ。
その前の中席が落語協会の芝居なのだけど、なんとトリが柳家小のぶ師。これも聴きたいけど、続けてはちょっと難しいなあ。