落語の中の差別(上)

当ブログ、旧Yahoo!ブログの頃から毎日更新を3年5か月続けている。
毎日更新だけやめるのと、ブログをやめるのとは全然違う話。
毎日更新だけやめたって別にいいのだけど、ここまで来るとなかなかやめられないものである。
三遊亭遊馬師のブログ、毎日ではなかったかもしれないが頻繁に更新されていて、楽しみにしていたのだが先日なくなってしまった。
残念だが、結構しんどかったのでしょうな。

さて、今日もネタを探さねばならない。

立川志らくという人、相変わらず悪目立ちしているようである。
コメントがさまざまな媒体でなぜか速報されるようになっている。
視聴率も好感度も低く、そして若手を踏み台にしても平気な了見にもかかわらず、2年目でのM-1審査では爪痕を残すことができなかった。
コメントの悪目立ちが唯一の、人気維持の源泉だと思うので、必死なんでしょうな。
中国人差別をやらかした元特任准教授もそうだったが、炎上商法にハマっているのだろう。
最終的には必ずダメージになっていくと思うけども。
世間への立ち向かい方が長谷川豊によく似ているので、炎上が行き過ぎたある日、なにかしらやらかすと思う。
落語界にとっても困ったことである。

この人を批判するといくらでもネタになる。実際、書きかけたネタもいくつかあるのだが、それでブログを埋めるのも、あまり気分がよくない。
基本的には楽しい落語を取り上げるブログでありたい。
それに、炎上商法にハマっている人に燃料を投下するのも不本意だ。
そんなわけで、ネタにするにしてもやや古い話。志らくのツイッターから、落語についての考察だけを拾う。

発端は、NHK日本の話芸、立川志らく「八五郎出世」が再放送されたこと。
これに噛みついた人がいた。
妹おつるの方がお世取りを生んだというので、屋敷に出向く八っつぁん。話の分からぬ門番と話をして「日本人かてめえ」。
本放送時のVTRで、私もこの一席は聴いている。
演者が嫌いなので我慢して聴いたものの、客観的に悪い一席とは思わなかった。
落語を初めて、あるいは久々に聴いたという人がたまたま志らくをTVで観て「落語って面白いね」と思ったとする。そんな出逢いもあっていいじゃないかという程度にはいい落語。

だが、「日本人かてめえ」にクレーム付けた人がいる。ヘイトだというのだ。
こんなところに噛みつくかと思った。
とにかく、感性は人それぞれである。
無理やり噛みついた感もなくはないが、しかしヘイトという言葉は、人の社会的地位を奪えるぐらいの強いことば。それなりの覚悟がないと吐けない。
ヘイトだと発する感性そのものをたしなめるのも、覚悟を持ったほうがいい。相手は刺し違える程度の覚悟を持っているかもしれない。
そして、このセリフを仮に隅田川馬石、三遊亭遊馬、柳家小せんといった、物腰柔らかな噺家が喋ったとすると、誰も噛みつかないだろうなとも思う。
ベテランの、春風亭小柳枝、柳亭小燕枝といった人でもまた。

志らくという人が一番いけないのは、人格が幼稚なため、自分に対する反論を対話でなくマウンティングしてやっつけようとする点。
理屈で論破しようとするのではなく、ただ上に乗っかって俺のほうが偉いと叫ぶ。知性も教養もなくただマウンティングするから見透かされる。
芸能人相手だと、力関係を自覚しているのでマウンティングはせずへコヘコするのだが。

いや、そういうことじゃないだろう。
本当にこの人は、落語界で特殊な地位にいることを日頃利用しているくせに、一方で自分の立ち位置をすぐ一般化しようとする。
そして、日本人どうこうについては結局一切語らない。
相手を侮ると、すぐマウンティングに出るのだ。

今日は結局志らく批判で終ってしまったが、明日はちゃんと落語と差別につき考察します。

続きます。

妾馬収録

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。