「令和」に思う噺家名のアクセントの続編です。
先日、TBSの「人生最高レストラン」という加藤浩次の番組に、林家たい平師が出ていた。
番組の内容は非常に面白いものだった。
師匠・こん平が笑点大喜利を離脱するにあたり、若手大喜利で代打メンバーの予選があった。
その際、緊張して面白いことをひとつも言えないたい平師をなんとか送り出してやろうと、当時の若手大喜利司会の昇太師が策略を練り、他のメンバーの座布団をはがしていったと。
これ、先日小島慶子の「ザ・インタビュー」で紹介していたのと同じエピソード。
ただしその際はたい平師ご本人から明かしていたのに、今回は昇太師がVTR出演でバラしていた。
たい平師は、座布団を取られた人を「玉の輔アニさん」と名前を出していた。
売れ損ねた玉の輔師には気の毒だが、よく考えたら当時師匠・小朝が泰葉と結婚していたから、海老名には逆らえないなんて裏の事情も想像できたりなんかして。
食べ物を扱う番組なので、そちらのネタもちゃんと。
麹町スタジオでたまに笑点の収録がある際、収録終わりに富士そばで昇太師と一杯やってるエピソード。
とてもいい番組だったのに、とてつもなく気になったことが。
師が噺家を志すきっかけとして、「人間国宝柳家小さん師匠の噺に魅了され」とナレーションが入る。
画面には真打昇進時の写真が映し出されている。先代小さんを挟んで、柳家喬太郎師と一緒に収まっている貴重な写真。
後ろには、当時の副会長先代圓歌と、新真打の両師匠、こん平、さん喬の両師。
いい場面なのに、ナレーションのアクセントが、ついぞ聞いたことのないもので、ずっこけてしまった。
「小さん」は「古参」と同じように読めばいいのだ。「コナン」と同じような冒頭高で読んでいた。
「小さん」という言葉を、ナレーターが生まれて初めて読む機会が訪れた。これは仕方ない。
その際、もちろん間違ってしまうのはよくないし失礼だが、間違えたかどうか以前に、そんな発音がそもそもこの世にあり得るのか、よくもまあそんなふうに読めたなと。
こんなアクセントになるシーンはただひとつ。「胡」という名字の中国人を紹介するときだけだ。胡錦濤とか。
「『コ』さんの登場です!」って。
小さんの「さん」は敬称じゃないし。
特に難しくもない小さんを間違えたのには衝撃を禁じ得ない。
ナレーターももちろんダメだが、番組制作スタッフも、誰も違和感を覚えないし訂正できないのだ。困ったもんだ。
「コサン」はひどいが、でも噺家の名前、確かに難しいところがある。
なまじ落語好きは、その難しさを意識していないので、ギャップが大きい。
先の記事では「志ん生」「さん喬」のアクセントは、知らないと発声できないことを書いた。
こちらを間違えたのなら、まあ、それでもプロならばよくないが、百歩譲って許さざるを得ない。
春風亭正朝師のブログに、先代桂文治が亡くなった際、テレビでもって、冒頭にアクセントを置いた「ブンジさん」とたびたび報道されていて立腹したと書かれていた。
だがこちらについては、世間の多数が間違えていることには理由があり、やむを得ない気はする。
「田中文治」という人名だったとしたら、間違った読み方のほうが正解だもの。
立腹するのは同業者として自然な感情だが、うっかりすると特殊な業界のことを世間が知っていて当然という、傲慢さにつながりかねない。
「文枝」なら人名にはないから、平たいアクセントで読みやすい。だが、「文楽」なら当然のように冒頭高なわけで。
文治の読み方は、つまり常識ではない。
当代春風亭柳朝師はご自身の名前を「流暢」と同じ冒頭高で読まれてしまうと、やはりブログに書いていた。
柳橋、柳昇と同じアクセントで読まないといけないのだが、この間違いもやむを得ない気もする。
ご本人は、「平板に読んで欲しい」と書いている。
でもちょっと違う。「柳朝」自体は決して平板ではない。
平板というのは、「流氷」「流行」「留学」「硫酸」などのアクセントのことである。
ご自身でも正しく把握できていないものが、他人に正しく読めるわけねえじゃねえかと思ったが。
柳朝もアクセントは「志ん朝」と同じである。「りゅう」の部分を疑問形のようにやや上げて読むと正解。
なお正しく読んだ場合でも、「柳朝師匠」と「柳朝さん」はそれぞれ微妙にアクセントが違う。さらに前者は、2種類の発音が違和感なく成り立つ。
人間、「流暢」と聴くと違うなと思うのだが、それ以外のアクセントだと、違うことにも気づかない。面白いものである。
ちなみに柳朝師が弟子を取って、「柳坊」とでも名付けたとする。この架空の弟子は、教えなくても最初から、自然に師匠と同じアクセントで読んでもらえることになる。
今は削除されているのだが、古今亭志ん朝のWikipediaの稿の古い版に、変なことが書いてあったのを思い出したので、探してきた。
- 「読みは、志ん朝と後ろのほうにアクセントを置く。(例えば、新潮社のようなシンチョウとは違うイントネーションになる)」
いや、新潮社と同じだと思うよ。
週刊新潮とは確かに違うけど。
かように、落語ファンも思い込みで記事を書くことがある。私も他山の石とせねばならない。
私が噺家の名前の読みを間違えることがないのは、子供の頃から落語に触れているからで、ただそれだけ。
学習したわけではないからかえって偉そうなことは言いづらい。
まあ、知識のない状態で落語界に関わることになった人は、なにごとも思い込まないようにしましょう。