池袋演芸場20 その2(春風亭朝枝・橘家文太二ツ目昇進高座)

高座返しは、大変な美人の前座。世之介師の弟子の、金原亭杏寿さん。女優上がりだそうな。
落語を聴いたことはまだない。

次が新二ツ目のお披露目枠。
まず春風亭朝枝さん。前座時代の名前は朝七。私は初めて聴く。
おめでとうと声が飛ぶ。
「ありがとうございます。親戚を呼んでおいて本当によかったです」。
声が掛かった噺家がよく言うセリフだが、でもこの人に関しては、言うのもまったく初めてなんだよね? なにせ昇進した初日の声掛けなんだから。
つい先日まで前座の仕事を続けながら、もし声が掛かったらこんな返しをしようと考えていたのか。
それとも、考えてもいなかったが、思わず出たのか。
黒紋付で、法事の帰りじゃないですと。

本編は猫と金魚。 田河水泡作の、いにしえの新作落語。
こんな噺、前座時代に寄席で掛けるはずはない。ネタ下ろしということはさすがにないと思うが。
二ツ目になって初めての高座が猫金か。渋すぎるが、実にいい。
猫と金魚は、ネジの外れた番頭さんが見ものであるが、この番頭に主人が、「お前さんなにも考えてないね」、これで爆笑。
当たり前のセリフでできたツッコミで笑いを獲るというのは、落語以前にお笑いとしてかなり高度な技術ではないだろうか。
前提として人物がしっかり描けているということ。客にモヤモヤが蓄積されたところで、常識的なツッコミがそれを解放してくれる。
見事な一席であった。一朝一門からは、本当に次々といい噺家が出るね。
しかも外れがいないからすごい。

続けて新二ツ目。先に出た文吾さんの弟弟子で、橘家文太さん。前座のときの名前は門朗。
この人は、前座時代の達者な高座をたびたび聴いている。
やはり声が掛かる。
私は文蔵の弟子で、よく師匠怖くないですかと訊かれます。私はそんなに怖いと思ったことはありません。
私はなにしろ小倉の出。日本一仁義なき戦いが繰り広げられている土地の出身なので、初めて師匠を観たとき、「懐かしい」と思ったんだって。
本編はかつて黒門亭で聴いた「時そば」。先月、文蔵師の時そばを聴いたばかりでもある。
師匠に教わったのだと思うけど、中身はだいぶ違う。師匠も、「俥に人が当たっている『当たり屋』」といったバージョンを教えるわけではないらしい。
師匠と違うのは、おそばがまだ、それほどおいしそうではないこと。
一生懸命いつまでもそばすすってたが、中手が欲しかったのか? そんな欲は要らないと思う。
客は笑っているが、手を入れるタイミングはつかめない。
それはそうと、チクワがどんぶりの外に張り付いていたり、演者自身の工夫が楽しい一席。
時そばという噺は、改めて相当に難しいと再認識。ぜひ今後もブラッシュアップして、売り物にして欲しいものだ。

江戸屋小猫先生は、二ツ目の門出を祝うため、客にホエザルの真似をさせる。
それにしても、デビューしたときはずいぶん固かったのに、さすが四代目。今では残った固さが笑いに直結していて、とても楽しい舞台。
噺家でも、一生懸命面白くなろうとして自爆する人がいる。そうじゃないだろう。ユーモア感覚は大事だが、露骨に面白さをアピールしなくたっていいのだ。
小猫先生のような色物からも学んで欲しいですね。

冒頭から7人目でようやく真打登場である。台所おさん師。
この人は柳家小八師と交互。小八師と、奥さんの三遊亭粋歌さんと、夫婦で同じ番組に出る日があるわけだ。珍しいな。
おさん師は冒頭の挨拶だけでウケるのだから得だ。
今日はなんだか祝いのムードが漂っているけども、私はそういうの苦手なんですだって。
粗忽な主人と小僧の小噺を振り、本編は「松曳き」。

殿さまが植木屋の八五郎たちを追っ払ってなかった。ちょっと新鮮。
殿さまが粗忽なので、先ほどまで楽しくやっていた職人たちを、急に怒り出して追っ払うのが普通だと思う。
殿さまのミラクル粗忽振りが楽しい噺だけど、追い出されて消えてしまう職人たちが気の毒だと思うのだろう。
人払いのため八五郎たちを退席させる際に、「(食器等を)そのままでよい」。そして八っつぁんに向かって、「今度その、『こいこい』とやらを教えてくれ」と声を掛ける殿さま。
かなり斬新な工夫。おさん師の人の好さが表れているではないか。
殿さまの粗忽振りは犠牲になるが、噺のほんわかしたムードがこれで強く残る。
最後の切腹を命じるシーンは、殿さまの目の動きが実にいい。
変態のような噺家だが、柳家らしく丁寧なのはさすが。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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