池袋演芸場20 その3(春風亭一之輔「干物箱」)

仲入りは春風亭一之輔師。この人目当ての客も多いはず。
実際一之輔師の後、仲入り休憩時に帰っている人も数人いた模様。
一之輔師、金曜日は朝からニッポン放送の生放送。その後新宿を終えてからの一席。
こんなときに起こしいただきありがとうございますと。でも笑うと免疫にいいですからね。
落語会の予定が早速中止になりましたと。役所主催の落語会は、こんなときはすぐ止めます。
いっぽう、ちょっと癖のあるイベンターの人は、商売の種ですからギリギリまで粘りますだって。
後でこの日のラジオ聴いたら、同じことを話していた。

今日は、一流の人出ませんと一之輔師。
普通はこの番組に、雲助師匠であるとか、私の師匠一朝、あるいはさん喬といった人を顔付けするもんじゃないですか。二ツ目ばっかりですが料金は一緒ですと。
しかし二ツ目、それも2人は昨日まで前座だったという顔付けから、すでにずいぶん楽しませてもらっているのも確かである。
先に出た小猫先生をいじる。あの人とは、キャリアも年齢も同じぐらいですと。
あの動物ものまね、もう四代やっているんですよ。
誰かもう、跡を継ぐ人が、もうそろそろいいじゃないかって言わなかったんですかねと。

2階に閉じ込められている若旦那が登場。干物箱である。
それにしても、さすがネタ数200超えだけあって、どんな噺も持ってる人だな。
干物箱なんて、私だって雲助師の落語研究会のVTRを繰り返し聴いてるぐらい。先日、柳亭小痴楽師も落語研究会で出していたが。
さて先日、NHKの演芸図鑑の対談で、志らくに執拗にマウンティングされる一之輔師を取り上げた。
その際、「古典落語に現代ギャグを入れる人」として、勝手に志らく系列にされかける一之輔師。
だがこの干物箱を聴く限り、その決めつけはまったくの筋違い。超一流の噺家には、さまざまな武器があるということ。
どこにも新たなギャグなどない。しかしながらとても新鮮であり、爆笑である。
そんなに掛からない噺から、面白さをちゃんとすくい出して客に提示する一之輔師の姿がそこにある。
ギャグ一杯の噺ももちろん楽しい。その創意工夫と、角度を変えたアプローチに心底感嘆する。
だが、比較的いじり方の少ないこの干物箱に、いたく感銘を覚えたのである。

貸本屋の善さんに、身代わりを頼む若旦那。
大旦那に声を掛けられたら、運座に顔を出した際の俳句を教えてやってくれと若旦那。すらすら俳句を唱えるが善さん、「覚えられるわけないでしょー!」と絶叫する。このあたりのやりとりがもうなんとも。
ギャグではない。展開の工夫でもない。でも、人間がくっきり出ていてやたらと面白い。
その後、漢字は読めねえんでかなで書いてくれという善さんに、「やな貸本屋だね」。これは一之輔師ならではのギャグだろうが。

若旦那が5円付けてやると「やります」と実にスピーディに即答する善さん。
一之輔師、落語との向かい合いは決してワンパターンではない。
干物箱については、三遊亭兼好師のような、会話のやりとりでもって笑わせてくれる。
だから、少なくとも桃月庵白酒、三遊亭兼好といった当代一流の噺家の要素を、それぞれ持っているわけだ。
世間からは、やや前者のイメージ強めで見られているかもしれないけど、それだけじゃない。
もちろん、他にも一流の要素がある。名前を出したふたりがあまり得意としていない人情も、しっかり描ける。干物箱に親子の人情が漂うかどうかは別にして。
ひとりの噺家の中に、ありとあらゆる一流の要素が詰まっている。面白いはずである。

そして、善さんが大旦那とやりとりしなければならない羽目になる、この進行が実にスムーズ。
善さんは大人しく寝ていれば別段どうってことはないのに、わざわざひとりキチガイに進んでしまうというのが一般的な流れと思う。そこがまあ、ウケどころでもある。
でも、退屈なのでちょっと声を出すところを親父にとがめられるとか、実に自然な流れをこしらえている。
湯に行って帰ってくる時間も20分しっかり刻んでいて、妙にリアル。
そもそも、湯に行って帰ってくる際に親父と顔を合わせないというのが不自然な噺。その不自然な噺が実にスムーズ。
この見事な一席をトリと解釈して帰ってしまう気持ちもまあ、わからなくはないな。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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