池袋演芸場11(柳家喬太郎「極道のつる」)

柳家小のぶ師匠のトリ、池袋中席(昼席)をレビューしたばかりなのだが、早くも今日は下席に行ってきます。
柳家喬太郎師のトリ。
池袋、落語協会の芝居を、5月下席から5席連続で聴いていることになる。
芸協もないがしろにしているわけではなくて、行くつもりです。8月中席の主任は瀧川鯉昇師。

今日の番組、すごいのだ。ヒザ前を務める三遊亭歌武蔵師ともども、喬太郎師は今日29日は、横浜にぎわい座で「落語教育委員会」。
しかも、昼夜の二部編成。
さすがの喬太郎師も、横浜で昼夜に出演したら、普通に考えて池袋のトリなど取れないのではないだろうか。
桜木町から池袋へは、横浜から湘南新宿ラインに乗るのが速い。最速で50分掛かる。
13時開演の「落語教育委員会」の昼の部、コントをやってトップバッターで出れば、16時頃にはなんとか池袋に入れる。
慌ただしくトリを取って、17時過ぎに池袋がはねる。
再度湘南新宿ラインに乗って、横浜にぎわい座には19時前には入れる。
17時にすでに「落語教育委員会」の夜の部が開演している。遅れて入ると、必然的に、トリを取ることになる。

理屈ではこうなるのだが、まさかね、と思っていた。たぶん池袋は代演(代バネ)だろうと。夜の部の落語教育委員会では、コントに登場できないし。
寄席の顔付けよりずっと前に、ホール落語のスケジュールは決まっている。特に土日に、寄席で代演・代バネが発生するのは、システム上仕方のないことである。
売れっ子の師匠が寄席を抜いたところで、ファンは文句など言える筋合いではないのだ。
池袋には土曜でなく、日曜に行くかなと思ったりした。

池袋は、いつもそうだが「本日の番組」がアップされるのが遅い。鈴本は、最大3日程度載せてくれるし、新宿はツイッターで代演情報を出してくれる。
私のホームグラウンド池袋にも、なにかしら情報発信の手段を講じて欲しいものである。
だが、こちらにも予定がある。木曜日に、池袋に直接電話してしまいました。

「柳家喬太郎師は、土曜日は代演でしょうか」
「いえ、そのような連絡はありませんね」

ええー。横浜から駆け付けるの? すごいよキョンキョン!
グリーン車で往復でしょうね? グリーン料金片道570円。あら、意外と安い。
暑いから、にぎわい座と横浜駅間はタクシーか。

6月25日にも、池袋の下席に行った。その日、喬太郎師は昼夜の仕事があるので、代演だろうと当たりを付けていた。
確かに池袋と鈴本は代演だった。しかし、その日は新宿昼席のトリもあり、これは喬太郎師、ちゃんと務めていたのである。
この超人的な仕事振りにも関心したのであるが、またですか。
寄席のトリ、師としても非常に大事なんだろう。でも、新宿の前にも4月に鈴本でトリ取ったばかりだし、次の8月上席も、また鈴本でトリなんだけど。どこからこのエネルギーが湧いてくるのか。

さすがに、歌武蔵師は今日池袋を抜いている。物理的に無理。
代演は、同じ一門の歌る多師匠。

とりあえず、JRと東急、両方止まったりしないことを祈って、池袋でキョンキョンを待ちます。

柳家喬太郎「極道のつる」

門朗  / 元犬
小太郎 / 新聞記事
喬志郎 / 平林
甚語楼 / お菊の皿
おしどり
文蔵  / 馬のす
琴調  / 講談:人情匙加減
(仲入り)
天どん / ハーブをやっているだろ!
歌る多 / つる(代演)
夢葉
喬太郎 / 極道のつる

電車が止まったりすることもなく、無事トリの喬太郎師は池袋に登場しました。池袋にお住まいなのに、今日は横浜を二往復するわけだ。
それにしても期待どおりの見事な芝居でした。池袋はいつもこうですけども。
超満員を見越し、12時から並んでいてよかった。開幕時にはすでに立ち見が発生。
仲入り後は、立ち見客が普通に立っているのすら困難な感じでした。

前座さんからいい空気ができていって、甚語楼師あたりでその空気が安定したように思う。
大変楽しいのに、笑い過ぎて空気が崩れるようなこともない。一定の高いレベルで安定したテンションを、客席が維持したままであった。
仲入り休憩を挟んでも、この一定のテンションが続く。疲れることもなく、テンションが落っこちることもなく、最後までこの落ち着いて、かつ張り詰めた空気が続いたのであった。
満員の客、その質もいい。池袋の客は、いつもいいんですが。
「馬のす」なんてストーリーのまったくない噺でしっかりウケるのは、客がいいからだと思う。
いやあ、喬太郎師のファンは、落語をよくわかっているんだなあ。初心者にも人気のある人なのに、意外な気もちょっと。
今日は携帯が鳴ったりもしなかった。

主任の喬太郎師は、ヒザ前(代演)の歌る多師匠が「つる」を出したのを受けて、「極道のつる」という、師の数ある新作の中でも最右翼級のぶっ飛んだ噺をぶつけてきました。
「極道のつる」。タイトルだけ知っている噺。中身は初めて聴いた。
トリまで続いた、安定したテンションを、最後にトリの喬太郎師が破壊し尽くした。
とても楽しかったのだが、非常に噺への理解が高くいい客であったことを加味すると、もっとしっとりした噺でもよかったような気もしたりするが。
いやもちろん、いい客だからこんなぶっ飛んだ噺を許すのだけど。
まあ、寄席は生き物。生き物の生きざまの一端が垣間見えたのは、実に楽しいこと。

喬太郎師、寄席では「つる」が出たときに、被せて「極道のつる」を掛けるようだ。トリネタとは思えないけれど。
高座に出て思いついたのではなく、「つる」を楽屋で聴いて「極つる」決行したのに違いない。だから短い本編に合わせ長いマクラを延々と振っていたようだ。
歌武蔵師の代演歌る多師が、喬太郎師のためにパス出ししたわけでは、ないだろうな多分。歌る多師は、「ヒザ前」の仕事を忠実に果たしてみせたので。
マクラの爆笑漫談だけで一席分のネタ。
長いマクラは、池袋の街について。都内四か所の寄席は、いずれもいかがわしい場所のそばにある。白酒師がよくこんなことを言っている気がするが。
いけぶくろの「い」は、いかがわしいの「い」。いけぶくろの「け」は、けがらわしいの「け」。いかがわしく汚らわしい袋に入った街、池袋。
キョンキョン得意の擬人化で、池袋の西武デパートと東武デパートを闘わせる。西武の味方をする腰巾着がパルコ。
さらに、鉄道の西武線と東武線を競わせる。駒次さんみたい。
西武のほうがだいたい品がよく、東武のほうは闘う気力すら放棄している。でも西武にも、地味な路線がある。西武の仲間に隠れてこっそり東武東上線と会話を交わす、西武国分寺線。
国分寺線が東上線に、「西武も東武も、埼玉に向かう列車なのはおんなじじゃないですか」。
「おたくは秩父だろ? 『ちちんぶいぶい』なんて宣伝していいよな。うちはしょせん森林公園だから」
「伊勢崎線さんは最近どうです?」
「あいつ、スカイツリーができて変わっちゃったよ。あんな奴じゃなかったんだけど。半蔵門線と直通始めたあたりから、なんだかね」

前から不思議に感じていた。
今日も改めて感じたのだが、こんなマクラが、子供だましに聴こえないのが喬太郎落語なんである。
ちゃんとおとなの落語として聴こえてくるのはなぜだろう。
古典落語的世界とまったく異質のようでいて、ちゃんと通底しているからなんだと思うのだ。師はコントをしているのではない。落語を語っている。

やはり、落語を知り尽くしている師匠の噺は、落語的世界に到達するスピードがたいへん速い。
落語の本質がそもそも肚に入っていないと、「落語世界」とちょっとずれた「落語っぽい世界」に入ってしまう。そこは子供だけが喜ぶ世界だ。
困ったことに、この「落語っぽい世界」は「落語世界」のすぐ近くにある。落語世界を目指して、落語パスポートを持っていないために落語世界に入れず、ちょっと似ている「落語っぽい世界」に入ってしまう残念な噺家がいる。
さらに残念なことに、「落語っぽい世界」も、ちょっとはウケる。ウケたらおしまいである。自分のいる世界が間違っていることに気づかない。
でも、真の落語世界と同様のウケ具合には、一生かかっても到達できない。

東武と西武の会話も、落語パスポートを持っている人が語ればちゃんとおとなの落語になるのである。

大爆笑喬太郎落語。喬太郎師がギャグを語るたびに、拍手の嵐。共感の拍手である。
いちいち客席に共感が漂うということは、「あるあるネタ」に世界がとどまってしまい、噺の世界が客の感性の範囲を決して超えていないともいえるのではないか。
いや、その実私がいちばん、その共感の中にいて、手も叩いていたのであるが。
これに関しては、再反論できる。
客のレベルが全般的に高かったので、噺のレベルが高位置まで引き上げられたのだ。もちろん感性が鋭く冴えわたる喬太郎師、いくらでもこのレベルを上げていくことは可能である。
もっとシュールな落語だってできるのだが、そこは話芸。客と一体化しないと目的を達しない。その、ほどのよさが喬太郎落語のすばらしさなんだと思う。
これは、どんな落語にも大事な要素。

喬太郎師のトリは、4月に鈴本で聴いた。そのときはブログにも書いたが「井戸の茶碗」。これは「極道のつる」とは相当に違う世界に属している。その効果も。
これだけ振り幅の大きい噺家さん、それは病みつきになりますよね。師匠のトリの間、毎日通ってしまう人もたくさんいるだろう。

東京の寄席というのは、掟の厳しいところである。
つい先日も池袋中席で、ヒザ前の柳家小満ん師が、出してはいけないはずの「夢の酒」を掛けたのに遭遇した。これはミスだと思う。
だが、「ツいたらダメ」という寄席の掟を堂々と破り、「つる」に被せて「極道のつる」を掛ける喬太郎師。
寄席が好きで好きで仕方ない人が、このような神をも恐れぬ所業に出るのである。
ただ、寄席のルールはあくまでもお客のためにある。同じ系統の噺を聴かされたら客が気の毒だという。だから、客が喜ぶならツいてもいいのである。たぶん。
ダメなのは、意味なくマクラやクスグリがカブってしまうことなのだ。
「つる」が出た段階で「極つる」に期待したコアな喬太郎ファンもいたのかもしれない。

爆笑マクラと同じテンションで、本編に入る。というか、強烈な本編に入るために、マクラでテンションをどんどんかさ上げしていったものか。客はしっかりついてきた。
組事務所で、鉄砲玉に使われようとしている、素直な若い衆。
抗争を手助けしてくれるのは稲葉組。稲葉といえばさん喬師の本名。
抗争相手は梅原組。これは権太楼師の本名。
噺家さんの本名を噺に盛り込むいたずらは、いにしえから続いているもの。明治以降が舞台の古典落語で聞き覚えのない人名が出てきたら、だいたい噺家さんの本名である。

若い衆が素直を通り越してパーなので、ちょっと賢くしてやろうと、「首長鳥がつるになった一件」を教える伯父貴。
なんだそりゃ。無理くりな展開。
本家「つる」も、ストーリーらしいストーリーのない噺だが、「極道のつる」も輪をかけてストーリーもなんにもない。
でも、登場人物はヤクザ。
世間の日常から切り離されている登場人物たちが、古典落語のご隠居役・八っつぁん役を果たすという、もうなんといいますやら。
こんな噺、古典落語「つる」の助けがないと、さすがにやれないでしょう。
この日の客、大変いいお客だけども、だからといって全員が古典落語を隅々まで知り尽くしているとは限らない。

首長鳥のいわれを若い衆に教えるくだりを聴きつつ、知らない噺なのでいささか不安になってしまった。
先に出た古典落語を入れ込んだギャグだというのはわかる。この日も、天どん師がそういうギャグをやっていた。
「極道のつる」だから単なる入れ事ではなく、「つる」でなければいけないのだ。だが、たまたまなのかと一瞬思う。

若い衆、「つる」の八っつぁんよりはるかにパーなので、「つーるー」のくだりがまったく頭に入らない。
つるがJALになってしまい、ジャルが「ジャールー」と飛んでくることになってしまう。
「ジャルはむかしアナといった」。わけわからねえ。

ネタバレは遠慮しておきます。別にネタバレしたからって、このどうしようもなくくだらない噺、価値が落ちるとも思わないが。
もちろん、「くだらない」は最上級の褒め言葉です。

喬太郎ファンの家内に聴かせてやれたのがよかった。家内も大喜びでした。
しばしば突然に「激怒」の入る喬太郎落語、目のまん前で聴くと迫力が違う。
これだけ異端の芸なのに、落語界の中心にいる師匠。

もちろん、他の演者もすばらしかった。続きます。

***

熱気あふれる地下2階、池袋秘密倶楽部。冒頭に戻って進めます。

前座は橘家門朗さん。文蔵師の弟子。
なかなかいい口調なので、ここでウトウトさせてもらうことにした。表で1時間並びましたからね。
口調のいい前座さんでウトウトするほど気持ちのいいことはない。ごめん。
レム睡眠下で、頭がガクンと落っこちながら、耳からは落語が聴こえてくるという至上の快楽。
最近続けて「元犬」聴いているので、さすがにじっくり聴く気にもなれなくて。
サゲ付近で起きた。おもとさんの出ないままサゲになったのでオヤと思った。
「白犬なので尾も白い」とかいうサゲ。初めて聴いたが、昔からありそうな雰囲気のサゲではある。
柳家三三師が分解再構築した「元犬」が、噺の構成としてはいちばん優れていると思う。だが、そこまでいかなくても噺の中でいささか不自然なおもとさんを出さない工夫はいいですね。
寝てるヤツがなんか言うな? そうですね。

門朗さんのおかげで脳がリフレッシュ。
トップバッターは柳家小太郎さん。Vサインで登場。「柳家喬太郎の弟弟子です」と名乗ってツカミをとる。ちょっと卑怯。
小太郎は柳家の由緒ある名前で、最近では兄弟子の柳亭左龍師も名乗っていた。
「イケメン二ツ目ブーム」をネタにつかみはばっちり。ご本人はイケメンとはほど遠い。
喬太郎師の影響を相当に受けているらしい小太郎さん。
喬太郎師は弟子がいないけど、弟弟子たちに対して、兄弟子というより師匠としての機能を結構発揮している気がする。想像ですが。
さん喬師の下のほうの弟子たちは、タイプのまったく異なるふたりの師匠に同時に仕えている感じがする。そうだとして、喬太郎師がさん喬師を深く尊敬しているので、それで何の問題もなさそうだ。
幸せな一門である。さん喬一門と一朝一門は、日の出の勢いですね。
噺のほうは「新聞記事」で、これは一之輔師の影響が強そうだ。
六尺豊かな「ゆたかさん」が出てきていたのは一之輔師と一緒。噺の展開自体は、先人のものだったが。
でもやっぱり、この噺は難しい。人の生き死にをネタにするデリケートな噺だけに、ギャグを入れ込むとたちまち不自然さが出てしまう。
噺の中で、「人の生き死にをネタにするもんじゃない」とたしなめているのだが、それくらいではカバーできていないように思う。
一之輔師のかたちは、この噺に内在する多くの問題点を完璧にクリアした絶品だが、そうそうコピーはできないだろう。
それにしても、「新聞記事」と「つる」ってばっちりツいているんじゃないのか? 八っつぁんがご隠居にウソネタを教わって鸚鵡返しをするという、同じ構造。
ヒザ前の歌る多師、実に自然に「つる」に入っていったのだけど、どうなのだろう。やはり喬太郎師へのパス出しだったのか。

柳家喬志郎「平林」

続いて、またさん喬一門から柳家喬志郎師。
小太郎さんの噺はウケていたのだが、わんわん沸かせるタイプのウケ。この流れを放置しておくと、沸きすぎて変な空気で一日終わってしまいかねない可能性もあったのでは。
そこに登場して、空気を見事に調整した喬志郎師、さすがだ。
といって、地味な噺をやって沈静化させるなら簡単だろうが、そうではない。爆笑落語でもって調整してみせた。
この世の秩序と若干ズレたところにある師の新作、私は結構好き。苦笑しながら喜んで聴いている。
客に合わせに行こうとしないところがすごい。だが、「わかる人にわかりゃいい」という芸ではなく、またわざと外してやろうというとんがったところも微塵もない。
そのスタイル、存在自体がある意味極めて落語らしい人である。
新作はギラギラしてやる人が多いけど、この師匠は完全に力が抜けている。すごい心臓。
今日は古典で「平林」。古典は初耳。だが、新作と古典との峻別が無意味なスタイルだ。なかなかそんな人はいない。喬太郎師だって、古典と新作ではテンションがだいぶ違う。
古典でも、絶妙に聴き手の期待を裏切ってくれる。客と歯車がかみ合わなければダダすべりだろうが、今日の客にはがっちりハマった。客へのマッチング技術自体、大幅に向上しているみたいだ。
古典落語のキャラクターは練りに練られていて大変楽しいが、この人は新作と同様、一から古典落語の楽しさを構築していこうとするみたいだ。その結果、他に類を見ない小僧定吉が誕生する。

定吉の失敗で、水風呂に入らされたおかみさんが全裸で飛び出してくるギャグがたまらない。立膝のアクション付きで「サ・ダ・キ・チ~~」と叫んで大ウケ。
「平林」は、「♪ひとつとやっつでとっきっきー」と歌っておけば確実にちょっとだけウケる、アンパイ的な噺だと思っているのだが、さすがに異端児喬志郎師、そんなふうには料理しない。
歌はワンフレーズくらいで強調しない。それよりも、定吉のふわふわした感じが終始漂うのがたまらない。
ちょっと驚いたのは、「いちはちじゅうのもくもく」など、なぜそう読めてしまうのかを一切説明しなかったこと。聴き手の想像力に委ねているのか。
NHK演芸図鑑の、公開収録客の前でやったらポカンかもしれないが、今日の池袋の客ならこんな演出もありだろう。

柳家甚語楼「お菊の皿」

次は、古典落語が抜群に上手い柳家甚語楼師。
噺家さんに対してなんたる褒めかたであろうか。でも、そう評したくなる噺家さんだ。
爆笑派権太楼師の弟子だが、もうちょっと本格派に寄った芸。でも師匠に似て軽やかな芸。
ケレン身がまったくないので売れている感がないけど、10年後、この人は落語界ですごい地位にいると確信する。もともとは、早稲田の落研における、桃月庵白酒師の同級生。
技術は圧倒的に高く、どこまでも抑制が効いている。だが面白い噺をちゃんと楽しく語ってくれる。
噺を入念にコントロールする技術がすばらしい。二ツ目の小太郎さんあたりにはまだない魅力。

甚語楼師はマクラも楽しい。
知ったかぶりのおじさんに飲み屋で逢った。「アタシ落語好きなんですよ」とやたらアピールしてくる。
だが、「なにが好きなのか」という具体的な話は一切ないまま、さらに落語好きアピールは続く。
「あそこ行くんですよアタシ。ほら、あの浅草にある、『鈴廣』」。
「・・・それ、なんかいろいろ混ざってませんか?」
「いやね、アタシよく行くんですよ。すずひろに」
おじさん、あんまりにも自信満々なので、そのうち甚語楼師、「もしかしたら、アタシが呼ばれていないだけで、浅草にすずひろという寄席があるんではないか」という気になる。
一度裏返してオチを付けるところがまた上手い、楽しいマクラ。

続けて、今度は噺に付随するマクラ。
「キャバレーで昔、怪談をやった。朝礼ではマネージャーがホステスさんたちに、『今日は怖くなくても怖がりなさい。どんどんお客に抱き着きなさい。どんどんボトルを割りなさい』」
ご本人でなく先輩のネタだったかな?
怪談について触れた以上、「お菊の皿」だということはわかっている。この季節、演者の腕を量るのに最適のネタかもしれない。
私はこの夏三度目のネタだが、「元犬」と違いまったく飽きない。甚語楼師、語りのリズムもいいので実に心地いい。
メリハリも利いていて、やはり変に突出したところがない。出っ張ったところもへこんだところもない噺だが、客の気持ちにマッチして実に楽しい。
寄席の空気が、積み重ねでどんどんよくなっていく。

***

時間の短い池袋下席の色物さんは、ヒザ以外には一組入るだけ。
最近、落語会に引っ張りだこの「おしどり」さん。私は初めて。
音曲漫才だというけども、音曲メインではなくて、トークと旦那のケンちゃんの針金アートで魅せる芸。大阪の出で、師匠は横山ホットブラザース。
東京の寄席に向いたとても楽しい芸だ。これは噺家さんから頼られるのもわかりますね。
寄席の客のほうが、まだ馴染んでない雰囲気がちょっとある。客いじりの際、ちょっと固くなる。
でも、客の反応が鈍くても、演者の流し方が上手いので、変な空気にはならない。
調べたら、事務所が吉本だというのがちょっとびっくり。
色物さんは、協会以外にプロダクションに入る人が多いが、吉本に所属して寄席に出ている芸人さん、東京では他に知らない。
まさか、寄席のワリまで吉本と分けるのか? それはないような気がするけど。
とにかく、落語協会の寄席に通う楽しみがまた増えた。
「紙切り」みたいにリクエストによる針金アートも作る。「文蔵」というリクエストに応えて文蔵師匠の顔も作っていた。

白熱の池袋、まだまだ続きます。
寄席で感じたことを再度書き起こすのは、寄席が追体験できてとても楽しいです。

橘家文蔵「馬のす」

橘家文蔵師匠登場。
前座の頃、寄席をサボって、同期の白鳥・萬窓といった噺家さんと、大井競馬場付近に釣りに行っていたというマクラ。今よりずっと汚い東京湾のハゼ、捌いてよく食べてたなと述懐。だからなに食べても当たらない体になったと。
前座が寄席サボっちゃいけませんが。
そこから噺本編に入る。釣りのためにテグスを用意するが、蒸れていて切ってしまう。どうしても釣りに行きたいので困る主人公。
ああ、「馬のす」ですね。池袋なら掛かっても不思議なさそうだが、その実めったに聴く噺ではない。

百姓が連れてきた馬の尾を、テグス代わりに使おうと二三本抜いたところを、友だちの勝っちゃんに見られてしまう。そんなことしたらどうなるか知ってるのかと。
気になって仕方ない主人公。とっておきの下り酒をあてがって聞き出そうとするが、一杯やりながら勝っちゃん、もったいぶってなかなか教えてくれない。
本当に、ストーリーの全くない噺である。酒の飲みっぷりと枝豆の食いっぷり、気の持たせかただけで乗り切る、高い技術の必要な大変な噺。
こんな噺で飽きさせない師匠も素晴らしいし、ついていく客も偉い。
話が無限ループになってからは、時事ネタも放り込む。お騒がせ議員(今井絵理子ほか複数)のネタでしっかり笑いも取る。
でも、地噺みたいに「地に返ってウケる」というのではなく、あくまでも噺の中で、友だちが無駄話をしているという態を崩さない。だから、噺の世界観は壊れない。
珍しい噺をはじめて聴く客は、気を持たされてついていける。だが、サゲを知っている客もまた、のんびりした噺の雰囲気を味わい、とても楽しい。

うちの家内は、たまに寄席についてくる。家内が好きなのは、喬太郎・一之輔・菊之丞・白鳥・彦いちといった師匠。
だが、文蔵師のことは今まで意識したことがなかったとのこと。
この日の「馬のす」を聴いてたちまち文蔵師のファンになったそうだ。
うちの小学生の坊主も、先日の「笠碁」にいたく感動したのだった。まあ、文蔵師の実力的にはあたりまえですがね。
昨年の襲名後も、破竹の勢いを続ける文蔵師。もはや、無頼キャラで目立っているだけの存在ではない。

***

仲入り前は講談で、宝井琴調先生。
噺家の層は厚い落語協会だが、講談は結構貴重である。芸協の寄席に行くとよく聴けるけど。
ネタは落語でいうところの大岡裁き、「さじ加減」。講談のほうでは「人情」が頭につく。
ちょうど数日前に、入船亭扇辰師匠の「さじ加減」も自宅で改めて聴いたところであった。その噺とほぼ一緒。落語と講釈の違い、ほとんどない。
地の説明の割合までほぼ一緒だ。まあ、私は講談と落語をあまり区別せず聴いているので、全然構わない。
それにしても、クスグリまでそっくり。講釈のほうがもちろん元祖だろうけど。
落語では決してメジャーな噺ではないが、今年に入って黒門亭でも聴いた。そのときは三遊亭歌奴師。
結構好きな噺だ。もちろん、大変スカッとするいい噺だけど、それだけではなくて、「事務管理」という法律論を扱っているところが面白いのです。
「法律上の義務がない者が、他人のために他人の事務の管理を行うこと」である。
実は証文を受け取っていないので身請けが無効になっている中、医者の若先生が、頭のおかしくなってしまった芸者のおなみを治すため、高い薬を使って治療をするというのが噺における事務管理。若先生は他人のためにやっているわけではないのだけど、「実は自分のためではなかった」ことを認めざるを得ないところから、さすが大岡様、見事なレトリックを繰り出す。
さすがは名奉行。
ただ琴調先生、ちょっと噛み癖が気になった。講談こそ「立て板に水」じゃないのか。

三遊亭天どん「ハーブをやっているだろ!」

休憩挟み、クイツキは三遊亭天どん師。本日の楽しみのひとり。
マクラで、休憩後のお客を取り込む「クイツキ」の役割説明をする。
「お客さんが食いつくようにってんで食べ物の名前の私が出てるわけです。ここに出た時点で今日の仕事は半分終わりです」。
クイツキのときはいつも言うのだろう。初めて聴いた。
実際のところは、クイツキは元気のいい落語をする若手真打のポジション。まあ、引き芸の天どん師、元気がいいかどうかは微妙だけど声はでかい。

流れ的には唐突だが、人間国宝いじりを始める。TVでやってたくらいだから、池袋でやるくらい屁でもない。
常日頃小三治師の芸に疑問を持つ私としては快哉を叫んだが、お付き合いの拍手はそんなに多くない。一部に強い賛同を得ていたが。
翌月の池袋上席の昼トリを務める小三治師、池袋の客はみんな好きみたいだ。来ようと思っている人もいるだろうし。
まあ、そんなふうに、場を自らアウェイに変えてしまっても平気なのが天どんというはぐれ噺家なのである。得するかどうかは知らない。
そこから(どこからだろう)、「ハーブをやっているだろ!」。天どん師のブログによると昨年一番掛けた噺らしい。
ガラガラの寄席、客ひとりの前で落語をしていた噺家が、そのひとりの客である刑事から、「あんな噺を堂々とできるなんて、脱法ハーブをやっているに違いない」と職質を受け、とにかく逮捕されそうになる噺。
この世とルールが最初から違っているところが、天どんワールド。「不条理」というほど気負ったものではなくて、ひたすらナンセンス。
寄席ではどういう噺が出るんだと刑事に訊かれ、この日すでに出た噺を織り込む。

「まず『新聞記事』ですね」
「どんな噺だ」
「嘘のニュースで他人をかつぐ噺ですね」
「詐欺罪だな。逮捕。次は」
「それから『平林』です。漢字を適当に読んで嘘を教える噺」
「詐欺罪だな。逮捕。次は」
「次に『お菊の皿』です。お皿を9枚まで数えるとか言っていて18枚数える噺」
「詐欺罪だな。逮捕。次は」
「あとは『馬のす』です。馬の毛抜いたら大変なことになると友だちを騙して、飲み食いする噺」
「詐欺罪だな。逮捕」
「あ、今日の噺みんな詐欺だ」

実は隠れて全部「詐欺」という一点でツいていた本日の演目。

三遊亭歌る多「つる」

天どん師も、古典・新作両方こなせる人である。どちらも人気がある。
この日の流れとしては、新作派の喬志郎師も古典(一応)をやっているので、そろそろ新作を出してもいい場面ではあった。特にクイツキだから、パアッと盛り上げるには新作はいい。
しかし、トリの喬太郎師が新作をやりたいようだと、新作かぶりをしてしまう。トリを立てる他の演者、いろいろ気も遣うのだと思う。
多分、喬太郎師はこだわらないのではないか。それこそ、この流れでトリにマクラを振らずに「宮戸川」なんて掛けてもよかったのかもしれない。

ヒザ前は、横浜で喬太郎師のサポートに忙しく、池袋に来れない歌武蔵師の代演で、姉弟子の三遊亭歌る多師匠。
「新聞記事」が出ているのに「つる」を出したからくりはよくわからない。本当に喬太郎師へのパス出しなのかもしれない。
それはともかく、小太郎さんの「新聞記事」と空気がまるで違うので、耳への違和感はゼロ。
「つる」は、「道灌」「雑俳」「一目上がり」など、冒頭部の同じ噺が多いので、しばらく聴き込まないと演題がわからない。
だが、その間進む、大家と八っつぁんの会話、極めて耳に心地いい。
歌る多師匠、まったく知らないわけではないが、こんなに上手い人だったろうか? 衝撃。
前座がうっかりぶつかったのだろう、楽屋の太鼓が一声鳴ったのを、すぐに噺に盛り込むアドリブも見事。
「つる」をやりながら、登場人物の口を借りて、地噺のようにしばしばエピソードを入れ込む腕もすばらしい。
「『つる』なんて噺は、ストーリーもなんにもないんだよ。寄席というのはこういう噺をやるところなんだな」
「笑わせるのは、一門の歌之介にまかせておけばいいんだ」
「この噺は、先代円楽師匠がいちばん嫌ってた噺なんだよ」
なんて。
でも、盟友の歌丸師匠の得意な噺でもあるな。
ちなみに、先代円楽と犬猿の仲であった円丈師も、大嫌いな噺だと著書に書いてたっけ。

また寄席で、歌る多師匠を聴きたいな。
今秋真打昇進する柳亭こみちさんなど、古典落語が上手いので、女流のパイオニア的扱いをされているところがある。
私もそう思っていたのだけど、そのずっと先輩の女流で、こんなに圧倒的に高い技術を持った人がいるのだ。
なにせ「女真打」第一号だ。今は女真打というものはない。
女流落語界も、こちらの認識以上に層が厚いものだ。
ちなみに、歌る多師と、あの「泰葉」がユニットを組んだと聴いたときにはたまげたが、そのユニット「歌る葉」はもうやらないのだろうか。そっちを聴きに行く気はまったくないけど。

ヒザの夢葉さんも、いい客に囲まれて爆笑のマジックでした。
素晴らしい池袋演芸場。

作成者: でっち定吉

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