両国寄席1(三遊亭竜楽「ちりとてちん」)

最近たて続けに池袋の落語協会の寄席に出掛け、ハイレベルの満足を味わっている。ほぼ毎回、「今回は最高だった」と思わせられる。
それを再度ブログに起こし、追体験するのは非常に楽しいものだ。
毎日落語のことを考えて、寝るときにも聴いてるので、正直お腹いっぱいでもある。
だが、なかなか行けない夜席に行くチャンスが到来した。
ファンなのになかなか聴けない、三遊亭竜楽師匠にお目にかかれる。
「お江戸両国亭」に行ってまいりました。この寄席に行くの自体初めて。

両国寄席は円楽党の席であるが、各団体の噺家さん、色物さんが混ざるという、ここだけにしかない番組。
当代円楽師も夢見る協会合流後の未来が、ここ東京の片隅、両国でひっそり先取りされている。
夜席だけで、毎月15日まで。顔付けは毎日異なる。そういう部分は、寄席であって寄席でない。
そういえば、芸協入りした円楽師、両国にはもう出ないのではと予想したのだが、まだまだ円楽党として顔付けされている。

8月の両国寄席は、好楽会長の誕生月だということで、「ピンク」色のものを持っていけば、1,500円の入場料が1,000円となるサービス実施中。
ピンクのタオルがあったのでこれを持参し、千円で入れてもらいます。安く落語を聴くためならなんでもするのだ。

夜席は時間を持て余す。昼とハシゴをするには、落語のお腹がいささか満腹気味。
時間を潰す場所のない両国で、一杯やってから繰り出すことになってしまい、結局無駄遣い。
夕方5時半の開場を、待ってたのは私ひとり。
ひっそり開場した両国寄席だが、前座が出るころには「つ離れ」した。最終的には30人くらい入っていたか。なかなか盛り上がってます。
マンションの1階スペースを区切った、妙な配置の寄席。
ステージの位置が低いので、噺家さんは大きな箱の上に載って演ずる。色物のときは箱を後ろによける。
パイプ椅子の座り心地がなかなかいいのは嬉しい誤算。

結論からいうと、この日の両国、素晴らしい内容であった。
談志も亡くなって久しいのに「立川流」だけがエリートだといまだに思い込み、「円楽党」を馬鹿にしている落語ファンはまだまだいるらしい。なんとまあ、現実に目を向けない可哀そうな人たちではないでしょうか。
池袋演芸場で、落語協会・芸協のハイレベルの芝居を楽しんでいる私が、この日の両国は素晴らしかったと声を大にして言わせてもらいますよ。

じゅうべえ/ 八九升
楽大  / 蛇含草
世之介 / 応挙の幽霊
こ~すけ
談幸  / 町内の若い衆
楽松  / 宮戸川
(仲入り)
栄楽  / 半分垢
久美
竜楽  / ちりとてちん

前座のじゅうべえさんは、スウェーデン人。
日本語の日常会話は上手いのだが、落語はまだ上手くない。まあ、話の種にという以外のものではない。
つんぼのマクラを3つほど振って、「八九升」。これは、圓生一門が代々、入門者に最初に教える噺。円丈師も弟子に最初に教えているはず。

トップバッターは楽大さん。笑点特大号などで見かける。
「蛇含草」は、それほど聴かない噺。円楽党では兼好師がやるようだ。鯉昇師や、木久扇師も持っているか。
東京には、同種の「そば清」がありますから。
でも、上方の演出そのままの「蛇含草」、なかなか楽しい。
太ってる楽大さん、餅を食べる仕草がおいしそう。餅を食べ過ぎ、下の方に詰め込もうとする仕草もいい。
ちょっと噛むところはあったけど、陽気な高座でいいですね。
「そば清」もそうだけど、最後人間がひとり死んでしまう噺であるから、明るいまま終わらないと聴けたものではない。
落語協会の二ツ目、春風亭一蔵さんと、ちょっと雰囲気がカブる楽しい噺家さん。

金原亭世之介「応挙の幽霊」

次に金原亭世之介師匠。落語協会から両国へは、この前日になんと三遊亭白鳥師が出ている。両国でどんな高座を務めたのか観てみたかった。
世之介師、層の厚い落語協会の寄席では、そんなにお見かけすることもない。
調べると、実際に寄席にはあまり出ていない。2月の国立中席では、鹿芝居を取り仕切ったひとりのようだが。漫才もしていたらしい。
下手な人は寄席に呼ばれないが、逆必ずしも真とは言えない。隠れて上手い噺家さんは、落語協会の場合は黒門亭に顔付けされていたりするのだが、世之介師はそこにも最近出ない。

幽霊のマクラを振っていたので、この時季はまあ「お菊の皿」だろうと思っていたら違った。「応挙の幽霊」である。
今、この噺をやる人は兼好師くらいしか知らない。落語協会所属のゲストが、円楽党の寄席で「応挙の幽霊」をやる。なんと面白い。
形よく、幽霊も色気に満ちたいい噺でした。
掛け軸から抜け出した幽霊が、だんだん酔っぱらってぞろっぺえになっていく、その造型がすばらしい。
よく考えたら、「酔っぱらう女」というのは落語にはあまり出てこない。あまり出てこないからといって、違和感のあるキャラでいいわけはもちろんない。
また、ハメものが見事。今日のゲストとしっかり打ち合わせて三味線と鐘太鼓を合わせる、円楽党の下座さんと前座も大したものではないでしょうか。
商売で不当に儲ける噺でもあるものの、女房の七回忌を盛大に弔いたいという理由付けもちゃんとあるので、悪い雰囲気は一切漂わない。
本日のヒットでした。お目当て前に、これだけでも両国まで来た甲斐があるくらい。
世之介師のブログに詳細が出ていて、先代蝶花楼馬楽から教わったとのこと。

ジャグリングの「こ~すけ」さん。パントマイムのように喋らず、目で笑わせる。
客いじりもスマートで、実に楽しい芸だった。けん玉も上手。
失敗もしっかり吸収してしまう見事な芸。
ちゃんと笑いもたくさん入っていて、寄席向きでもある。ブログを読むとお忙しい中で、寄席にそれほど出ているわけでもないらしい。
国立演芸場の花形演芸会あたりに呼ばれるといいのに、と勝手に思った。

立川談幸「町内の若い衆」

立川流出身、現在芸協客員の談幸師。「町内の若い衆」。
笑いどころも多くて実に楽しいものだった。
といっても、むやみにウケさせる芸ではない。じわじわいい雰囲気を積み重ね、情景を立体化していく玄人好みの芸。
口の悪いカミさんが、全然いやな感じのしないところが素敵な芸である。口の悪さ自体は相当なレベルだけど、それが気持ちよく聴こえてくるのは師の人柄でしょう。
立川流のときも、芸協でも談幸師を聴いたが、この日がいちばんよかった。サンプル数は少ないが。
「町内の若い衆」には、腹ボテのおかみさんが、その事実が客に知れる前にタバコをふかしている場面がある。
現代感覚からすると違和感を覚えてしまう。あくまで現代の感覚だから気を遣い過ぎることもないんだろうけど、談幸師はこの部分カットしていた。さりげない気遣いと解釈する。決して必要な場面じゃないし。
「寄席に出たい」と言って芸協に移ったことがよくわかる、寄席向きの芸だ。
最近、マクラで毒づくのが談志一門の使命だと勘違いしているという、立川流の了見について長々と批判をしてみた。
談幸師のような、常識的な了見でしっかりウケさせる人を、立川流は少々ないがしろにし過ぎたのではなかろうか。その自覚もないまま。
芸協に移って本当に正解だと思った。
これで談幸師、噛まなきゃいよいよ素晴らしいのだが。

***

三遊亭楽松「宮戸川」

仲入り前の楽松師は、ここ数日天気が悪いですねと振って、雷がキーワードになる「宮戸川」。
圓生の雰囲気を残した芸である。セリフが芝居じみている。
若いふたりより、圧倒的におじさん夫婦の造型がいい。
ずいぶん老成した人だが、調べるとまだ若いのだな。

仲入り後、チョンマゲの栄楽師は、なぜかちょっと林家が入っている。やたら高座を叩く人。まあ、明るくていいですね。
相撲ネタでは珍しい「半分垢」。ネタバレしているタイトルなので、ネタ出しのときは「富士の白雪」なんてシャレたりするが、ネタ出ししてやるような噺でもない。
くだらない噺で、好きだなあ。
古典落語の場合、だいたいおかみさんはしっかりしているのだが、この噺の場合、主役を張って笑わせる点が珍しい。
相撲ネタでよく掛かる「花筏」や「大安売り」も面白いけど、たまにはこんなのもやって欲しい。

ヒザのマジシャン、花島久美さん。若い頃は綺麗だったに違いない。
八代目朝寝坊むらくのひ孫なんだそうだ。お爺さん夫婦は漫才師だったという、演芸一家。すごいな。
さらっと沸かせてトリにつなぐ。

三遊亭竜楽「ちりとてちん」

1月に亀戸で聴いて以来、7か月振りの竜楽師。
7か月間、何度も聴きにいきたいなと思ったのだが、なにせこの師匠は国内ではお目にかかる機会が少ない。
内幸町ホールでの独演会が主たる活躍の場。ただ今月に関しては、浅草下席(芸協)に、兼好・萬橘という円楽党の人気噺家と交代で3日間の出番がある。
円楽党のように、一般的に聴く機会の少ない噺家さんを好きになるのはちょっと危険なところがある。
好きになった高座が水準を上回る出来で、実際の平均がずっと下だということもあるわけである。堀井憲一郎氏は、勘違いでそんな噺家を追い続ける悲劇について記している。
寄席で鍛えた自分の耳には自信を持っているし、それに竜楽師についてはCDを買って繰り返し聴いている。まあ、勘違いなどないはずだが、一抹の不安が拭えなかったりして。
そんなわずかな不安、今日の高座でふっとんだ。

ナリの大変綺麗な師匠である。
マクラはまたしても海外公演について。だが、海外公演ネタだけでたくさんマクラがあるらしい。前回聴いたのとは別で、「イタリア語の発音」について。
イタリアで、現地の言葉を使って落語をした際、イタリア人はその発音を褒めてくれたが、日本人にだいたい文句を言われるという。
「RとLの区別がついてない」のだと。確かに、イタリア語を教えてくれた在日イタリア人は、そんな指摘をしてくれなかった。
でも、ネイティブに言わせれば、イタリア人でも区別が苦手な人がいるので、特に問題はないらしい。
マクラで時間を気にしながら「今日はちりとてちんやります」と宣言していた。「知ったかぶり」という点で薄くつながるマクラから本編に。

時季的にはそろそろ聴き納めの噺。
トリにふさわしい噺とは思わないけど、この「ちりとてちん」なんと楽しいのだろう。
前回は人情噺の「阿武松」を聴いた。「笑いから解放されているのに楽しい芸」として私は好きになったのである。
だが、典型的滑稽噺の「ちりとてちん」、笑いどころはもう、非常に多かった。二度目に聴いた高座が、前回の水準を軽く超えていた。嬉しいですね。
海外公演もいいけど、日本人としては、TBS「落語研究会」や、NHK「日本の話芸」でも、竜楽師を聴きたいものである。

聴いていて、というか観ていて本当に嬉しく、楽しくなる噺家さん。
高座姿を眺めているだけでハッピーな気持ちになる噺家など、そうそういるものではない。
仕草が一つ一つ丁寧だ。無駄もない。
そして声がすばらしい。高く官能的な声。甲高いのではなくて、よく通るのである。
噺の流れによっては、立て板に水の喋りを魅せるのだが、そんな技をことさらに多用する「どうだ!」という芸はしない。

愛想のいい竹さんが、いつにない造型であった。
愛想がよくてヨイショが効くといいつつ、実は竹さん、少々変人である。変人性を強調して、この登場場面でウケさせようと思えばできるだろう。
ただ、ここでウケさせ過ぎると、噺のバランスが崩れるのだと思う。ここでウケすぎる「ちりとてちん」はあまり聴かない。
竜楽師は竹さんを、ウケ狙いではなく、ちょっとズレた人間の造型として徹底して作り込んでいる。
結果としてそれがやたらおかしい。

そして、口の悪い寅さん登場。
先代小さんの解釈によれば、ご隠居が好きなのは愛想のいい竹さんではなく、口の悪い寅さんのほうなのだという。寅さんも、自分をかわいがってくれる隠居のために、騙されたと知りつつ腐った豆腐を呑み込むのだと。
後半部分の解釈はともかく、隠居が寅さんを気に入っている様子は、竜楽師の「ちりとてちん」からも十二分にうかがえる。
寅さんは、決して根性の悪い嫌われ者ではない。なにか問いかければ、訊き手の予想したとおりの反応を返してくれるという、大変わかりやすく肚のない江戸っ子なのである。
そして、「灘の生一本」を、ニセモンでしょと悪態つきながら口にし、つい目もと口もとがほころんでしまう、やはりわかりやすい寅さん。
客目線でも、この寅さんは「生意気だからこらしめてやれ」という人間には映らない。
人のいいご隠居の企んだちょっとしたゲームに、客も一緒に参加するというほんわかムード。だから、最後まで楽しさが続く。
ざまみろという爽快感を味わうのではなく、隠居と寅さんとが協力して作り上げたゲームを楽しむので、いやなところは微塵もない。

竜楽師の落語は、本当にこちらを包み込んでくれる。いつまでもこの幸せな世界にひたっていたくなる。
海外公演で師匠に出逢う現地の人にもきっと伝わるのではないだろうか。

竜楽師でハネて、楽しい楽しい両国寄席でありました。
昼席があればもっと来るのだけど。

その翌日は、続けて竜楽師を聴きに亀戸梅屋敷寄席へ行った。その件を。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。