上方落語界では、米朝門下の桂宗助師が「八十八」(やそはち)を襲名することが決まったそうな。
八十八は、故・米朝の俳名である。だから、八十八という噺家が過去に存在していたわけではない。
それどころか、亭号とセットで桂八十八と名乗った人もいなかった。
だから厳密にいうと「襲名」はちょっと変。
別にケチをつけたいわけではない。
真打制度のない上方落語界においては、区切りでおこなう披露目は、機会を作っておこなう襲名だけ。
実に大事なイベントだ。
木久扇・木久蔵のW襲名というものがかつてあった。木久蔵の名前は二代目なので襲名だが、「木久扇」という名前は過去に存在していたわけではないので、本当は襲名ではない。
父については「改名」が正確な日本語。これにも別に、ケチをつけるわけではないけれど。
イベントありきの襲名を否定する気はまったくないが、そもそも名前がないとどうにもならない。
名前さえあれば「橘家文蔵」みたいに、先代がいただけで、特に大きくなった名前でないとしても、襲名すれば格好がつくし盛り上がりもする。
八十八でも、名前があっただけいいのだ。
「宗助」は誰の弟子だかわからない名前だが、二番煎じの登場人物から来ているもの。珍しい名前の付け方。
東京では、今秋に五代目三遊亭金馬襲名がある。木久蔵襲名と同じ、生前贈与。
こちらのほうが名前自体ははるかに大きい。
当代四代目金馬師は隠居名の金翁になるが、これも「襲名」と書かれている。
やはり厳密には違うと思うが、イメージ的には襲名でいいだろうか。
小金馬という名称も空いているのだが、どうなるか。
そういえば、空き名跡にはどんなのがあるだろう。
襲名がありそうなのはやはり志ん生。まだまだ噂レベルではあるが、菊之丞師が着々と準備を進めている様子ではある。
志ん朝のほうは、一門からビッグネームが出てきたときに初めて話題になる感じだろうか。
そして志ん朝一門は残念ながら衰退の一途。菊之丞師と同じ圓菊一門のほうがむしろイメージが湧く。
文菊師なんかチャンスあるんじゃないか。
上方だと、やはり米朝。一代で大きくなった名前。
孫弟子の吉弥師に行きそうに思うのだが、一門の総帥であるざこば師の目の黒いうちは実現しないだろう。
松鶴は、笑福亭鶴瓶師が継ぐと思っていたのだが、なんの動きもないようだ。
冷静に考えると、68歳の鶴瓶師が、売れている名前を捨てて松鶴を継ぐメリットはさしてない。
まあ、当代文枝師は69で名前を継いでるけども。
その文枝師の前名である、三枝もどうするのだろうか。桂三度さんが継ぐんじゃないかと思うのだが。
東京では、最も大きい名前は三遊亭圓朝。
小朝師が継ごうと考えたが、止めたとか。そしてそのことを、名前を持っていた遺族と泰葉に罵られるという。
継いで罵られるならわかるけど、継がなくて罵られるというのは意味不明。
圓生は、騒動でもってよく知られたが結局塩漬けのまま。
継ぎたい人が、協会をまたがっているのでややこしい。
まあ、20年後に五代目圓楽一門の誰かが継いでいそうだ。その頃円楽党が残っているかどうかわからないが。
立川談志は、後継者に指名されている志の輔師が継がなければそのまま塩漬けか。
継ぎたいとはまったく思っていなさそうであるが、かといって替わって志らくに継げというなんてことはあるまい。
春風亭柳昇がそろそろ登場するのではないかということを、特に根拠はなく私はたびたび述べている。
こうして空き名跡を調べていくと、いかにもありそうに思えてならない。
さすがにまだご存命の人の跡継ぎを想像するのは失礼だが、当代のいない名前なら問題ない。
同様に入船亭扇橋、橘家圓蔵などが気になるところだ。
扇橋の一番弟子、扇遊師は継がないらしい。そうすると、可能性のある人は扇辰師しかいないと思う。
まあ、扇橋はずいぶん長いこと空いていた名前だったので、また空いてもいいのかもしれない。
圓蔵は、二代続けて圓生の遺族から借り受けていた名前だそうで。だから、そう簡単には継げないだろう。
圓蔵の一門には継げそうな人がいないし。
柳家つばめも空き名跡。六代目つば女の息子である柳家小きん師が継ぎたがっている。
だが、バックアップがないようだ。
かつてこみち師のために柳亭燕路師がくれと言ったのを、小きん師は断った。林家九蔵問題のときに、その要請がひどいと世間に訴えて出たのだが、なんら共感できない。
名前を自分で持っているなら、その名を継ぐこと自体は本人の権利。いつでもやって問題はない。
だが、寄席の席亭が披露目興行をやると言ってくれなければ、実質的にできないのである。
それよりは、菊生師の圓菊襲名のほうが近いだろうか。
とんとお見かけしていないので、力量のほうはよくわからない。
あと、空いている大きな名前は、春風亭柳枝とか、談洲楼燕枝(柳亭燕枝)とか。
どちらも長いこと開いているので、名前から想起されるイメージなど、なにもない。