システムとしての破門を考える(下)

師弟関係があるのは落語だけではない。伝統芸能にはだいたいある。
破門は師弟関係に、ある種必然的なシステム。
だが落語界の破門に問題があるのは、破門が師弟関係を解くだけで終わらないこと。
だから悲劇性も高くなる。
破門を受けると二ツ目以下は、協会・団体のメンバーであることを否定されてしまう。
このルール、すんなり理解できるようでいて、どうも釈然としない。
二ツ目というのは、羽織が着られる、一人前の身分なのである。自分で客も呼べる。
なのになぜ、破門に対しては抵抗ができない?
落語協会など、二ツ目の破門に手を差し伸べることもできなくなっている。
破門という、師弟関係の上でのルールに、なぜ協会が積極的に手を貸すのだろうか?
こうやって移籍のハードルを厳しくするなら、師匠方に対して、安易な破門を戒める働きかけもしないと、バランスが悪すぎる。
そういう点を考えると、文蔵師が人間国宝に厳しい目を向けることは、大変大きな意味を持つように思う。
まあ、10年に一度の天才二ツ目が、なにかのはずみで師匠の逆鱗に触れて破門されたという場合は、必ず抜け道が作られるであろうことも容易に想像はつくのだが。

師匠が白といえばカラスも白。
師匠は絶対。弟子に何でも指示できるし、理不尽な命令もできる。そう思う人も多いかもしれない。
だが結局、すべての指示が成り立つのは、「破門」が切り札として存在するからだ。
師匠がよかれと思って下す命令を数々を拒否するなら、最終的には弟子は廃業するしかない。辞めませんと弟子が言っていても、「師匠に従わず噺家で居続ける権利」はない。
師匠が弟子を破門すれば、関係は終了。弟子に抵抗手段はない。
破門された弟子が、破門を撤回せよと師匠を訴えて裁判所の判断を仰ぐことはできない。
香盤から名前を抹消されるにあたり、協会に地位保全の申立てをすることもできない。別の師匠が見つかれば別かもしれないが。
破門されても噺家を続けたかったら、よその団体に潜り込むしかないわけだ。
こういうことがあるようだと、落語の団体が複数あるのも悪いことではないとしばしば思う。
まあ、5つも必要はないだろうが。

「立川志らくは魚河岸に修行に行くのも、破門も拒否した」なんてネタを反論に持ち出したりしないように。
「破門を拒否」はただの意思表示に過ぎず、弟子の権利でも何でもない。
「破門」について調べていくと、破門でも何でもないものが多数紛れているから気を付けよう。私の好きな三遊亭好楽師の、「23回破門」なんてのも、ただのネタである。
こういった、安易に語られる破門と、落語界におけるシステムとしての破門とをごっちゃにしないようにしたい。

噺家はしばしば、師匠が絶対だという話を持ち出す。マクラでもよく語る。
だが、実のところこんなルールなど誰も信じていまい。
説明できない処分をしたときの免罪符として、念のため用意されている共通認識に過ぎないと思う。
人間関係にはいろいろな形がある。談志のように、先代小さんの頭を引っぱたける弟子だっていたのである。
ここで、「談志は最終的に破門されたろ」などと言ってはいけない。別に頭を引っぱたいたことでクビにはなっていない。
この破門には、ごく形式的な意味しかなかった。

「芽が出ないならクビ」を最初から言い聞かせて弟子に採るのが立川談笑師。
この一門に関しては、弟子の適性を明確に見抜いているようだ。
残った弟子が、吉笑、笑二、談洲。
あいにく、システム的に廃業せざるを得なかった弟子を聴いたことがないが、残った人がすばらしいウデなのは確か。
その、一門限定のシステムが正義だとは思わないが、小三治よりはよほどきちんと見極めをしているとはいえる。

人間国宝柳家小三治、崇め奉られているけども、もう少しその黒い正体を明らかにしていく必要があるものと、少なくとも私は考えている。
「人徳者の国宝が処断したならそれは正義だ」なんて思い込むのは浅はかというものである。

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作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 検索でここに辿り着きました。

    破門に関して共感できるところがありました。

    丁稚定吉さんは文才があると個人的に思うので大袈裟ながら(方向性は違うかも知れませんが)圓丈師匠のご乱心みたいな落語界に警鐘を鳴らす本をお書きになられたら良いのではないかと思いました。

    タイトルは「落語界を蝕む問題の落語家」みたいな感じで。この落語家はいいと勧める本は色々ありますが大胆な外部告発の本はあまりないと思うので

    今後のブログも期待しております

    1. コメントありがとうございます。
      小三治という人、落語ファンみなが好きなようですが、その正体はとてつもなく気持ちの悪い人だと以前から感じております。
      またコメントくださったら幸いですが、ハンドルネームは別のものにしていただけたらと思います。「通りすがり」は悪口用の名前でしょう。
      私もかつてYahoo!ブログ時代に「通りすがり」で悪口書かれましたから。

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