さすがの寄席も、ついに28・29は休みが決定となった。
なにやら私までいろいろ申しわけない気持ちで、25日の寄席の模様を続けます。
番組トップバッターは通常二ツ目だが、この芝居では真打も普通に出る。
この日は林家きく麿師。
人に褒められるのは嬉しいものだが、他人から、間接的に褒められるというのはこれまたものすごく嬉しいと。鈴本ではん治師が褒めてくれていたらしいという話。
きく麿師を褒めている、はん治師のモノマネを再現する。
さらに歌わせてくださいと言って「コロナの歌」を歌う。自動車ショー歌の替え歌を、得意の小林旭で。
1番の歌詞が「コロナ」で終わる歌である。
それから、今日はおとなしめの噺をしますねと言って、その実爆笑の一席。
きく麿師だけは、他の新作落語家と、噺の作り方の方法論が異なる。
ストーリーには入りこまず、徹底してシチュエーションにのめり込むのである。
最近、笑点特大号で出していた「寝かしつけ」なんて典型例。
落語協会では珍しいのだが、芸協の昔昔亭桃太郎師の流れを汲むかもしれない。作品より演者が前に出る人。
もっとも桃太郎師よりは、ずっと作品寄りの作り込み方だ。他の人が演じるのはかなり難しそうだが、やってできなくはなさそう。
どこかの田舎が舞台。2人の老人が会話をしている。
老人の会話、それも自分たち自身、老いを十分に受け入れている人たちであり、話は何度も同じ所をぐるぐるまわる。
話は、二人の好物であり、しかし老人には危険なお餅について。
二人の話の中に、五郎さんという仲間の老人が出てくる。五郎さんは、どうやら喉に餅をつかえさせ、死にかけたらしい。
同じ所をぐるぐる回りつつ、楽しそうなふたり。最後に五郎さんも現れて、楽しそうだな、話に混ぜろと。
お餅の話しかしていないふたり。
いきなりの大爆笑。ご本人の言う通り、地味なムードの噺なのに。
感心するのは、少々ボケが入っている老人を描写するのに、毒がないこと。
老人がこの噺を聴いても、なんら不快には思わないはず。毒がなくても強烈に楽しい噺は作れるのである。
なあ宮治よ(私の心の叫び)。
そしてそのムードは、非常に古典落語とも親和性が高い。ストーリーがなんにもない噺なのにも関わらず。
昨年末のM-1で、サンドウィッチマン富沢がミルクボーイの漫才を激賞して、「おじさんが二人、コーンフレークだコーンフレークじゃないって言ってるだけ」と言っていたのを思い出した。
きく麿師の新作落語「おもち」は、おじいさんがふたり、お餅の好きな食べ方を言ってるだけの噺である。
よく観察すれば、とてつもなく丁寧にこしらえていることがわかる。スローボール主体の配球だが、ところどころチェンジアップが混ざるのだ。
林家正雀師は「隣の男」をしますと予告。言わないとなんの噺かわかりませんのでと。
髪を染めるのをやめて、真っ白な頭の正雀師はカッコいい。
こんな超ベテランが、2番手で出てくるという番組もそうそうあるまい。
この芝居でも、正雀師と時蔵師で、2回トリにネタ出しされている噺である。
タイトルだけはよく目にする。名作なのであろうと期待する。
作者は、微笑亭さん太という天狗連の方で、新作台本募集入選の常連。
審査にあたっては作者の名は伏せられるので、ネームバリューで選ばれるわけではない。
長野に仕事で行き、日帰りがイヤで一泊する正雀師自身のエピソード。
ビジネスホテルでの怪談をマクラに振って、本編へ。
だがこの日のすべての落語の中で、この噺だけがまったくわからなかった。申しわけない。
なんだかとても変な噺に感じてしまった。
ビジネスホテルで、わざわざ挨拶をしにくるという、異常な隣の男がいる。
最終的には、フロントに除霊の相談をするという。
この展開自体は突飛だけど、新作落語に極めて重要な飛躍でもあるのだ。なのに、どうしてこんなに違和感を覚えるのだろう。
正雀師は私の大好きな演者だが、結局、噺が演者に合わないということなんだろう。
ふざけた演出でもって、ごく軽く演じる人ならぴったりかもしれないなと思った。
この日出てないけど、柳家花いちさんなんか似合う気がする。