池袋演芸場22(新作台本まつりその6 柳家喬太郎「東京タワーラブストーリー」上)

東京タワー・ラヴストーリー/赤いへや

散々楽しんだ新作まつり。ついにトリの喬太郎師。
昨年も同じ噺のネタ出しだったが、なぜ来なかったか思い出した。子供が熱出したためだった。
私はこのところ、喬太郎師を寄席で聴くときは古典ばかり。師は新作も普通に寄席で出してるのだけど。
喬太郎師の古典落語は大好き。昨年は、居残り佐平次と花筏を聴いた。
昨年の新作台本まつりに来れず、翌4月上席に行って聴いた居残り佐平次など、2019年ベストといってもいい一席だった。
でもたまには新作も聴きたい。台本まつりだから当然自作ではないが、喬太郎師は自作以外もみな楽しい。

喬太郎師、私はこの池袋で前座修業をしたことがないんですよと。
建て替える前の池袋では前座に入りましたけども、建て替えてからは仕事をしていないんです。
今日、スマホの充電をしようとして、コンセントの場所を前座さんに聴きました。池袋はいつも出させてもらってますけど、あ、コンセントの位置知らないんだなと自分でびっくりしました。

そして、31日の余一会の中止の釈明。今日のお客さんに、チケット買ってくださった方がいるかわかりませんがと断りつつ。
絶対いるでしょうね。私も検討したもの。
中止にしたのはお席亭の側ではなくて、私の判断です。今日みたいに、寄席として出させてもらっているのはいいのですが、自分の会だと責任があるので。
でも、浅草と鈴本の余一会には出るんですよ。上野なんかさん喬一門会です。
あいつ、あいつじゃねえ師匠ですが、やめないんですよだって。
(結局は、さん喬一門会も含め、浅草昼席以外すべて中止になった)
そして会が次々中止になったもので、久しくしゃべってません。落語の仕方忘れるんですよ。
マクラってどう振るんだっけ。
時間がたくさんあるもので、マクラや新作のネタ、かなり思いつきます。でも、喋る機会がないのでどんどん忘れますと喬太郎師。
時間があるから、こういうときは稽古すると思うでしょ。誰がするかよー(絶叫)。
喬太郎ファンの人なら、この口調、脳内で再現できると思う。

しかし喬太郎師の悪態は、実に持ってなんとも軽い。
桂宮治さんの悪態だと、しばしば本当に突き刺さってくるのだが、この違いはなんだろう。
喬太郎師の場合、常に「ウソだよ~ん」というメッセージで悪態がコーティングされているからだ。
芸は人なりという標語は、つまり虚実を描き分ける際の、コーティングの質のことを語っているのかもしれない。
さらにいうなら根本的に、コーティングの下にある、ちらっとうかがえる本音部分に大きな差があるのだろう。
まあ、宮治さんをいちいち引き合いに出すことはないのだけど。

CDでは東京タワーラヴ・ストーリーというタイトルで収録されているが、恐らく当時差しさわりがあったのだろう。
池袋のプログラムの表記どおり、東京タワーラブストーリーと記載します。本家東京ラブストーリーに合わせて。
師匠には気の毒ながら、そのCDからYou Tubeにも多数違法アップロードされている噺。だからすでに聴いている。
新作落語といっても、先の鉄道戦国絵巻のように繰り返し楽しめる噺もあれば、一度聴くとネタバレになってしまってさして楽しめないものもある。
で、東京タワーラブストーリーに関しては、一見、知っているとそれほど新鮮に楽しめなさそうなタイプの噺である。キャラクターの強烈な意外性を打ち出した物語だから。
でも、今回この席に来るにあたって、そんなことまったく躊躇しなかった。ぜひ聴きたいと思わせるなにかがある。
なんでだろうとよく考えてみたらわかった。これはつまり、人情噺なのである。
バカ言えって? いや、本気でそう思っている。
これは、人間の感情のほとばしりを描いた作品なのだ。
生まれてこのかたモテたことのない男の、出会い系でのマッチング。そしてそれを利用する若い女の東京に対する恨みの激情。
噺から感情がほとばしっている。
泣ける噺だけが人情噺ではない。こんなおかしな噺もまた、一種の人情を描いている。
そう考えると、マクラにおける喬太郎師の狂気もよくわかるではないか。喬太郎師もまた、噺家がのきなみ仕事を失い、閉塞感が漂うこのツラい世の中において、感情をほとばしらせているのだ。
東京タワーの展望台は、感情をほとばしらせる場として、実にふさわしい。

続きます。

 

鬼背参り/落語の大学

作成者: でっち定吉

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