池袋演芸場22(新作台本まつりその7 柳家喬太郎「東京タワーラブストーリー」下)

ウツセミ/孫帰る

 

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面白いことに、この噺の時代背景を迷う喬太郎師。
スカイツリー以前、東京といえば東京タワーだった時代を設定しても別に構わない。だが、時代背景に大きな価値のある、ノスタルジックな噺でもない。
出会い系で知り合った可愛い女の子の写真を先輩に見せる主人公。プリント写真か、スマホか、どちらを出すか迷っている。
そんなことで迷う喬太郎師、俺はもう古典で生きようだって。SWAも復活するのにね。

先輩に、彼女を連れていく街の相談をするくだりが、喬太郎節。元の台本にはなかったんじゃないだろうか。
喬太郎師は東京中の街の個性の違いをいつも考え続けているという、珍しい人である。
地方出身の登場人物に仮託することもある(例:華やかな憂鬱)が、師自身は東京生まれの横浜育ち。
先輩に相談しつつ、実はすでに東京タワーに行きたいと彼女から聞いている主人公。なので浜松町で集合。

青森から出てきた21歳のみゆきちゃん、ブリッ子の仕草がとてもかわいい。
なぜか写真と全然違う。加工した写真よりも、さらにかわいい。
意味ねえパネマジじゃねえかと主人公。
喬太郎師、ブリッ子を披露しながら、ひとつだけ言わせてくれと脱線。これ、三遊亭白鳥の芸じゃないか!
その後、ガラの悪い文蔵と、妙にたちの悪い菊之丞も登場。
これらもまた、演者の感情のほとばしりのたまものである。
ちなみに、白鳥の芸じゃないかと師はいうものの、私に言わせれば喬太郎師しかやらない芸です。白鳥師だとブリッ子しても、かわいらしさを踏まえず直接ギャグになる。
さん喬師や、菊之丞師も、「喬太郎の新作に出てくる女みたいな」という表現を、高座でしている。それだけ、架空の人物に変なリアリティがあるのだ。
リアリティたって実在の人物らしさでもなんでもなくて、架空の世界でのリアリティ。
喬太郎師、禁煙条例に対する憤りも、どさくさに紛れて叫んでたっけ。
吸わない人もいるんだから分煙だという、自らの欲望を控えたこだわりなのが、とてもキョンキョンらしい。
それはそうと、喫煙者とコロナとは極めて相性がいい。師匠も気を付けたほうがよくないですか。

増上寺にも興味を示さず、東京タワーを目指しまっすぐスタスタ歩いていくみゆきちゃん。
そしてエレベーターではなく、階段で昇ろうという。一歩一歩踏みしめていきたいのだと。
この先が、感情のほとばしるこの噺のハイライト。
私の目からはまさに人情噺。

現代のスカイツリーも無視しないで、主人公に、どうしてスカイツリーじゃなかったのと言わせている。
特に説得力のある回答ではないが、楽しいギャグとして働く回答がこれについている。

いつも咳が気になる師匠だが、こんなご時世なので咳をぐっと我慢(想像)。
いつも以上に気にして聴いていたので、喬太郎師がまったく咳をしなかったのを確認済み。
東京タワーの展望台まで登って息を切らしている描写の際に、ストーリーに合わせて初めて咳をする。
そして、「咳するのも命がけだよ。ここ来る前、有楽町線で咳したら席立たれたしな」。

起承転結の綺麗に付いた楽しい噺なのだが、やはりこの、感情の強さに引き付けられる名作でありました。
当分落語を聴けないかもしれない。締めくくりが喬太郎師で本当によかった。

ところで、届いたばかりの東京かわら版4月号の冒頭、SWA復活特集を見ると、林家彦いち師が上の噺家に絡まれたことが書かれている。
「なんでもやればいいってもんじゃねえんだよ、お前と白鳥と喬太郎」。
いまだにこんなこという人が、落語界の偉いさんにいるんだね。
権太楼師なんかいかにも言いそうだと思ったのだが、あの師匠はこんな、ただの嫌味として言うことはあるまい。
言った人間、勝手に小三治だと思うことにしました。たとえ言わなかったとしても、思ってはいそうだし。

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二廃人/サソリのうた

作成者: でっち定吉

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