落語最強のアホバカ(天狗さし)

 

落語のアホバカキャラは愛おしい存在である。
私は東京の落語も上方落語も聴く。
上方落語といえば、私の中では「喜六」だ。この愛すべきボケ役は、東京の落語には出てこない。
東京にも「与太郎」がいるけど、与太郎と喜六とはかなり役割が違う。与太郎も喜六も、東西で対応する噺では、無名の人物になっていることが多い。
与太郎は同じ名前でも、噺によってキャラクターが大きく異なる。
いっぽう、「喜六」という人は、どの噺でも、同一人物が頭に浮かんでくる。
この違いはなかなか面白い。それだけ、喜六というキャラクターは普遍的、類型的なのであろう。与太郎のほうは、いろいろな噺に入れられて便利なわけだ。

与太郎や喜六以外にも、いろいろなアホバカキャラがある。
中でも「粗忽」キャラは目立つ。「堀の内」「粗忽長屋」「粗忽の使者」「松曳き」。
いずれも大まじめな人たちばかり。常軌を逸していると、まじめなほうが面白くなる。最後のふたつなど、お侍の噺である。
「猫と金魚」の番頭さんのような、「金魚鉢」と「金魚」と「水」とを分けてしか考えられない変わった人もいる。
これは自閉症スペクトラム系の特徴のひとつで、たぶんまわりにこういう人がいたのだろう。作ったのは「のらくろ」の田河水泡。
こういう中途半端にリアルな人物造型だと、笑うに困ることもある。

さて、上方落語にも「喜六」とは違うアホがいた記憶があった。
米朝の速記本で読んだだけだったかもしれないのだが、強烈なため頭に残っていたらしい。
天狗のすき焼きの噺だったな・・・と思って検索したらすぐわかった。「天狗さし」だ。
さっそくYou Tube で米朝の噺を確認した。

このアホはすごい。
アホではあるが、ちゃんと商売する意欲は高いのである。甚兵衛さんのところに今日も商売の相談をしにいった。
甚兵衛さんは、この男のことは嫌いではないらしいが、少々面倒くさそうである。
といのは、この男の過去の相談が、こんなものだから。
「10円札を9円で仕入れて11円で売る」
甚兵衛さんが、「どこ行ったら10円札いうもんが9円で売ってんねん」と訊くと、
「まとめて仕入れたら安うなりまへんか」。

今日は今日で本題の前に、
「餅をつくとき、杵を振り下ろしたあと、振り上げる力がムダなので、上にも臼を置いてついたらいい」。
「どうやって餅の入った臼を上に止めとくねん」と問うと、
「さあ、それをあんたに相談に来た」

このアホ男、甚兵衛さんをなぶって楽しんでいるのではない。大真面目なのである。
そしてこのたびの相談は、「食いもん屋を始めようと思う」というもの。
「烏天狗ちゅうもんがおまっしゃろ。あれをすき焼きにしたら食いとうなりまへんか」
「そやなあ、まあいっぺん食うてみたいわなあ。そやけど、天狗ちゅうもんはどっから仕入れんねん」
「さあ、それをあんたに相談に来た」

なんでも、もう手付まで売って、すぐに内装工事に取り掛かる手はずになっているのである。
いよいよ邪魔くさくなった甚兵衛さんから「京都の鞍馬山にいてるんとちゃうか」と言われて、京都まで天狗を捕獲に行く。

この人が落語界最強のアホだと思う。
名なしのキャラであるが、明らかに喜六ではない。喜イ公はこんなに計画的でも行動的でもない。
甚兵衛さんが愛想づかしをしている噺も珍しいと思う。

先人も、よくもこんなキャラを生み出したものだ。モデルくらいはいたのかもしれないが、人物の骨格は一から創造したのではないか。
キャラが立ちすぎているがゆえに、「喜六と清八」をスタンダードとする上方落語の中で埋没しかけたのではなかろうか。
人間国宝米朝師が復活させた噺であるが、サゲがなんのことやらわからず、解説が必要である。教えてくれた先人にもサゲの意味がわからなかったのだと。
しかしサゲまで行かなくても、「天狗さし」はアホの価値だけで、後世に残して欲しい噺である。サゲは作ればいいではないか。

(追記)
その後ラジオで、米朝一門に連なる桂雀太師が、サゲを改変した「天狗さし」を掛けているのを聴きました。
いたく感銘を受けました。

作成者: でっち定吉

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