亀戸梅屋敷寄席8 その2(三遊亭竜楽「片棒」下)

片棒は大変好きだが、豊富なウケどころの全部でしっかりウケる必要のある、かなり難しい噺なのだと想像する。
よく笑うおばちゃんがいる客席に合わせて出したのではないだろうか。
人情噺のすばらしい竜楽師だが、爆笑のほうもすごい。過去聴いた中でも最高の片棒であった。
でも、既存の演出から外れた部分はごく一部。
先人によって練りに練られた、ウケどころ満載の噺だが、それをことごとく満点でクリアしていく竜楽師。
私の脳内にも、多くの落語ファンと同様、無数の師匠によって焼き付けられた片棒のテキストがある。それを、ことごとく踏襲する竜楽師。。
とはいえ予定調和的な楽しさはしっかり味わいつつ、実際には先が全部わかってしまう落語などではまったくない。意外性があるわけでもないけども、それとは別の次元で楽しさが下りてくる。
脳内に焼き付けられた既存のテキストを、上から強く刻み込んで、私を強く揺すぶってくれる。
なぜそんなことができるのか。秘訣自体は簡単なのかもしれない。竜楽師の演技力が極めて高いからだ。表情もまたすばらしい。
噺全体のバランスを取っているとおぼしき部分もある。芸者衆の男髷であるとか、このあたりしつこく説明したりすることはまったくなく、どんどん先に進む。
いいのだ、客は逐一理解して聴くのではなくて、次男の作りだした巨大な渦にすでに呑まれているのだから。

先週聴いた遊雀師からは、既存のテキストの上を行く見事なコメディを味わった。
竜楽師は、テキストの活かし方が全く違う。でも、どちらも楽しい。こうやって、落語の世界観が脳内で増幅されていくのです。
その芸を聴きこむと、独自の部分もちゃんとある。爆笑が続く中で、意外と奥ゆかしい。長男に、向うを向け、そのまままっすぐ進め、後ろを振り返るななんて。
次男の祭りの際には、セスナ機が飛んできて空に「赤螺屋」を描く。
旦那である赤螺屋ケチ兵衛さんは、多くの片棒では狂言回しである。その構造自体変えているわけではないのだが、竜楽師のケチ兵衛さんは、もう少し主体性があるようだ。
金を湯水のように使う長男、次男にあきれ返ったケチ兵衛さん、三男のときには実に満足げ。

片棒自体、よくできた噺であることにも改めて気づいた。
片棒のハイライトは、なんといっても次男である。散々お祭り騒ぎをしてみせ、散々盛り上げて去っていく。
でもこの後、三男が待っているのだ。そこをしっかり乗り切らないと尻すぼみになりかねない。そして、その三男はオマケではない。
竜楽師はそこをどうクリアするか。盛り上がりを鎮静化させつつ、次のエピソードを別の方法論に切り替えて楽しく語る。亭主が懺悔した後さらに続く、「替り目」の後半みたいなイメージ。
それまでと違う性質の楽しさに満ち溢れている。この結果、噺のバランスも非常にいい。バランスいいから爆笑でも聴いて疲れない。
親父の主体性というのも、これに貢献しているらしい。客に、3番目のエピソードは違う楽しさが漂う部分であるというメッセージだ。

落語ファンとしての幸せを噛みしめながら、亀戸を後にしたのでした。

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作成者: でっち定吉

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