西葛西・イオン寄席の古今亭駒次

タダより安いものはない、が私のモットー。
どうやって安く落語を聴き、かつ満足するかをいつも考えている、そんなコストパフォーマー丁稚定吉がお届けします。
ただの貧乏人じゃないかよ。心はいつも豊かです。

古今亭駒次さんを聴きに平日昼間、入場無料の落語会のため「イオン葛西店」まで行ってきました。
電車で1時間近く掛かるんですけどね。落語は三席、わずか1時間。
無料でも、好きじゃないと電車賃使ってここまで行けない。興味ない噺家さんだったら行きませんけど。

西葛西という街に降りたのも初めて。飲食店が多くて、単身赴任のお父さんには住みやすそうだ。単身赴任の心配をすることはないですが。
駅の脇に、ワンカップを持った高齢者が座り込んで一杯やってるのも、また街の風情。
イオンは駅から少々離れている。その4階のオープンスペースに高座がしつらえられている。
10分前に着くと、会場はお爺ちゃん・お婆ちゃんでいっぱい。毎月やっていて安定したファンがついているらしく、思いのほかの大盛況。
席もたくさん用意されていて、池袋演芸場よりも多いくらい。それがほぼ満席。
いいですね。落語聴く江戸川区民に悪い人はたぶんいない。

今日の高座を務めるのは、駒次さんと、前座の三遊亭あおもりさん。
駒次さんが二席務め、あおもりさんは開口一番ではなく間の一席。

駒次  /ガールトーク
あおもり/水屋の富
駒次  /生徒の作文

二ツ目の中では、圧倒的に忙しい駒次さん。寄席に呼ばれない真打よりよほど忙しい。
「待ってました」の掛け声を受けて、「親戚を呼んでおくとこういうときいいですね」。
「待ってました」の返しにもいろいろあるが、返す必要性があるのは声が掛かる人だけだ。

年寄りを自分のペースに引き込むスピードが速いのなんの。
最近、駒次さんをよく聴いている。マクラをたくさん持っている人であるが、さすがに初耳のマクラはなくなってしまった。
ただ、いつものマクラを、場所柄を考えて少々作り替えてくる細やかさが素晴らしい。
電車の中で、隣の兄ちゃんがスマホを覗き込んでくるので、「読まないでください」と打ってみると、兄ちゃん小声で、「は、読んでねえし」。
この定番マクラを、駒次さんが当日乗ってきた東西線の車内の話にしている。東西線のお客さんには愉快な人(毒多め)が多いと。
聴いたことのあるマクラばかりでも、すべてきっちり作りこまれており、やたら楽しいのですがね。
話術のしっかりしている人は(多少噛み癖はあるけど)、なにを喋っても楽しいのだ。

ガールトーク

持ち時間が20分以上あるので、マクラはたっぷり振ってから、ファミレスの話題へ。
あ、先日神田連雀亭で聴いたとき、やや滑っていた「ガールトーク」だ。にもかかわらず、期待でわくわく。
先日は、客がちょっと斜に構えていたと思う。
この日のよく笑うお婆ちゃんたちなら、喫茶店で一日中、他人の噂をしている奥さんたちの噺には楽々ついていける。

新作といっても色々あるのだが、「落語」としてよくできた楽しい噺であれば、聴き手の年齢など問わない。古典落語と同じこと。
駒次さんの新作落語は、大変に落語らしい。あたり前のことのようだが、そうとも限らない。
ただの噂好きのおばさんたちの話だとおもっていると、盗聴やら北朝鮮仕込みの謀殺やらが出てくる。
鈴木さんの奥さんの縄張りで陰口を叩いた人は、KGB(カーゲーベー)ならぬ秘密組織「カーゲーグーチー」に消されてしまう。
むちゃくちゃな話なのだが、「噂好き」のおばさんたちには、最後まで共感が続いて楽しい噺なのだろう。
前回の連雀亭で、なぜウケなかったのだろうか?
今回、特に内容に変化があったわけではないが、大ウケしていた。ちゃんとウケる噺だったのだ。
まあ、高座は生き物。こういうこともあります。

年寄りにもよくウケる駒次さんの落語、新作をやりたい噺家さんには目標になるものだと思う。
だが、いいアイディアがあったとしても、なかなか客をウケさせるネタには昇格しないものである。
話術が伴わなかったり、世界観についていけなかったり。それでどこかで聴き手が脱落してしまう。
駒次さんだって、決してアイディア一発で勝負しているわけではないのだ。

三遊亭あおもり「水屋の富」

続いてあおもりさん。三遊亭白鳥師の弟子である。名前の通り青森出身。
真打昇進時は「三遊亭ねぶた」になると踏んだ。そうかな。
今日は前座の役割があって出ているわけではなく、堂々と自分自身のマクラを振る。高座に江戸の風を吹かせたいが、北国だけに北風が吹くと。
「普段はわけわからない新作をやってますが、新作は今日は駒次アニさんがいるので、私はわけのわからない古典をやります」。と言って、なんと「水屋の富」。
すごいセレクト。
そもそも「水屋の富」、さん喬師や白酒師、金時師がTVで掛けたものを聴いたことがあるくらい。そうそう掛からない噺。
前座だからといって、いろんなネタを覚えて悪いということはない。掛ける機会がすぐにあるか、自分に合うかどうかも関係なく、まず覚えてみろという教えが落語界には存在する。
白鳥師の弟子なのに、誰に教わったものか、よくこんな噺を持っているものだ。
天どん師みたいな、古典・新作の両刀を目指すのだろうか?
そしてまた、上手いとまではいわないけど、妙に味があって楽しい落語。
「水屋の富」がめったに掛からないのは、あまり面白い噺だと思われてないからだ。だけど、あおもりさんの噺を聴いて、あれ、こんな面白い噺だったかなと改めて思ったもの。
悪夢のシーンの扱いが巧みで、悲劇で終わる噺が楽しい内容に昇華している。

私は寄席が好きなので池袋によく行くが、寄席で前座さんが高座に上がっても、前座噺をするだけだ。あたり前だけど。
そこに上手い下手はもちろんあり、上手い前座さんのことはちゃんと頭の隅に入れておく。
だが、行くつもりはないけど「前座の会」なども世にはあり、そういう場所では前座さんは噺家としていろいろな噺を掛ける。
前座さんのそういう顔を見られてよかった。

生徒の作文

再び駒次さん。
無料のお客さんたち、拍手を頑張りすぎ、二席目はちょっとくたびれてきた。
高座を降りて、袖に引っ込むまで拍手し通しだとさすがにくたびれる。
すかさず、その事実を話題に振って、あとちょっとだから頑張りましょうとカツを入れる駒次さん。

この高座、横に小さなステップがついているが、これが簡易の踏み台で、駒次さんもあおもりさんも降りづらそうにしていた。客もすでに気づいていた。
駒次さん、その踏み台を手に取って客に見せ、「こんなのです。風呂場にあるみたいな」。
客の気持ちを読むのが本当に上手い。

学校寄席の話題を振って、懐から「生徒の感想文」を取り出す。
よくやってるネタだけども、これを「先日行った葛西の小学校」ということにして喋る。
「駒次さんの落語を聴いて、本当に久しぶりに心の底から笑えました」などの感想。
実はフィクションだなどとは一切言わない。虚々実々の空間が出現してとても楽しい。

それから、これは初めて聴くマクラだった。京都新京極にある「誓願寺」の話。ここは、落語の開祖のひとり「安楽庵策伝」が住職を務めていた寺で、落語との縁は今でも深い。
そこに知識なく訪れ、先代小さんや圓生の写真を見たという話。
この話題にしっかりオチを付けて爆笑を取ってから、落語の開祖に敬意を表して小噺「味噌豆」に。
ちゃんとやると一席の落語になる噺だが、ダイジェスト版。
これもまた、しっかりウケていた。これで降りるわけでないことはわかっている。

残り10分弱で、「生徒の作文」。
昔からある新作落語だが、枠組みだけ使って、中身の作文をどう作ろうと自由。滅びることのない噺。
春風亭百栄師などは、「今どきの作文」というタイトルでやっている。
駒次さんのは、ヤクザの家に生まれた男の子が、家の中の様子を無邪気に語る作文など。
冒頭の学校寄席の作文は、この噺のフリだったのだ。
つかみをとっておいてから、古典落語の楽しさも挟み込み、最後につかみと関連する新作で締めるというすばらしい構成。
噺を終えて、最後になぜだか三本締め。
遠くから来た私も満足だが、普段落語を聴いているかいないかにかかわらず、地元のお年寄りもみな満足しただろう。
やはり、タダより安いものはありません。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。