昨日はネタがなくてまた休ませていただいた。だがアクセスはおかげさまで、変わらず。
ご来場感謝します。
当ブログ、毎日更新という縛りはすでにやめている。それでも、少なくとも2日に一度は新記事をアップしていきたい。
「チェッ、今日も更新されてねえじゃねえか。サボんじゃねえよ、ケッ」と後ろ指を指されないようにはしたいと思います。
本日10日は、新宿末廣亭、柳家喬太郎師の芝居(夜トリ・急遽の入れ替え制)の千秋楽だが、結局私は仕事する。
しかも、落語について書く仕事である。
さらに配信落語に関わる仕事ももらった。頑張らねば。
左翼文化人批判をすると、とりあえずネタはできる。
実際、立川談四楼師についてひとつ思いついた。
でも政治についてやたら書いて、最終的に、落語好きでもないネトウヨ諸氏に、ツイッターで便利に引用されるのもちょっとなあ。
最近とみに思うようになった。
特に政治がらみのことにつき、本当にここまで書いていいか躊躇し、吟味するというのは人間として、社会人として当たり前の心掛けだと。
これを「自粛」とか「忖度」とか悪く解し、とにかくなんでもリミッターを外していればいいなんてことはない。
そこが、振り切った左翼文化人との大きな差だ。
だから当ブログだって、政治がらみの記事のアクセスがそこだけ少なかったとしたら、たぶんその方面について書くのはやめてしまう。
今のところそうなってないようだ。
私のブログなんで、好きなことを書く自由は持っている。だが、誰も読んでくれない記事に意味はない。
噺家にも当然、このバランス感覚は強く求められる。
毒舌の橘家文蔵師なんて、常日頃、吟味し過ぎるぐらい吟味している人である。
点ピン麻雀が話題になった際、師が絶対になにかしらツイートするだろうと思っていたのだが、探したけどなかった。
噺家は喋る商売。だが、気に食わないことをわざわざ声に出すやり方は、決して多数派ではない。
野球チームの贔屓にまで気を遣う商売である。お客が持つ千差万別の思想のどれかだけに焦点を当てることはしたくないだろう。
ではどうするか。一切触れないということで、逆に語ったりもする。
何度か書いているが、落語協会や芸協の噺家が、マクラで立川志らくについて触れるのを、まったく聴いたことがない。
「志の輔」「談春」については聴くのだ。だから、敵である志らくのネタを意図的に語らないのだと理解している。
ファンキーおかみの文春砲の直後に、国立演芸場花形演芸会のメンバーを集めた亀戸の落語会に行ったが、この件に触れたのはトリの好の助師だけだった。この人は円楽党。
古今亭志ん吉さんは、花形演芸会に「紙入れ」をネタ出ししていたのだが、この会では紙入れを止めてしまった。特に説明はなかった。
同じ意味で今、名前が出てこないがゆえに気になっている人がいる。ご存じ神田伯山先生(松之丞)。
特に落語協会の人は、本当に語らない気がする。芸協メンバーでも、宮治の名前は出るのに。
伯山について唯一語っていたのが、古今亭菊之丞師。池袋では、松之丞はクスリやっていますと。楽屋で大人しいのに、高座のハイテンションが説明つかないと。
それから、2月の本八幡の会。これは後で思い出したので記事には書いていないのだが、「菊之丞」の名前の後、私は「松之丞」が空いてるのでそれを襲名しますなんてネタを語っていた。
伯山先生のラジオ、久々に聴いたら、笑い屋を入れていたのがあまりにも気持ち悪く、すぐ消した。
TVバラエティのほうは見ていないのだが、かなり偽悪的なキャラを作っているらしい。
池袋演芸場が出てきた、アド街の会だけは見た。
ナイツのツッチーに喧嘩を売った話は有名だが、しかしながらアド街で共演していたナイツが、結構本気で伯山をdisり返していたのは実に面白かった。
特に塙さんが、伯山夫人(元池袋演芸場スタッフ)を本気でdisっていた。
伯山夫人はマネージャー兼プロデューサーのようだが、こういう裏方の人をdisるなんて、あまり聴かない。
なんだか、小朝師の通った道をそのまま進んで、小朝師のように行き止まりに入り込んでしまいそうな心配をするのだが。
どうなんでしょう。
ブログのネタは、やはり寄席で得るのが一番。
末廣亭の6月中席も、なかなかいい顔付け。しかも昼の主任、文治師の500円割引券が出ている。
円楽党や立川流は顔付けされていないが、上方のゲスト枠がある。
11、12日が上方落語協会会長の笑福亭仁智師、13、16が笑福亭松喬師である。
このどちらかの師匠の出る日に行きたい。
16日から柳家蝠丸師も顔付けされているから、16日に行こうかしら。
夜席まで居続けると、玉川太福さんもいる。
仲入り前の神田松鯉先生まで聴いて帰ればいい。伯山先生の師匠。