アニメ「昭和元禄落語心中」の落語/第八話

紺屋高尾

これは第七話で触れたが、ひとつ訂正させてください。
<トリでない菊比古が大ネタの「紺屋高尾」を掛けたら、師匠はなにを掛ければいいのか>と書いた。
第八回の画面をよく見たら、「八雲 菊比古 親子会」のネタが壁に貼られていた。芸が細かい!

一、平林 吉太郎
一、紙切り 明楽
一、紺屋高尾 菊比古
仲入り
一、曲独楽 中石堂桝太郎
一、居残り佐平次 八雲

師匠は「居残り佐平次」でした。
これなら「紺屋高尾」に負けてない。師匠、失礼しました。
・・・ただ、廓噺どうしの親子会ってアリなのか?

夏泥

師匠と菊比古が巡業に出ている最中、助六が高座で掛けている。
間抜け泥棒の噺だが、泥棒自身は間抜けというよりお人好しである。
もはや無一文で借金まみれ、怖いものなしの若者の、いうがままになってしまう不思議な泥棒のストーリー。
しまいには、若者は泥棒の有り金を巻き上げてしまう。ものを持たないより強いものはない。
大枚はたいてくれた恩人に向かって、「泥棒!」と呼びかけたり、「季節の変わり目にまた来てくんねえ」などと、洒落の効いた噺。
この若者、とにかく肝が据わっている。「さあ殺せ」というのは泥棒を見くびっているというより、ある程度本気でもあるのだろう。
こういう噺を高座に掛ける人も、肝が据わっていたほうがよろしい。助六はぴったりだ。
人間心理をよく見据えた噺でもある。ちょっとずつ要求をかさ上げしていくところは、裏社会の不当要求のやり口そのものだ。
現代にいたら、この若者は振込め詐欺でもやっていそうである。

船徳

みよ吉を誘って夕涼み中、助六のワンフレーズ。「四万六千日、お暑い盛りでございます」。
「また落語なの」とみよ吉に嫌がられている。
「夢金」も持っている助六、夏は「船徳」を掛けるのであろう。
もっとも主人公は「若旦那」で、この点身なりの汚い助六は向いていないと思う。菊比古のほうが向いているかもしれない。

くすぐり満載の楽しい噺である。
長くも短くもできる。長くする場合、前半船宿の若い衆を登場させ、旦那に叱られる前に次々悪事を自白するくだりを入れる。旦那はそれで皆を呼んだんじゃないのに。

古谷三敏のマンガ「寄席芸人伝」の最終話に「船徳」誕生秘話が掲載されていて面白い。
明治初期、東京に田舎者ばかり増えて、寄席で人情噺が受けなくなったのを機に、「船徳」を作ったとある。
ヒントとしては、安政の大地震後、職人が強くなったことを背景に、「たがや」「大工調べ」などができたということ。
田舎者が増えたと嘆くだけではなく、合わせていくことも大事だと考えたのだ。
そして、人情噺「お初徳兵衛浮名の桟橋」を大胆に改作してできたのが「船徳」である。
マンガはフィクションで、改作者である噺家は「三遊亭船遊」という人。洒落てますね。

実際の改作者は、初代「三遊亭圓遊」である。
このあと、みよ吉に迫る助六の前に菊比古が登場する。みよ吉と別れることを助六に告げる菊比古。
このあとふたりで飲んでいる際に、助六は言う「俺は時代に合わせた落語をする。変わらねえ落語はお前さんがやれ」。
前述の「寄席芸人伝」でも、船徳が受ける中で、変えやがってと苦々し気な師匠もいたのだ。古い芸能、落語につきまとう一生もののテーマですな。

死神

みよ吉と別れ、助六とも別れ、ひとり稽古する菊比古。
のちの八代目八雲の看板噺の稽古を始めている。
廓噺でなく、「死」の噺を始めているところに、悲劇を予感させる。

第九話に続く

作成者: でっち定吉

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