アニメ「昭和元禄落語心中」の落語/第九話

アニメ「昭和元禄落語心中」に出てくる落語につきいろいろ書いてみます。
いよいよ第九話。この回の噺はふたつ。

居残り佐平次

披露目興行で助六が掛けている。
協会の会長に嫌味を言われ、頭にきて会長の十八番をやることにした。
菊比古は「会長に稽古をつけてもらってもいないのに」とつぶやく。
確かに掟破り。
だが、前回書いたとおり助六の師匠は「居残り佐平次」を持っているのである。
直接の師匠から教わったのなら、自分の披露目の場であるしそれほど筋違いではないと思う。助六も師匠のが一番と言っている。
もっとも、自分の師匠に稽古をつけてもらった噺でもないらしい。
誰にも教わってない噺を掛けるとなると、さすがにまずい。これが破門への伏線のひとつである。
助六が破っているのは、なにも「落語界という特殊な世界のローカルルール」ではないのだ。この物語にも、そのような描写はない。
愛する落語が立脚している根底のルールをわざわざ破り、破壊する。このところに悲劇がある。

品川宿において、堂々と詐欺を働く噺。堂々と無銭飲食をしておきながら、どうか帰ってくれと頼まれるすごい男の噺。
「おこわにかけたか」
「旦那の頭が胡麻塩ですから」
というサゲは、意味がわからないから今はやらない。
今は、演者が考えたサゲを付けている例が多い。
先日亡くなった柳家喜多八師のサゲはこんなのだ。
若い衆が「仏のようないい旦那」に佐平次の正体をご注進に及ぼうとしているのを止めて、
「よしねえ。知らぬが仏よ」。

サゲの競作というと「死神」に似ているが、この噺はサゲに力を入れるものではない。
ほとんどの噺は、ないよりはあったほうが締まりがいいのでサゲを付けているにすぎない。落語は、オチていさえすればだいたいなんでもOKなのです。

古今亭志ん朝師のように、とんとーんと調子のいい噺家さんが向いている噺だ。女郎を魅せる部分は少なく、勢いのある人が向いている。助六にも間違いなく合っている。
だが、この喜多八師のものも味わい深い。ぼそぼそっとやる気のない師匠の喋りは愚痴る若い衆にぴったりな一方、佐平次に関しては、声を張って妙に調子がいい。
だからといって、ニンに合わないわけでないのだ。
噺家さんの懐の広さを感じさせてくれる。

紙入れ

菊比古が高座に掛けている。
廓噺から艶笑噺にもレパートリーを広げているようだ。
この噺のおかみさんは、色っぽいというより女の凄みを見せてくれる。亭主の前で間男とのきわどい会話を楽しめるのだから凄い肝っ玉。
これもみよ吉から仕入れた造型なのかどうか。みよ吉はたくましいけど、もっとピュアな気がするが。
当代桂文治師によると、先代文治は弟子に「紙入れ」「風呂敷」などの噺は決してやってはいけないと言っていたそうである。悪い女過ぎて、お客の気分が悪くなるからだそうだ。
確かにそうかもしれない。私も、陰気な感じがしてあまり好きでない噺。
だから、やるならカラっと楽しくやる必要があると思う。菊比古に果たしてカラッとできるだろうか。
記憶ベースであやふやだが、桂文珍師が確か、「実は亭主は全部知っていた」というサゲにして、怖い噺に変えていた。

第十話に続く

作成者: でっち定吉

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