浅草演芸ホールの芸協 その2(血液型漫談に憤怒)

もうひとつ批判を。いやなことは全部先に出そう。
漫談の新山真理先生。
いまだに血液型漫談なんぞやってる。
「刑務所に入る人はB型が多い。A型の人は少ない、B型に殺されてるから」なんて。

私は個人的に、血液型の話が大嫌い。
フリーランスになってもっともよかったことが、会社に行って、血液型の話題にいやいや話を合わせる義務がなくなったこと。
別に、過去に血液型で差別された経験などない。だが、かつてそんなことがあったとしか自分でも思えないぐらい、生理的な嫌悪が走る。
生まれ持った型のみで性格分類して悦に入る人間には、強い暴力性を感じてならない。
「O型はコロナに掛かりにくい」「O型は蚊にさされやすい」、こういう話題は別に構わない。これも本当にデータが揃ったのかどうかは怪しいし、実証されたのかもあやふやだが、少なくとも性格とは何の関係もない。

三遊亭丈二師の新作落語「1パーミルの恋人」は全然OK。大好きだ。
これは、彼女のお父さんがAB型が大嫌いで、あの手この手でAB型の彼氏を貶めようとする噺。
丈二師は、血液型の話題をちゃんとひとひねりして、差別の存在自体をギャグにしている。
だが、真理さんの漫談から感じたのは、露骨な、むき出しの暴力。

私が個人的に嫌だからこの話題止めろ? そんなわがままは言わない。
もっと客観的な立場で主張している。こんな資料だってあるのだ。

「血液型を扱う番組」に対する要望(BPO)

すでに2004年の声明だ。ヤラセ非科学番組「発掘あるある大事典」の問題勃発を受けて、声明を公表したもの。
「血液型 人権侵害」で検索して欲しい。いくらでも出てくる。
TVで取り上げることがすでに人権侵害の恐れありとして実質禁止されている素材。寄席ならいい?
それは、寄席は人権を無視する場所だと宣言するに等しい。
寄席は古臭い場所に映るが、昔から身障者に配慮を欠かさない場所でもあるのだ。

BPO声明が語るのは決して、「最も少ないAB型を差別しないでください」などという卑小な話ではない。血液型と性格を結び付けること自体の危険性について論じているのだ。
血液型の大好きな多くの人にとっては、「そんなにうるさいことを言わないで」となるだろう。
だが血液型、科学の装いがのっかっているだけに、星占いのようなフィクションを楽しむ文化と比べても、はるかにタチが悪い。
血液型に対する正確分類は、疑似科学の範疇を超え、「事実」としてそこいらに蔓延し、そしてあなたの知らない誰かを傷つけている。
人を生まれつきで決めつけるなんてのは、部落差別、民族差別と同根ですぜ。
この漫談が不快でならず、「●型の人?」と高座から客に手を上げさせるのを無視し、途中からずっと目をつぶっていた。

私は結構、人権侵害とか、そういった方面にはうるさいほうだ。
もっとも、インチキ左翼が、他人を攻撃する材料として人権を持ち出してくるのも嫌だ。
だから常に柔軟でありたい。日ごろから人権人権と、ことさら声高に叫んだりはしない。
それでも当ブログ、人権をテーマに書いたものもいくつかある。

たとえば、こんな記事。
落語と人権

Yahoo!ブログ時代の古い記事だが、こちらに引っ越した後でコメントをいただいた。
性的少数者の人からである。「男と生まれたからには、女が嫌いなわけがない」というセリフが廓噺で出てくるのが許せないのだという。
理解はするが、しかしなんとも。
今後LGBTに気を遣う噺家が抜いていくのはいいとしよう。だが、廓噺は、男がみんな女が好きだった共同幻想の時代から生まれた文化だ。
無自覚にこのセリフを発する噺家が許せないという投稿者に対しては、ちょっと違うんじゃないかと思った。
人権について述べた立場からすると、やや冷たいかもしれないコメントを返した。さらに傷つく結果になったら申しわけないと思う。

今回、真理さんの漫談を聴きつつ、このコメントを即座に思い出した。
この芸は、丈二師のように「血液型による性格診断を押し付けることで生じる、悲劇的な面白さ」といった高度な着地点を狙っているのではない。
血液型を世間が大好きだという前提は決して揺るがさない。強固な基礎の上で漫談を語っているので、私のように、そこに載れない人は極めて居心地が悪い。
ブログにコメントを残していった人の気持ちが今さらながらわかった。
コメント者は、「誤った前提の押し付け」にもっとも我慢がならなかったのだということ。今回の私と同じだったのだ。
「血液型性格診断が蔓延しているのが嫌だ」という人間が、なぜ一方的に圧迫を受けなければならないのか。
人権圧迫に無自覚すぎることのほうに、ずっと大きな問題があるのだ。

この血液型漫談、ご本人自ら語っていたように刑務所の慰問でしているのだと思ったら寒気がしてきた。刑務所のようなもっとも人権の抑圧された施設内で、人権抑圧漫談が繰り広げられているのだ。

まあ、寄席芸人でもナイツみたいに一流の人なら、どこかで気づくと思うのだがな。致命的なセンスの欠落。
というわけで、新山真理の人権抑圧漫談は二度と聴かないと思う。
どうしても避けられないときは受付で、「私、3万人にひとりの特殊な血液型なもので、日ごろから大変な目に遭っています。どうか血液型の話はしないでください」と申し出れば、ネタ帳にそう書かれて、このネタは封印されるだろう。
この人がいる以上、アロハマンダラーズを再度観にいくことはない。バンドのMCとしても、ずっとメンバーの血液型がどうたら言っていたし。

この日本当に楽しんだのかって? うーん、どうだろう。
振り返ってたら改めて、だんだん腹が立ってきたよ。
もう少しましな高座の話に続きます

 

作成者: でっち定吉

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