「Go Toでちょっと高い温泉旅館に泊まったら」に思う

息子は短い夏休み。家にいるときは寝るかネットにかじりついてるか。
その息子が、「Go Toでちょっと高い温泉旅館に泊まったら」というネタを教えてくれた。
当ブログの「世の中の落語を探す」ネタとしてなら悪くないかも、と思って覗いてみたのだが、そこまで面白くはなかった。
このツイートをパロッたネタ各種のほうがずっと面白い。

旅館のサービスである料理について、「こんなに食えない。廃棄前提なんていまどきのサービスでない。二度と行かない」。
最初は、同じ価値観を共有する人たちから賛同もあったが、じきにアホがいるぞと知れ渡り、あちこちから非難が寄せられ炎上。
そこまでなら価値観の相違だけの話なのだが、後が悪い。
意見を寄せてきた人をアホ扱いし、そして「友人に弁護士がいる。法的措置を採る」とツイートし返す。
ここが炎上の要素の大部分。
燃料を自分で投入しなければ、別段どうってことのなかった事件ではある。

しかしなあと思う。
元のツイートの真意は、「フードロス反対」にあるわけだ。
サービスのコスパが悪いという個人の苦情が混ざっているにしても、立派なことも言ってはいる。
痛い人には違いないが、この願い自体を、単純に否定できるものか?
この人がここまで馬鹿にされているのは、「食材を大事にして欲しい」を最優先に持ってくるがゆえに、その他のサービスに生じた対価に一切目が向かないから。
サービスに価値を見出す人たち、いいサービスをしようと張り切っている人たちを怒らせている。
フードロス重視の考えがあったっていいのだけど、いずれにしても視野が狭すぎる。
視野の狭い人については、全方位からツッコミが入る。

「原発反対」と雰囲気がよく似ている。
原発がなければないほうがいい。そこまでは、多くの人は活動家と同様に考えている。
でも、そこだけ引っ張ってこられると、多くの人は引く。
「ダム反対」なども同様。
しかし、自然破壊を許すなと叫んでいても、河川氾濫が続いただけでこの声は相当に弱まってしまう。

しかし、私も人のことは言えないなと、この茶番を眺めながらいささか反省していることがあるのだ。
先日出向いた浅草演芸ホールで、新山真理の「血液型漫談」に激怒した話はブログに書いた。
すでにTVは取り上げない、人権侵害ネタでいまだに商売しているのかと。

だが後日、私の大好きな三遊亭圓歌師も、歌之介時代に血液型ネタを披露していたことを思い出した。
漫談のタイトルだって、かつては「B型人間」だったのだ。
特にNHKでは、このネタはもうできないのだろう。だから「演芸図鑑」に漫談で出るときも、「笑いが一番」などのタイトルに代わっていた。
しかし、血液型嫌いの私、圓歌師のネタに怒ったことがあったか? 皆無である。
一応、今回の新山真理との違いは、自分の中で説明はできる。
圓歌師も、血液型というものを、人の個性の一部として扱ってはいる。そのことはちっとも好ましいとは思わない。
だが、師は少なくとも、人に序列を付けていなかった。
だから不快感はなく、そして聴いた私も、すっかり忘れていたのであった。

圓歌師は、このネタ止めたところでまったく困らない。実際、思うところあって止めたのだろう。
決して、長いものに巻かれて終わる人ではない。歴代総理を斬りまくるネタだって持っている。
NHK日本の話芸で、「キリンは夜行性。アサヒを嫌う」などと言って攻めまくっている人だ。実際には、最近のNHK、単に民間企業の名前が出てくるというだけではカットなんかしないのだけど。
だから血液型のネタもしっかり、現代社会で出していいネタではないことまで理解してやめたのだと思う。
この点、やはりセンスが違う。

とはいえ。
ブロガーである私自身の課題は残る。
血液型漫談を非難するにあたり、私の発信は正しい方向に向いているのだろうかということである。先の廃棄前提炎上おじさんを念頭に置いて。
「血液型による性格分析」が絶対に許せない、この信念は変わらない。
だが「絶対に」と言っている時点ですでに、フードロス反対、原発反対と似ている。
安倍政権だけは許さないというアベガーとも。
いつも、柔軟でありたいと思っている私自身が、そうでない人たちと同じになっているとは。

血液型だって、喜んで話をする人がざらにいるから、需要があるのだ。
身内にだっている。私の母親など、「あの人はOだけど親がBだからBに近いO」などと平気で言う。
当人は大真面目なのである。
こういう人たちから、「この丁稚定吉という人、私たちをいつもバカにしてるじゃないのさ」と言われないほうがいいだろうなと、反省したのです。

怒りを生み出す、ひどい落語についてもしかり。
過去に当ブログでいくつか叩いた。基本匿名だが、たまには実名も出している。
「金を払ってこんなものを強制的に聴かされて」と心底腹を立ててはいるのだが、そうだとして、もう少しうまく回避すべきだろうなと思う。
まあ、こんなときは、客席で寝て逃げるのが一番です。
ブログのネタにする際はどうか?
まあ、新山真理よりは、圓歌師のほうでありたいと思う。
つまり、できるだけ面白く。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。