三遊亭遊雀「寝床」(上)

三遊亭遊雀師は、移籍から14年、芸術協会には欠かせない顔である。
その評価も高まる一方。
内輪のことは知らないが、仲間の評判も上々に思える。事実、披露目の口上などではよく司会に駆り出されている。
私の好きな池袋ではトリがないのだけど、新宿・浅草ではよく主任を任される。行かなきゃなと、ずいぶん前から思い続けている。
その遊雀師が、浅草お茶の間寄席に出ている。演目は寝床。
これがもう、寄席の時空を歪めるかのごとき強烈な一席。
私は現場で聴いたわけではない。現場にいた客しかわからない部分を想像と調べ物で補いながら、この一席をご紹介します。

テレビの公開収録ではなくて、たまたま行った寄席にテレビ中継が入ると、どんな感想を持つだろう。
テレビ放送の元が見られてよかったと思う人も、別の日に来ればよかった、テレビと2倍楽しめたのにと思う人もいるだろう。
だが、テレビの前の客に対して優越感を覚えられる人はめったにいないのでは。
それがこの日のお客さん。うらやましいね。

よく寄席で遊雀師がやるお遊びだが、前の演者の出し物をすべて織り込むという離れワザ。
仲入りあたりでやるなら、せいぜい前に出てきた人を素材にするくらい。だがトリなので、この芝居で出た落語・講談のすべてを織り込んでしまおうというのだ。
もちろん、テレビ視聴者にとってはここだけ切り取られているわけで、なんのことだかわからない。
何のことかわからないことまでギャグにして、目先の客のためにやってしまう遊雀師。さすが千葉テレビは緩い。

これだけではない。コロナ明けの寄席の苦労を、義太夫を語りたい旦那に被せるのだ。
客も、最初はよくわからなかったようだが、すぐに気づいて盛り上がる。

自分で一から作る新作落語はなんとなくわかるが、先人が掛けてきた古典落語というもの、演者の工夫とはいったいなんなのだろうと思っている初心者は多い。別に悪気はなかろうが。
だが古典落語だって、実は自分で作らないとならないのだ。一からではなくて、三ぐらいから。
そのことを知っていれば、この奇跡的な落語をほぼアドリブで作り上げてしまう遊雀師の天才ぶりに、少しでも迫れることだろう。

しかし実に不思議な師匠だ。爆笑の高座なのに、元の師匠権太楼のような「爆笑派」という形容が似つかわしくない。
ニヒル(死語)だからな。
爆笑が似合わないからといって、苦笑でも微笑でも、冷笑でもない。
芸協ならではの、鯉昇、蝠丸というタイプでもない。ちなみにこれらの師匠には「浮笑派」という称号を与えたい。
遊雀師は、「激笑派」でどうでしょうか。

ツイッターで左翼活動をしている立川談四楼師は、自己の著書でもって、移籍時の遊雀師(旧・柳家三太楼)を追放しろと吠えていた。立川流からよく言えたもんだ。
政治活動のほうはいいとしても、遊雀師を落語界の正義のために追放すべしとの主張、今改めて許しがたい。
遊雀師に勝る噺家が、いったいどれだけいるというのか。

遊雀師のトリは、6月下席前半。夜席の主任だった。
東京かわら版を見て確かめる。
その芝居のメンバーはこんな人たち。代演はあってもわからない。

  • 仲入り・・・桃太郎
  • クイツキ・・・遊かり(弟子)
  • クイツキの後・・・伯山
  • ヒザ前の前・・・圓丸・遊之助交互(兄弟子)
  • ヒザ前・・・笑遊

ツイッターで調べたら、この日以外4日間通って演題載せている人がいる。
それにより撮影日は6月21日(月)だと判明。交互出演は、圓丸師であったろう。
それにしても、コロナ明けの月曜夜の寄席で、実によく笑うお客。伯山先生の動員力なんだろうが。
ラジオのファンもいるのかな。いて欲しい。
伯山先生もいいが、それを触媒にして遊雀師のファンになった人もいるだろう。

なおヒザ前笑遊師に関しては、前週の放送で高座が出ていた。これがちょっとヒントになる。
文治師にごちそうになった笑遊師、たぶん末広亭のある新宿三丁目から都営新宿線に乗り、もうそろそろ本八幡に着くぞと思いながら寝ると、目が覚めたら笹塚だった。
笑遊師が「替り目」の冒頭で語っていたこのエピソードを、遊雀師が使っているのだ。

続きます。

作成者: でっち定吉

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