キングオブコント2020を落語の感性で語る

酒飲みの私だが、最近体に負担になってきた。
ひとりでワイン半分開けて寝たら、早朝に目が覚めた。仕方なく急遽ブログを書いております。

落語ファンの私、もともとお笑い全般好きなのである。寄席の色物さんだけでなくて。
小中学生の頃は、あきらかに落語もお笑いも同列で楽しんでいた。うっかりすると幼少の頃から落語だけ聴いて育ったような記憶になりがちなのだが、そんなことはない。
ただ、テレビバラエティと違う「演芸」というくくりは持っていた気がする。
今の子には、落語とその他を同列で楽しむ感性は、たぶんわかりにくいと思う。

お笑いファンが落語を聴くとは限らない。ただお笑い好きが理屈をこねだすと、結構落語に接近するという印象は持っている。
笑いのプロも、枝雀の「緊張と緩和」など持ち出してきたりする。
さて今日は、最初から落語のフィルターを通してコントを観てみます。

キングオブコント、毎年観ているわけではないのだが、今年はナイツのラジオで早くから放送予定を知り、楽しみにしていた。
M-1グランプリに比べると地味だが、しかしここで優勝した芸人がおおむね売れているのもまた事実。
昨年のM-1、採点しながら観たら新たな気づきがあってよかったのだが、本業が忙しいので今回はそこまではしない。

全10組、外れがまったくなかった点は素晴らしい。
優勝したジャルジャルについては、特にそれほどの感想がないのだ。別に嫌いではないので、おめでとう。
この日一番引っ掛かったのが2位のニューヨーク。
決勝のネタ、ヤクザの兄貴と弟分が、なんで帽子を被ったままなのかについてどうでもいいやり取りをする内容だが、とても面白かった。
だが、オチでもって、兄貴が弟分を射殺してしまう。
かなり引いたね。この引いた部分こそ、まさに私の中に巣食う落語の感性。
殺されたほうの屋敷が演技を終え、火薬がパンパン弾けるのをやりたかったと言っていたから、これこそまさに彼らのテーマであるわけだ。
採点陣は、松ちゃんにさまぁ~ず、バナナマンと男性ばかりで、誰も違和感を持たなかったようである。特にバナナマン日村は大喜びであった。
私だって、実にくだらないことで弟分を殺してしまう狂気のヤクザが面白いことはなんら否定しない。
でも、殺されて一気に引いた人、多かったと思うよ。特に女性。
落語の世界の感性だと、オチのために人を殺したりはしないところである。あたま山ぐらい?
ネタであっても、人が死ぬと感性の一部が覚める(冷める)わけだ。
ウケたとしても、反作用がキツい。私はウケたギャグの是非ではなく、反作用を取り出し批判しているのです。
あー、これではニューヨークは今後も天下取れないなと私は確信した。ベテランのジャルジャルが抜けたので次はチャンスだと思っているだろうが、そう甘くはない。
ただでさえ顔が怖いのに、顔に合わせた結末をつけることなどない。
昨年のM-1このかた一気に世間の共通認識になった優しい世界観に、ニューヨークだけは乗れない。
面白けりゃ時代がついてくる? お笑いモンスター明石家さんまですら時代に合わず老醜をさらしているというのに。

最終決戦に残れなかったチームでは、ロングコートダディが面白かった。
A1からD2までの段ボールを上げ下げするネタです。
現代社会に対する痛烈な風刺が含まれている社会派コントだ。芸協の寄席で観たいぐらいだ。
このネタを観ながら、先日三遊亭遊馬師が批判していた、前座が楽屋仕事をマニュアル化することの是非を思い出した。
結果的に目的(気働きを身につける)を阻害する楽屋のマニュアル化を批判する遊馬師に、全面的に賛同した私である。
だが自分の人生を振り返ってみると、遊馬師が批判する春風亭昇吉さんのような、旧態依然の仕事を合理化する仕事を私はずっと会社でやってきたなと。そして抵抗されたこともある。
ああ、このコントに出ていた、無意味な旧弊と私はずっと闘っていたのだな。
バイトの先輩は、自分の頭が悪いことをよく知っているので、効率を無視してとにかく自分の理解が追いつくように仕事をする。誰でもその珍妙さは理解できるところだが。
人生を振り替えさせられる秀逸な、文芸的なコントでありました。

落語好きとしては、ザ・ギースが寄席の紙切りを再現していて、なんだか嬉しかったです。
小田和正のジャケットの紙切り、誰か二楽師にでも頼んでみたらどうですか。

作成者: でっち定吉

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