狸の札 | きよひこ |
子ほめ | かゑる |
替り目 | 小辰 |
道具屋 | 三語楼 |
一風・千風 | |
という | 彦いち |
締め込み | 小満ん |
(仲入り) | |
湯屋番 | 正太郎 |
手紙無筆 | 文蔵 |
楽一 | |
ねずみ | 小せん |
やっと寄席に行けたので、撮って出しです。半年ぶりの池袋演芸場。ブログも休みがちですみません。
明日締め切りの仕事があるのだが、なんとかメドをつけて。
仕事を頑張ってから千秋楽の明日でもいいのだが、そうすると恐らく行けない。実際帰ってきたらあさっての締め切りが決まった。
行き先をちょっと迷ったのが、らくごカフェ。毎月第四火曜の「柳家花緑弟子の会」も気になる。
なんなら、その前に神田連雀亭のワンコインを付けてもいい。
だが、小せん師も聴きたい。季節ごとに聴きたい師匠だ。
春夏秋冬、柳家小せん。
ホームグラウンドを自認する池袋演芸場だが、コロナ明けの出動は、新宿、浅草、国立に遅れた。
池袋下席は2時開始と遅いのだが、ギリギリに着いた。大急ぎで演芸場のテナント、東京油組の油そばを食べてから入場。
池袋はテケツが前に乗り出してきている。そう改装したのは知っていたが。
小せん師が割引券を出してくれていて、1,800円で入れる。
3時間の寄席としてはすばらしい安さ。
お客は20人を超える程度。ちなみに客席は39名限定。週末は入場を打ち切った日もあったそうだが、平日だから大丈夫。
前座は1年ぶりの林家きよひこさん。おかっぱの女性。
きよひこさんすごく上手いのに、なぜか盛り上がってこない。おかしいぞと首をかしげるうちに終了。
前座はまあそれでいいのだが、2番手の柳家かゑるさんも同じような高座。
馬るこ師の影響下にある人という認識でいるが、普通に子ほめ。
かゑるさん、先のきよひこさんを褒めて「2番目に上がるからって前座より上手いわけじゃないんです」と自虐を吐いてから。
いろいろいじっているのにつるんとした子ほめであった。私、この噺好きなんでやや厳しめだけど。
落語って難しいですな。自分でやるわけじゃないけれど、つくづくそう思う。
二人とも、別にしくじってるわけじゃないのに。
いちいち前座噺で笑う客じゃないというのも大きいが。
別に逆らって「笑ってやるもんか」なんて意地が悪い客はいない。少々のクスグリだと消化吸収してしまうのである。
前座はNGだが、かゑるさんは新作掛けたほうがよかったんじゃないかなんて。
しかし、3番手の入船亭小辰さんはすばらしかった。
この人は1年半ぶりだ。ブログを引っ越す前の、日本橋亭の日本演芸若手研精会以来。
かゑるさんは小せん師の一門だから顔付けされているのだが、小辰さんはクイツキを務める正太郎さんともども、一門外の人。まあかろうじて柳家のくくりには入るだろうが、期待されての顔付けだと想像する。
なにがすばらしいかというと、マクラ一発でガラっと重めの空気を変えてみせたこと。
たまたま外で会った人に「あなた落語家さん? 落語協会? ああ、大変ですね」と声を掛けられたというもの。
落語協会と芸協の違いを知っているとは侮れないなと思って話を聴いてみると、「談志さんが出てっちゃってね」。いつの話だよ。
さらに「三平さんも落語ができなくてね」・・・どっちの?と悩む小辰さん。
つぶやかないでくださいねと小辰さん言ってたけど、なに、三平いじりは落語界の共通財産である。ただ、上手くもない人が言うと自爆するが。
このマクラも定番だったと思うのだが、義務的に語ってるわけじゃないということだ。
自力で空気を変えたので、あとは存分に腕をふるえる。
ベテランみたいな味わいのある「替り目」。
15分の持ち時間のため車夫は出ない。「一でなし、二でなし」と歌いながらロクデナシでガラっと戸を開けて亭主が帰ってくる。
すっかり忘れていたけれど、2017年6月に小辰さんから替り目を聴いている。今はなき、鈴本の早朝寄席。
帰ってから調べて思い出した。当ブログでは、「若いのに、なんで夫婦愛が描けるのだろう」とベタ褒めしている。
その際聴いたバージョンとはまるで違う。前回も褒めたその噺の痕跡はどこにも見当たらない。素晴らしいバージョンアップ。
わずか3年半の期間での、二ツ目さんの恐るべき進化の見本である。
普通にやってもいい感じの替り目なのに、さらに足している。
この亭主、嘘をつくときは下顎が前に出るのである。最初におかみさんからそう言わせているので、客はビジュアルでもって亭主が本心でないことを喋っているのがわかるという仕掛け。
そして、これがサゲにもかかわってくるのである。実にさりげなく効果的な、古典落語のいじり方。
年配の女性のお客さん、みなさんさぞかし喜んだことでしょう。
小辰さんの替り目からは、昔ながらの「外では威張っているがうちではからきし」とはちょっと違う、現代の香りが漂う。
現代の亭主は、もともと威張るシーンを持っていない。家の中でも、威張るのはあきらめて、主導権を取ったフリぐらいで我慢せざるを得ない。
そのあたりの低レベルでの攻防が今どきっぽいのだが、明治を通り過ぎた江戸までさかのぼればそんな亭主にはむしろまったく違和感がないのであった。
落語の世界とその空気が完全に内面に沁み込んでいる、すばらしい小辰さん。今日の大ヒットであります。