2番手は代演の蜃気楼龍玉師。
代演についてはなにも語らない。さっそく泥棒のマクラへ。
ウケない小噺の代表、仁王を振る。もちろん、客席もこんなので盛り上がったりはしない。
「真打といってもこんなものです」と自虐を吐いてから、今度は「鯉が高い」。
こっちは珍しめだし、ウケるのである。拍手まで飛ぶ。マクラの小噺への拍手はどうかと思うが。
常にワンセットで掛けるらしい。仁王をフリに使うわけだ。
黒門亭で、このセット小噺から入る「もぐら泥」を聴いたことがある。この日は違った。
ちょっと季節が違う気がするが、夏泥。
夏泥も人気の演目だが、まったく聴いたことのないスタイルだったので驚いた。
展開面では、泥棒に入られる大工が、泥棒が入ってきてもずっと寝ている。そして、バクチで全部失ったという描写がない。
泥棒が入ってくるのに気づいていない(少なくともそう語っている)ので、その後の展開がすべて違ってくるわけだ。だがこの点は大きな差に見えて、意外とそうでもない。
根本的に違っているのは、人物造形。
「さあ殺せ」と迫る大工のほうは当然ながら、これ以上ないぐらい肝っ玉の据わったおアニイさんでなければならない。これは誰の夏泥でもそう。
だが龍玉師に掛かると、あべこべに有り金巻き上げられる泥棒のほうも、最後まで肝が据わっているのだ。こんなのは初めて聴いた。
聴いたことはないのだが、圓生など昔の名人なら、こんなムードでやってたのではないかと思った。
ごく普通には、刃物を持った泥棒と、丸腰の大工との、力関係がガラっと変わってしまう点が楽しい一席。そうしてみると、泥棒がどこかで、大工を恐れるようになってしまうほうが、噺を作り込みやすい。
橘家文蔵師ですら、そうだもの。文蔵師の場合、演者がこわもてなので、ビビってしまうことでウケるという理由があるわけだが。
だが、龍玉師の泥棒は、最後までブルってはいない。その気になれば刃物もあるわけだし。
情にほだされて金を出してしまう点、泥棒本人もなんて巡りあわせだと嘆いてはいるのだけど、決して巻き上げられたわけてはいない。金をくれてやるという主体性は、最後まで失っていないのだ。
5か月貯めた家賃の2か月分、11円を出してしまい、ついに泥棒すってんてんになる。これが初めての外的要因。それでようやく、それ以上の金を出せなくなっただけ。
なるほどなと思った。
龍玉師のおかげで、この噺の本質、描かれた人間心理がちょっと見えた気がする。
悪人だろうがなんだろうが、「金を出す」という主体的な行為により、泥棒もなにかを得ようとしているわけだ。
金を出すことを義侠心と捉えても、あるいは同情と捉えてもいい。とにかく、本人的になんらかのリターン(満足感)を得るために金を出す。
だが、敵(大工)はそこに付け込んでくるのである。どういうことか。
泥棒が考えたのは、「この大工が仕事に行けるように金を出してやろう」ということなのだ。だから、その希望が完全な形で満たされない限り、引くに引けず、帰るに帰れないのである。
そこを見抜いた大工の人間観察力のすごさ。
ちなみに私には、落語を聴くにあたり、近年身につけた能力がある。
自分自身の感性と別に、お客の多数派の感性を感じることができるようになったのだ。自分自身と多数派とは、一致することが多いがそうでないこともある。
いずれにせよこの能力を身につけたことで、自分自身の感性にピタっとハマらない落語であっても、多数派の感性を用いてアプローチできるようになったのだ。
逆に、非常に楽しんだのに、自分が少数派だったとき、多数派の感性に邪魔されることもある。
龍玉師、徹底的に怖い。泥棒の啖呵も、大工の啖呵もかなり怖い。
夏泥のほとんどは、ちっとも怖くない。その点では龍玉師の夏泥、少なくとも現代の落語としては異端である。
どうなんだろう、客席の多くを占める女性にとっては?
怖いから引いてしまう人もいるだろう。いっぽうで、女性だからこそ、迫力あるおアニイさんにしびれる人もいるだろう。
そういった、他の客の感性が流れ込んでくる。ちなみに、男性の多くは怖いのが好きみたい。
私自身は、男にしては怖いのはあまり好きじゃないようだ。怪談なら好きだけど、暴力に紐づく感情が得意ではないのである。
でも、身につけた能力のおかげで、苦手な部分も含めてかなり楽しめた。
私自身の感性は、龍玉師よりも兄弟子、馬石師の平和な世界を好む。
でも龍玉師も、強い人気を持っている。この点が改めてよく理解できた。
ちなみに迫力あるセリフの中に、師匠・雲助が聞こえてきたから師弟関係は面白い。雲助師は、怪談でない怖い噺はしないだろうに。
そういえば雲助師の著書でもって、三番弟子の龍玉師だけ、師匠のふたりの娘さんにハマらなかったと書かれていた。
雲助師は、娘たちが思春期に入ったからだろうと思っているようである。
しかしこの日の龍玉師を見ていて、娘さんにハマらなかった龍玉師、その理由がよくわかる気がした。
まあ、いいじゃないですか、落語界にいろんな人がいて。