スタジオフォー四の日寄席3(下・古今亭駒治「オコッペ本線」)

仲入りの初音家左橋師は、百川。
過去2回来たこの会、いずれも左橋師がトリで、それぞれ見事な大ネタを聴いた。
だが百川という噺はなあ。なんだか、聴けば聴くほど飽きてくる。誰のでも。
どうしたもんでしょう。
噺がよくできすぎているのが欠点のようだ。アンジャッシュのすれ違いコントみたい。
枠組みがカチっとし過ぎていて演者が遊べないのである。
一之輔師ならそれでも遊ぶけど、遊んでよくなる噺でもないし。

仲入り休憩を挟み、柳家権之助師。ここから2分、走れば1分の所に住んでいますと挨拶。
文菊師の代演です。頭の格好は似てるでしょとツカミばっちり。坊主なだけだけど。
そしてマクラで拍手をしたりしなかったりする客のいじり方が見事で、客席が一体になる。
内容は全然大したこと言ってないけど。

ごく軽くやりますと、猫と金魚。
この四の日寄席、冒頭から仲入りまでの3高座は結構大きなネタもやるのだが、クイツキ(兼ヒザ)のこの出番は軽いネタ。そういう点が寄席っぽくて好き。
もちろん、軽い噺だからといってつまらないわけではない。この猫金が絶品でした。
権之助師は師匠・権太楼によく似ている弟子。笑いを狙うポイントもよく似ている。
だが、師匠と異なる味があるので、無理に師匠から離れる必要もなさそうだ。
師匠と明確に違うのは、番頭さんと寅さん、愉快なこの二人の登場人物の造形。
権太楼師の場合、この頭のネジの緩んだ人たちの破天荒振りは、常識人である主人のツッコミによって得られる。それ自体は、普通のこと。
だが権之助師の場合、ふたりが自立している。ツッコミなしで成立するボケなのである。
どうしてこういう造形にできるのか。演者が登場人物のボケ力を信じているからではないだろうか。抽象的だけど。
軽い猫金が、この日の大ヒットでありました。
昨年真打昇進の権之助師、まだそれほど寄席の顔付けはないみたいだ。昇進後なんて、よほどの売れっ子でない限りそんなもんだが。
だが、数年後には寄席の欠かせない顔になっている気がする。
この日のように古今亭・金原亭の芝居に入れてみたら、化学変化を起こしてなおよさそう。

トリは古今亭駒治師。
開口一番、「先月お休みでしたので改めて報告です。運転免許が取れました」。
7月に聴いたとき、教習所に通っていると聴いたが、その後取れたようで。
駒治師、もともとクルマが嫌いでしたと。23区のように交通網が張り巡らされた場所でクルマに乗るのも許せなかったそうで。
だがすっかりクルマ好きになってしまいました。クルマのことしか考えられません。
今までは雑誌を読むにしても鉄道ジャーナルだったのに、今やベストカー。
昔は宮脇俊三、種村直樹だったのに、今や徳大寺有恒。
クルマは、先があっていいですね。いいクルマにステップアップしていくたびにモテる。
その点電車は、いい電車に乗れば乗るほどモテません。

などと振って、やっぱり鉄道落語なのであった。
駒治師はよく聴いている。決してネタ数少ない人ではないが、新作なのでどうしてもネタ被りする。
聴きにくる際には、知った噺が出ることを覚悟している。
だが、初めての噺。タイトルだけ聴いたことのある「オコッペ本線」で嬉しい。

北海道でも辺境の地を走る、オコッペ本線がついに廃線となる。フィクションだが、オコッペ自体は実在した興部駅から来ているのか。
40代の主人公、中学生のときに家出して、オコッペ本線に乗ったことを思い出す。その際、乗客の老婆におにぎりを食べさせてもらい、お礼に西オコッペ駅から老婆の家まで、2時間の道のりを重い荷物を運んだのだ。
老婆に一晩泊めてもらい、旅費までもらって家に帰った。そのお礼がまだできていない。
もう亡くなっているかもしれないが、なんとかお礼をしたいと廃線の日のオコッペ本線に。
駒治師の落語にしては、鉄分やや低めだが、その分誰でも楽しめるだろう。廃線になると湧いて出る、葬式鉄を扱っているのだが、テーマはそこにはない。
新作落語を作る際、駒治師は必ず人情を盛り込んでくる。これが上手い。
爆笑の鉄道落語のほとんどのベースに、人情がある。
それだけでなく、オコッペ本線は異世界とこの世界をつなぐファンタジーでもあるのだ。駒治師の場合、意外とこういう作りは珍しいかも。
ネタバレしないよう心掛けると、書くことが少ないが。

ちなみに駒治師は新作しかやらない人だが、ベースには濃厚に古典落語がある。私なんか、そこが好きで仕方ない。
古典落語も、現実世界とファンタジーの境界線は緩い。だから狐狸妖怪、なんでも出てきていい。
こういう落語の世界は、新作にもシームレスにつながっている。
それからこのオコッペ本線、噺のベースにあるのは明らかに「佃祭」だ。
恩返しのはずが、別の救済を生むという作り、絶対そうだと思う。

聴けば聴くほど古典落語が噴き出す駒治落語であるが、語りの方法は古典と違う。
テンション上げて、リズムよく畳みかけるその語り、ますます磨きが掛かってきている。
でも、実はこれも講談から学んだのかもしれない。神田董花先生とも「ささはた寄席」やっているし。まだ行ったことがないが。

楽しい新作で見事に締まった四の日寄席でした。
代演のふたりもよかったです。

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作成者: でっち定吉

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