最近ネタ不足気味をつぶやいている当ブログであるが、本当は、ネタの元は無限にあるのです。
ただ、頭の中を漂っている落語に関するあれこれを、他人にわかるように伝えようとするためには、そこそこ時間と手間がかかる。果たして伝わってるかどうかわかりませんが。
いっぽうで、そのあれこれが突然ストーンと落ちてくる日もある。ちょっとつついたら落ちてきたネタをひとつ。
8月に「浅草お茶の間寄席」で流れていた三遊亭歌之介師匠の落語(漫談)を取り上げる。
師匠・圓歌没後の収録。5月下席夜の、菊之丞師のヒザ前だろうか。
ちなみに、つい先日も同じ演題の漫談が流れていた。別ものである。
こちらは、幕が締まるところを見ると仲入り前なので、8月中席のようである。
噺家さんの漫談、「ちゃんと落語をしろ!」と嫌う人もいるようである。
まあ、「落語研究会」や「日本の話芸」でもそうそう漫談は掛からないので、流すほうにもまた、ちゃんとした落語じゃないという意識があるかもしれぬ。
数少ない例外が、歌之介師の師匠、故・三遊亭圓歌の「中沢家の人々」。それから鈴々舎馬風師と林家木久扇師。
だが、漫談もちゃんと寄席のバラエティ化に貢献するものなのだ。バラエティ化のために色物さんが呼ばれているが、噺家さんだって古典落語ばっかりでは疲れてしまう。
そしてもちろん、上手い漫談もあれば、そうでないものもあるわけである。古典落語と一緒。
つまらない漫談を聴いて、「漫談なんて嫌い」なんて言うのは人生における大いなる損失だと思う。
といいながら、私のホームグラウンド池袋ではあまり漫談は掛からない。寄席のほうにも、そんな意識があるんでしょうかね。
圓歌・歌之介師弟の漫談は、それぞれ本当に完成されている。
師匠ともども、もっともっと「話芸」としての側面を世間が評価して欲しいと思う。今でも評価している向きもあろうが、さらに。
いずれにしても、同じネタを何度聴いても面白いというのはすごいこと。
好きな落語を繰り返し聴くのは当たり前だが、漫談もまた、芸として昇華されていると、繰り返しに耐えるのである。
TVで流れた歌之介師の高座、自宅で繰り返し聴いていると、そこにじわじわ話芸の力を感じる。
なにせ語りのリズムが最高である。アドリブにも強い。
豊富なネタを出し入れ自由。順序も問わない。
繰り返し聴く音楽に対して飽きないのと同様だ。
歌之介師の漫談は、幸い「浅草お茶の間寄席」ではよく掛かる。浅草らしいと言いましょうか。
人気の師匠だからNHKでも放送されるが、その場合は落語が多い。もっとも、この師匠の場合、地噺と漫談の境界線は極めて低い。
地噺は、セリフの応酬で進める典型的な落語ではなく、演者自身が語る落語である。演者自身が語るので、漫談とはシームレスだ。
歌之介師の場合「爆笑龍馬伝」などの地噺を持っている。
さて、「笑いが一番」。19分の長い高座。
ちなみに演目名、漫談の場合は何でもいい。前座さんが適当に書いておく場合が多いらしい。
だが、この演題は初めて目にする。
TVで掛かる歌之介師の漫談は「B型人間」とか「南国人情噺」などであった。まあ、これ自体適当なんだろうけど。
ただもしかすると、師匠が亡くなって、なにか変えてみたかったのではないかという気もする。
師匠が亡くなったからといって、中身は急には変わらない。いつものネタだ。
待ってましたの掛け声から、「親戚でもないのに声まで掛けていただいて、ありがとうございます」。
そして羽織を脱がず、オムニバス的にネタを振っていく。
弟弟子、多歌介師の毛髪バーコードネタから、そんな一門ですと師匠・圓歌ネタに。
師匠の生前からやっていた、温泉ネタ。露天風呂だと思って足湯に入っていたという。
だが、ここからがちょっと違うのである。いつものネタであるかのように、逝去直前、体調不良の師匠のネタで笑わせる。
100m先でも歩かなくなり、タクシーを呼べというようになった圓歌師匠。
食欲不振で栄養失調となり、そのために水虫が治ってしまった。
シャレで弟子に、検尿カップにお茶を入れさせる師匠。そして、入れ過ぎたお茶を看護師の前で飲んで見せる弟子。
だが、笑いが続く奥で、徐々に徐々にしんみりしてくる。
歌之介師の入門時、麹町の師匠の家で外車(アウディ)を見て「ぎっちょハンドル」にびっくりした話。
一生懸命笑わせようとする中で、気のせいかもしれないが、ほんのちょっと涙声な気がする。
時系列を自由自在に飛び回る歌之介師、圓歌師の再婚ネタに移る。仏壇の火が揺れて、前妻のOKが出たという。
このあたりは以前からやっていたような気も。
さらに時空を飛び回り、圓歌師が身延で修行したネタ。ここでオヤと思った。
水を被る荒行の修行中、心筋梗塞を起こして東京女子医大に運び込まれる圓歌師。病院から寺に行く人間は多いが、寺から病院に運ばれたのは圓歌師だけ。
このネタ、つまり圓歌師の「中沢家の人々」を、弟子の立場から語っているのである。
付け加えて、「悲しみの現場から」レポーターの東海林のり子が病院に、いつ師匠が亡くなってもいいように黒い服を着て来ていたと。
どこかでやっていたのかもしれないが、この部分は初めて聴いた。
私にはどうも、師匠が亡くなったので解禁したネタに思えてならない。
「中沢家の人々」は「授業中」や「浪曲社長」のように弟子が継ぐことはできないネタだ。
爺さん婆さん6人が集結していたというネタ自体がフィクションだし。
でも、基本フィクションの中に描かれるノンフィクションを、弟子が師匠の裏から語っている。ここに、伝承できない話芸の見事な伝承を見たのである。
笑って聴きながら、芸の伝承と師匠をしのぶ姿に感動しました。
寒さに弱いアイヌ犬ハナコのネタから、師匠のどもりの話。近所に住んでた小川宏の真似をしていたらどもりをうつされたという、これも「中沢家の人々」のネタである。
これもまったくのフィクションだと思ってた。圓歌師がどもりだということ自体嘘だと思ってる噺家も多いらしい。
だが歌之介師、「これホントの話なんです」。
虚々実々の世界を生きぬいて彼岸に旅立った師匠を、虚々実々のまま見送る歌之介師。
師弟関係っていいですね。
ちょっとしんみりした空気をそのままにせず、お得意の「肛門」ネタを振って楽しく去っていく歌之介師であった。
今のところ、亡くなった師匠のネタはもっぱら笑わせるために使っているが、たぶん人情噺風のネタも用意しているように思う。人情漫談「母のアンカ」でおなじみ歌之介師、いったん泣かせようと思えば、師弟関係でとことん泣かせてみせるだろう。
いつもながら見事な歌之介師の話術、客席との距離感の絶妙さにも感嘆する。
噺家さん、場合によっては「アハハじゃないの」なんて客いじりをするのだが、歌之介師のは、客いじりのように一気に間合いを詰めようとする芸ではないのだ。
前のめりになって次から次へギャグを繰り出す歌之介師であるが、決して客の神経に直接ぶっつけることはない。
客が自らギャグを拾いにいくレベルで止めている。この技術に「話芸」が満ちているのだ。
面白いのだが、自ら拾いにいった能動的な面白さだから、客は決して疲れない。
リズムがいいから客は楽しくて、積極的に参加したくなり、前に出てくる。
ギャグが伝わらないとき「まだわかってない方いらっしゃいます」と言ってウケを取るが、そこにわからない人を責めるような雰囲気は微塵もない。
人さまのブログを見ると、歌之介師は地方の独演会でよく「圓歌を継ぐ」という話をしているらしい。
どうやら具体的な話のようである。遺族(おかみさん)が賛成し、一門に反対する人がいなければ全然問題ない話。
襲名、楽しみですね。
今やっている立花家橘之助襲名披露も、圓歌襲名の時期と関係があるのだろう。