はち好 / 子ほめ
兼太郎 / 浮世床
とむ / よいしょ太郎
愛楽 / 親子酒
チャーリーカンパニー
道楽 / 大安売り
楽麻呂 / 縁切り榎木
(仲入り)
朝橘 / 本膳
中喜利
竜楽 / 男の花道
私にしては極めて珍しく、ひと月前に買っておいた円楽一門会。三日間開催の三日目。
ホール落語のようでもあるが、会場は国立演芸場。その中身は毎月20日までやっている、落語協会、芸術協会の定席と大差ない。
定席なら東京かわら版割引を使って1,900円なのに、円楽一門会は国立名人会と同様、3,100円する。値段だけ高い寄席。
セコいですか? セコいですねわれながら。
円楽党という団体には、立川流よりははるかに好意を持っている。とはいえ、特定の団体や一門のファンになっても仕方あるまい。だから高い寄席に若干の抵抗がある。
それでもともかく、今年ファンになったばかりの三遊亭竜楽師匠が聴きたいので行ってきました。
同じ週に、内幸町ホールで竜楽師の独演会もあった。独演会、いずれ必ず行くつもりだが、今のところなかなか夜は出歩けない。
三遊亭竜楽「男の花道」
で、その高い寄席、値段相応の価値があったかというと、十分にありました。いや、よかった。
主任、竜楽師匠の、「男の花道」は圧巻でしたね。こんな噺が聴けるなんて。
トリを迎える前までも、冒頭からなかなかいい流れで来ていた。大喜利ならぬ中喜利も盛り上がっていたし。
その流れの上に、見事な人情噺をかぶせて締める竜楽師。
「男の花道」。私は「日本の話芸」でやっていた、林家正雀師のものしか聴いたことがない。この録画は好きでちょくちょく聴いている。
同じ一門の小朝師も掛けるらしい。円楽党では鳳楽師。
竜楽師は誰に教わったのだろう。いろんなところから噺を教わってくる師匠であるから、正雀師に教わっていても不思議ではない。
今年1月に初めて聴いた竜楽師。今回が5席目。
人情噺も、滑稽噺もいろいろ聴いた。つ離れしない、夏の亀戸でも聴いた。
なにを聴いても一切ハズレなし、100%を超える満足をさせてくれる師匠。だが、1月に「阿武松」を聴いて感じた最初のインスピレーションは外れていなかった。竜楽師は人情噺が素晴らしい。
もちろん、笑わせるのが下手で人情噺に逃げているような噺家とはまるで違う。どこを切り取っても話芸が詰まっている。
人情噺だからといって、泣かせてやろうなどという不埒な企みは一切ない。
竜楽師が目指すのは、落語をきちんと語ることだけなのだと、きっと思うのだ。噺家にできるのは、もともとのいい話を、ケレン味なくして語り、しっかり客に届けることだけ。
あとは客の仕事だ。泣きたい客は泣けばいい。まあ、私も涙腺崩壊しかけたけど。
旅先で眼病を患い失明の危機を迎えた中村歌右衛門を、たまたま同宿した医師、半井源太郎が救う。
そして逆に、今度は半井が命の危機を迎える。歌右衛門が呼べないと腹を切る羽目に。
公演中の芝居を抜けて駆けつける歌右衛門。抜けるといっても、「親の死に目にも会えない」ことを覚悟してなった役者業、決して簡単なことではない。
恩人の危機に駆け付けるため、芝居小屋の客全員に対して歌右衛門は頭を下げ、しばしの猶予を乞う。江戸っ子が好きないい話だと、快く送り出す客たち。
この劇中の口上を、落語の客に対しておこなうのが最大の見どころである。芝居と落語が見事にシンクロする。
林家正雀師は、同じ噺を語るにしても、とにかく抑制を心掛けている師匠だと思う。感動を味わうのは客に任せて邪魔をせず、素材を提供する芸。
竜楽師も、また客に対する押しつけがましさは微塵もなく、その点は共通している。「さあ泣いてみろ」というようないやらしい芸ではない。
だが、スタイルそのものは正雀師と結構異なり、もう少し芝居に近い。語り手よりも、役者が目立つ。
もっとも、役者が過剰な演技をしてみせることはない。控えめな役者に噺の展開を託し、竜楽師は消える。
医師と役者、ふたりの主人公は、ひたすら危機的状況をなんとかしようと立ち向かう。竜楽師は、丁寧に丁寧にその心情を表わにするだけだ。
歌右衛門が、国立の舞台に現れる芸。竜楽師、ここで羽織を脱いだ。
見事な口上に、芝居の客になって拍手を送りたくなった。
噺を壊すかもしれず勇気がなくてできなかったが、手を叩いたらどうなっただろう。他の客にも連鎖し、ひょっとして世界の一体化がさらに深まったかもしれない。
それとも、誰か「成駒屋」と声でも掛けてみるか。江戸に下った三代目は成駒屋じゃなくて加賀屋らしいんだけど。
まあ、あんまり客が高座を仕切ろうとなど、しないほうがよかろうが。
時間の関係で、マクラは本当にさらっと直前の中喜利について。
竜楽師も毎年中喜利に出ていたのだけど、今年はトリが廻ってきたのでパスさせてもらった。
無理に出れば出れないこともないのだけど、「観てましたら、やめてよかったですね」。
そこからすぐ噺に入っていった。
マクラの楽しい師匠は、マクラなしでも楽しい。これ、落語の真理。
全編にわたって、場内が心地よく張り詰めていた。落語はリラックスして聴くものだが、真逆の緊迫感がまた、たまらないものだった。
私にとっても、この日だけでなく今年のトリを締めくくっていただいた気分だ。まあ12月も落語聴きに行くと思いますが。
***
当日券も出ていたが、満員に近い国立演芸場。
五代目圓楽一門会、最終日を冒頭から振り返ります。
前座は、お坊さんではありませんとスキンヘッドのはち好さん。好楽師の八番目の弟子だからはち好。両国に行ったときに顔は見た。
「子ほめ」は前座からいつも聴く噺だが、何度聴いても飽きないという点では、この噺がいちばんだと思う。
そして、前座の腕がよくわかる噺。上手い前座さんの子ほめは結構好きである。はち好さんもなかなかでした。
次が二ツ目昇進の兼太郎さん。兼好師の一番弟子である。
「けん玉」から名前を変えるにあたり、「兼べん」「兼にょう」という候補もあったと。
「○太郎」は出世するのだと。桃太郎、金太郎、麻生太郎、清水健太郎と。で、兼太郎。
「浮世床」で、「ヘボ将棋」から「太閤記」まで。
太閤記より、半公の夢ネタに入ることの方が多いと思う。太閤記は無筆ネタと同様、現代人にはちょっとピンとこないところがある。
だが、兼太郎さん、軽快でなかなか楽しい。太閤記でもたついたりしない。
円楽党の若い噺家、平均値が高くて感心する。特に好楽一門はみな上手い。
落語に取り組む心構えが伝承されているのであろうか。その落語の達者な一門の総帥が、笑点のピンク師匠だというところがなんともいえず面白い。
三遊亭とむ「よいしょ太郎」
次も好楽一門でとむさん。BS笑点と同じ真っ赤な着物。
竜楽師以外では、実はこの人を目当てで来た。生とむは初めてだ。
TVでも、とむさんの落語、BSの「ミッドナイト寄席」でしか聴いたことがない。
ミッドナイト寄席、正直なところ繰り返して視たくなる人はあまり出ていない。二ツ目さんの落語も生で聴く分には面白いのだけど、TV画面を通すとちょっと落ちるのである。
だが、そんな中でとむさんの「都々逸親子」は秀逸だった。
前日札幌にいたとむさん、千歳の管制トラブルで帰ってこれなくなった。仕方なく函館まで夜行バスで出て、新幹線で先ほど着いたと。
早朝の寒い中、新函館北斗駅が開くまで30分待たされた。そして満席なのでやむなくグランクラスに乗ったと。お疲れさまでした。
この日は顔付けされていないが、一門の後輩に「らっ好」という噺家がいる。私も好きな噺家さんだが、らっ好さんはヨイショの達人なのだと。確かにヨイショの上手そうな顔をしている。
札幌から必死で帰ってきた話をすれば、「さすがアニさんですね」とまたヨイショをもらえそうだと。
そこからヨイショネタの新作。「よいしょ太郎」というらしい。
上司へのヨイショを欠かさないサラリーマンの噺。
ネタとしては、桂文枝・立川志の輔といった師匠が書きそうな感じ。日常観察の結果から、SNSでのやりとりを面白おかしく描写して、ちょっとそこにオチを付けてみるという。
登場人物が大きく躍動することはなくて、小さくまとまる感じのネタ。私は、新作落語には「日常からの飛躍」が必要だと勝手に思っているので、こういう新作落語をそれほど高くは買わない。
だが、実に面白い。落語としての匂いも濃厚に漂う。
「よいしょ太郎」、よくできたネタだけど、その世界は落語としては普通。だが、語り手がユニークなので終始楽しい。
技術も高く、上司をヨイショしている主人公が、うちに帰って愚痴をこぼす場面転換も見事。上方落語なら、見台を叩くところ。
とにかく、とむさんは存在自体が楽しい。「上手い」「面白い」ことも確かだが、そう評する前に、全身から「楽しさ」を発散している人。
どこを切っても芸人だ。そしてタレントでもある。
鶴瓶師に可愛がられている内容のマクラにも、まったく嫌味がない。
最初から噺家として世に出ても、こうはなれまい。だからといって、芸人上がりがみんなとむさんみたいになれるわけではない。
この日の中喜利でも張り切って盛り上げていた。落語だけに期待するのではなく、笑点メンバーにだってなれそうだ。
噺家さんに「笑点に出られるように頑張って」とエールを送るのは失礼極まりないが、この人に対してはあの舞台もまたふさわしいと思う。
マイナスの波長は一切出さないので、滑っても全然OKな人。滑らない噺家さんはたくさんいるが、滑っても失策にならないという人はめったにいない。
とむさん、もちろん自作の新作も面白いが、人の噺をやっても上手そうだ。
今度どこで聴けるだろう。二ツ目さんが揃う神田連雀亭に出てくれたら聴きに行けるんだけど。出る資格はあるはずだが出ていない。
***
笑点でよく画面に見切れている愛楽師も、高座は初めて。マクラで結構笑った記憶があるが、内容は忘れた。
「親子酒」本編、かなりいじっていて、新鮮な驚き。
寄席ではしょっちゅう聴く噺。前座噺でもないのに、真打ならみんな持ってるんじゃないかと思うくらい。
この噺、どう考えても「こんなぐるぐる廻るうちなんかもらったってしょうがない」というサゲに向かって進む構造のものだと思っていた。落語のサゲ、特に東京落語はどうでもいいサゲが実は多いのだが、中にはサゲが命のような噺もある。そのひとつが親子酒。
だが、そのサゲをやらない愛楽師。すごいね。瀧川鯉昇師が、「時そば」の途中で降りてしまうのと同じくらいのインパクト。
なるほど、言われてみれば「親子酒」、作り方によっては他にウケどころのたくさんある噺だ。
愛楽師の場合、爺さんに乗せられて歌を歌い、うまいと褒められた婆さんが、自分から酒をついでやる。そしてモノマネ歌でもたっぷり客を楽しませる。
みんながやるサゲなど、ないほうがむしろいいのだろう。
色物さんは今日はひと組。
日ごろは芸協の寄席に出ているチャーリーカンパニー。芸協にはコントが多い。寄席で観るコントは気楽でいいものである。
芸協の芸人としてではなく、ボーイズバラエティ協会として呼ばれているのだろう、たぶん。
このねじり鉢巻きニッカポッカの、ボケ担当日高てん師匠、子供の頃からTVの演芸番組で視ていたなあ。
ちょっと嬉しくなりました。
道楽師は、現在の話題の中心、相撲のマクラから「大安売り」。
30分の持ち時間だが、急に眠くなってしまい、マクラからほぼ寝てしまった。「向こうが勝ったり、わしが負けたり」と、サゲが聴こえてくるまで熟睡。
道楽師は亀戸で一度聴いたので、達者な人なのは知っている。気持ちがいいから寝てしまった。
いびきをかかない限り、寄席で寝るのは全面的に肯定する私なのだが、ちょっともったいなかったですね。
仲入り前の楽磨呂師は珍しい「縁切り榎木」。
いささか自慢っぽいが、古典落語を聴いて、何のネタかわからないということは年に一回もない。まあ、寄席で掛かるネタなど知れているということはあるけど。
少々珍しい話でも、脳のどこかに引っかかっていて、演題がパッと浮かぶことが多い。
だが、この噺は本当に知らなかった。私が知らない噺なので、新作なのだろうかと勝手に思いながら聴いていた。
三遊亭圓朝作らしい。
まあ、新作と言って言えなくはない。「芝浜」「文七元結」等の圓朝作品と異なり、あまり掛けられないので適度に擦り切れず、古典化が進んでいない話のようである。
古典落語はサゲを知って聴くものだけど、知らない噺で、早い段階でサゲがわかってしまうというのはあまり楽しくない。そういう噺であった。
寝ている人が多かった。私は熟睡明けで、知らない噺であるがゆえに起きていた。
若旦那が二人の女の間を行ったり来たりするドタバタ振りをうまく描けばもっとウケそうだが、たぶん儲からない噺。
まあ、珍しい噺を聴いたなという感想。
仲入りを挟み、クイツキのガレッジセール・ゴリ似の朝橘師は新真打。
円楽党の場合、落語協会や芸協より早く真打になれるのだが、だからといって促成栽培ではない。兄弟子の萬橘師を見てもわかる。
どうも随分前から円楽党、育成において精鋭集団と化しつつあるのに、なぜか世間はそれに気づいていない様子。
ひょっとして、円楽党の人も気づいていないのかもしれない。団体としての謙虚さの表れだ。
この後の中喜利のことが気になって、落語どころではないと朝橘師。
噺としては有名なのに、寄席でもTVでもめったに聴かない「本膳」。ちょっと似てる「荒茶」のほうがまだ聴けるのではないか。
掛からないのはウケづらいからなのかもしれないが、朝橘師はちゃんとウケていた。
笑点でおなじみ「大喜利」は、大ギリ、つまりしまいにやるから大喜利。ピンキリのキリですね。
しまいにやらないので中喜利。
大喜利番組、たまに寄席でもあるけども、一度も観たことはない。わざわざ寄席に、大喜利観に行きたいとも思わないし。
だが、色物さんがヒザを務める代わりの「中喜利」。これは結構期待する。
内容はスーッと消えてあとになにも残らないけど、いや非常に楽しいものでした。あとに残らないからこそ、トリに向けて脳をリセットすることができる。
愛楽師ととむさんが頑張っていた。道楽師の司会も達者だ。
落語協会や芸協の寄席では、ヒザの色物さんを潰して「中喜利」というわけにはなかなかいかないでしょうけどね。
それにしても、私も一年で随分と円楽党に詳しくなったものだ。詳しくなりたかったわけでもないのに。
その実力についても、聴きもしないで侮っていたところがあるかもしれない。どうもすみませんでした。
竜楽師も、もっともっと日本国内で正当に評価されて欲しいものだ。
まだ、好楽、円楽両師匠の高座を拝見していない。あとは圓橘師など。
好楽師のとぼけた高座はぜひ拝見したいものだ。池之端しのぶ亭にも行ってみたい。もちろん、笑点ファンがメンバーの落語を聴いてみたいと思うのとは違う。
落語としてきちんと聴きたいのである。
先日も書いたが、「落語うろ覚え」ネタを笑点でやってる師匠が、次から次に上手い噺家を誕生させている。
落語ファンがしばしば唾棄する笑点の中の、しかも笑点ファンにもあまり面白いと思われてない師匠の下から、落語界の明日を背負って立つ才人が次々巣立っているのだ。
このこと自体、とても面白いことではないでしょうか?
やはりすごい師匠である。