今日はまたしても撮って出し。鈴本の早朝寄席に行ってきました。
掛け持ちではなく、今日はこれだけ。電車に乗って、500円払って1時間半聴いて、また戻ってきました。
黒門亭二部には、扇辰・彦いち両師匠が出ていたりしていて気になりますが。札止め必至だ。
落語だけでなくいろいろ行きたいところもありますが、毎週出かけているのでほどをわきまえましょう。ジャズにも行きましたしね。
それはそうと、今日の早朝寄席は素晴らしかったです。なにもここまで期待していたわけじゃないのですが。
花飛 / 桃太郎
左吉 / 元犬
緑君 / 明烏
ふう丈 / 天使の矢
今日は初音家左吉さんを目当てに。
花飛(かっとび)、緑君(ろっくん)の両名は花緑師の弟子。
ふう丈さんは円丈師の弟子。
客席に子供が結構いたので、桃太郎、元犬というスタンダード落語が出た。
聴き飽きかけているこれらの噺を、二ツ目さんから新鮮な感動を持って聴かせてもらえるとは嬉しい大誤算。
そして、子供がいるのに廓噺を出す緑君さん。これも、マイ・ベスト・アケガラスだった。
トリのふう丈さんは・・・まあ、ふう丈さんも普通に面白かったです。
柳家花飛「桃太郎」
花飛(かっとび)さんから順に。私は初めてである。
マクラの話術、若干もったいないなと思った。
6歳の娘がいる。子供がいると日常面白いことが多いと。
映画が好きな花飛さん、「男はつらいよ」を家族で観ていた。娘が、「つらいよ」は読めるが「男」が読めない。
「なんて読むの?」
「男って読むんだ」
「へえー、おとこはつらいんだ。じゃあ、女はつらくないの?」
そこでカミさんも面白いことを言うのです。すかさず「辛いよ!」。
「カミさんも面白いことを言う」はいらないフリだよなあと思った。
しかし、低いいい声の花飛さん、本編に入ると、この落ち着いた声をフル活用。
噺家さん、高くいい声の人は多いが、低い声は基本的には損だと思う。だが、持って生まれた声質を活かさないといけない。
低いトーンで語る柳家花飛さん。
前座のときは「フラワー」。本人もマクラで語っていたが、前座の名前は仮のもの。だからカリフラワー。
マクラのネタ自体は楽しいものなのに、その話術が今ひとつ。
だが、「桃太郎」本編に入ると、人が変わったように生き生きとしている。
声が低いと噺も自然、弾まなくなるが、それでも噺を安定させ、落ち着かせる効果はある。
このブログでも取り上げたことがあるが「桃太郎」はダレ場の多い噺。ダレ場を、艶のある声で聴かせる三遊亭兼好師のような人がいるのだが、まったく逆のトーンで噺を締める花飛さん。
ダレ場を淡々と語っていても、リズムがいいので客はまったく辛くならない。
結構独自のギャグが入っていたが、実に自然に繰り出している。工夫のギャグで、いっちょウケてやれという気負ったところはない。
花緑師の弟子はみんなそんな感じである。工夫は見事だが、決して調子には乗らない。師匠が戒めているのだろうか。
いきなり当たりでスタート。
初音家左吉「元犬」
次がお目当て、リーゼントの初音家左吉さんで「元犬」。
例によって「人気急上昇中の初音家左吉です。ひとつお気軽にさーちゃんと呼んでください」。
こんなの必要なのかなと思っていたが、今日私のその感想が誤りであることを発見した。
今日噺を聴いて気づいたのは、左吉さん、随分と「大人」なのである。42歳だから大人に決まっているが、そういうことではない。
上総家の主人や奉公先の主人を語るとき、見事にベテランの芸になっている。そこに、登場人物の人生経験の深さすら見えてくる。
シロも、この世のルールがまだわかっていない状態だが、犬として生きてきた半生の分、結構大人びている。
そうか、左吉さんはきっと昔から大人っぽい人なのだと思う。で、その分「稚気」に欠けているところがあるのかもしれない。
昇太師や喬太郎師など見ればわかるが、いくつになっても常に稚気に溢れているでしょう。
左吉さんその点を自覚して、冒頭の「さーちゃん」の挨拶を心掛けているのだ。きっとそうだ。
子供っぽい人にとって大人振るのが難しいのと同様、大人として生きてきた人には、子供っぽさが苦手分野なのではないだろうか。
元犬は、寄席で本当にしょっちゅう聴く噺。CDはほとんど出ていないけれど。
たびたび聴いているとさすがに飽きるが、本来はとても楽しい噺。この噺の真価を十分に見せつけてくれる左吉さん。
描写が丁寧だ。奉公先に上総家さんと一緒に行った際、シロを玄関に残して会話をするが、この位置関係の描写が巧みである。そんな場面、あまり意識したことなかった。
あとは、左吉さんの噺には予定調和的なところが一切ない。
奉公先の旦那は、当たり前だがシロの正体を知らない。シロのほうは隠しごとなどまったくしておらず、いちいちしっかり答えているのだが、会話にズレがあるためにサゲまでその正体が判明しないというのが噺の基本構造。
だから、旦那はいちいちシロの行動にびっくりし続けられるのだ。最後までちゃんと、心底びっくりし続ける、左吉さんの旦那。
登場人物の肚で喋れば当たり前のことなのだけど、なかなかこれが難しい。
サービスに踊って退場の左吉さんであった。
柳家緑君「明烏」
左吉さんの大人の芸を楽しんだあとは、緑君(ろっくん)さん。
早朝寄席の受付は、出演する二ツ目さんが自らおこなう。
入場料を受け取っているふう丈さんの顔は知っているが、そのそばに目つきの悪いメガネの人(ごめん)がいた。この人が初めて聴く緑君さん。
左吉さんが踊りのために座布団を片付けてしまったので、座布団を抱えて入場し、自分で敷く。
「座布団を持って入場したのは噺家になって初めてです」。前座のいない早朝寄席ならではだ。
ちなみに私、メクリの見えない席に座っていたので、名乗らなかったこの人が誰だかわからない。なにせこの日のメンバーもうろ覚えだったので。
誰の弟子の誰なんだかわからないまま最後まで聴いていた。その、誰だかわからない人がやたら上手い。心底びっくり。
まず声がいい。花飛さんとは真逆の、高くて鼻に抜ける声。
本人以外の誰かで聴いたことのある声だ。誰だろう。
おぼんこぼんのこぼん師匠にも似ているが、この声で落語を聴いたことがある。しばらく聴いているうちに気づいた。故人の古今亭右朝だ。
声だけでなくて、立て板に水の喋りも似ている。
とにかくテンポの速い喋り。だが速過ぎて崩れるようなところも全くなく、発音も明瞭なので非常に心地いい。心地よく、同時に客を高揚させる。
名古屋出身なのでと、大須演芸場のマクラ。
大須で文七元結やっていたら、なぜか照明が点滅してグダグダになってしまったと。
詫びる席亭に対して謙遜で、明日の菊之丞独演会のときでなくてよかったですねと返したら、本当にそうだと同意されたと。
なぜか客席に子供がいるのに、そしてトリでもないのに明烏。
緑君本人も噺の最中、泣く若旦那に怒る源兵衛のセリフで、「そもそもなんで最前列に子供がいるのに明烏なんだ。桃太郎とか元犬とか、みんな空気読んで出してるのに」。
空気を読まない唐突な明烏だが、隅々まで工夫の行き届いた見事な噺だった。
子離れのできない母親をしっかり登場させ、「手塩に掛けたこの子が売られるなんて」。大爆笑。
明烏の若旦那、普通そういう描写はされないけどマザコンであることは間違いない。その事実を、母親をうまく使って描写してみせる。
といっても、若旦那は堅物ではあるけども欠陥人間ではない。マザコン振りまではぎりぎり描くけども、若旦那を一般常識の彼方に追いやってしまうことはなくて、「吉原を楽しめてよかったね」というさわやかムードはちゃんと漂っている。
そして、あまりにも有名な「甘納豆」などスパッと省略する。先人の芸を真似ても仕方ないということか。
いやいや、古典落語もまだまだ進化の余地があるのだ。努力して噺を掘り下げていき、客の共感を得られれば、必ず成功する。
落語ファンからは厳しい評価をされがちな花緑師だが、いかなる教育メソッドがあるものか、弟子たちが揃いも揃ってすばらしい。
真打である年上の弟子、台所おさん師を始め、有望な二ツ目さんが目白押し。
緑君さんなど、16歳での弟子入りである。中学を出て祖父・先代小さんの弟子になった師匠と似ている。どうやって育て上げるとこういう噺家ができあがるのか。
惣領弟子をかつて破門したのはマイナスだが、花緑師、言い訳はしなかった。その後残った弟子たちが実にしっかりしているところがすべてを物語っている。
気になるのは弟子たちのキラキラネーム。
二ツ目の噺家がキラキラネームでも別にいいのだけど、真打昇進時が問題なのだ。大所帯の柳家には、いい名前というものが売り切れてほとんど残っていないからである。
三遊亭ふう丈「天使の矢」
トリを、「ジャンケンで負けて」取ることになった、この日のメンバーで一番後輩のふう丈さん。昨年二ツ目になったばかり。
自称ビリケンさん。
この日、日曜夜の日本橋亭「円丈カップ」について宣伝。定員100名のところ10人しか予約がないので来てくださいと。
いや、私だって行きたいけども、夜席はなかなかね。
先に出た明烏について、「トリ取ってやったらいいじゃないか」。まあ、そうですな。先輩三人がみっちり古典落語をやったので、安心して新作落語をと。
先の三人がすばらしい出来だったので、ちょっとなんだかなという感じにはなったが、でもなかなか面白かった。
ストーリーのほうがかなり面白く、情景描写も含めてよくできている自作の落語。だからもっともっと面白くなりそうだなとは思った。
新作落語家さんというもの、作家としての才能のほうが、語り手の腕より先に開花するようだ。
ふう丈さん、決して下手だというわけじゃないけど、作家としての才能に、噺家の腕がまだ追いついていないようだ。その点微妙な感が漂う。
円丈師の弟子は、みんなこういう状態を経験している気がする。まあ、作家としての腕のない人もいたろうが。
この日の前の三席を見ればわかるとおり、古典落語だったら噺を作る必要がないなんてことはない。いずれにせよ、噺家には創作力が必要だ。
「天使の矢」。熊本弁の天使というのが面白い。一応、独身の長い主人公の恋をかなえる恋のキューピットなのだが、天使自身歳を取り過ぎて油断がちになり、主人公に姿を見られてしまう。でもあんまり気にしない。
主人公にワンカップ大関を勧められ、酔っぱらった天使が本音を漏らすという、古典落語から取り入れたとおぼしき話のもっていきようも見事。
噺の聴き手も、主人公の恋の成就が気になって、天使の恋の矢が当たるか否かスリリング満載。
矢が当たるかどうか、客を乗せるやり方も上手い。十年後のふう丈さん、創作も話術も上手くなっているだろう。期待大。いや、三年後にも期待しますけどね。
真打昇進までは十年以上かかる。円丈師は、ふう丈さんとわん丈さんが真打になるまでは現役でいようとしているそうだが、なかなか大変ですな。
大満足の日曜日でした。