ラジオにおける落語の雑な扱い

昨日は楽しいラジオについて。これは落語の番組。
今日は一般の番組に落語が紛れてきたという話。

一之輔師の金曜あなたとハッピーと、ナイツの帯のおかげで、私のラジオライフはニッポン放送にシフトしている。
でも朝はFM。
radikoプレミアムに入っているから、別に東京の局に限ることもないのだけど。どこかで面白いラジオやってないですかね。

聴いていた番組でもって、「プロの落語家さんがオリジナル落語で企業PRをしてくれる新たなサービスにフォーカス!」というコーナー。
誰が出てくるのだろうと思ったら、リモート出演の立川吉笑さんだった。
ご存じ、落語ディーパーにも出ている売れっ子二ツ目。
だが、放送内容は結構スカスカでした。吉笑さんに罪はないが。
このスカスカの内容に文句を言いたいのかというと、そうではない。

それよりも、落語に関する扱いが全般的に雑で、ちょっとモヤモヤしているのである。
そして、ある種どうでもいいことにモヤモヤする自分自身にもイライラしたりして。
趣味というものは、しばしば自分の中で聖域化される。他人の悪気のない発言がそこに抵触したときイライラする、そんなのは不健康だし慎みたいものだ。
そう思いつつ、やはりモヤモヤしてなあ。
落語の場合、世間一般が「知的な趣味」だと勝手に理解しているから、数ある趣味の中ではわりと有利な位置にある。
でも、わかりもしないで知的だ知的だと言ってるひとの話を聴くのも、あまり愉快じゃない。

番組では吉笑さんが出てくる前に、「落語を観にいったことのある人?」というアンケートを取っていた。
これに噛みついたリスナーがいて、そのメールを番組内で紹介。「落語は観るものじゃない、聴くものだ」という。
パーソナリティがリモート登場の吉笑さんに、早速その疑問をぶつけてみる。
吉笑さん、当たり前だが番組に気を遣い、「『聴く』ほうが通っぽいですけど、『観る』でもいいんじゃないですか」。
見事な回答だが、しかし正しく指摘したリスナーひとりに恥を背負わせたような恰好でもある。

確かにこの指摘自体も、気恥ずかしいのは確か。一般人の間では「落語観にいった」というのは普通の会話だからだ。
とはいえ落語は聴きにいくもの。これは慣用句である。
「将棋を打つ」「碁を指す」のは慣用句として明白な間違いであり、放送的にもNGである。
放送局としては、「落語を聴きにいく」はこれらと同じレベルで守って欲しいと、私は思う。
他には「落語の練習」なんてのもある。これは稽古と言わないと。
指摘したリスナーの玉砕に思いを馳せつつも、やはりとても気恥ずかしい。

そしてパーソナリティ、吉笑さんとの会話を締める際、「今度そばの食べ方から教えてください」。
吉笑さんが苦笑さんになってしまった(あまり面白くなくてすみません)。

吉笑さんとの通話が切れ、スタジオ内での会話。
落語はまだ観にいったことがないという女性に、男性メインキャスターが「観にいったほうがいいよ。面白いよ」。
女性のほうは「アナウンサーは落語から学べと言われまています」。
男性が「落語は間だからね」。

「そばの食べ方」と「間」が落語の本質だと思っている点において、このメインキャスターが落語についてはほぼ無知なのはよくわかる。
無知は別に恥ではないし、責める気もない。
だが、自分ではそこそこ知っているつもりでいるのが、なんだか片腹痛い。
落語は間だぜ、ってか。雑だなあ。

なんなのさ、「間」って。なにか核心に触れているようでいて、なにひとつ本質を語っていないマジックワードだ。
知らない分野のことは、マジックワードから入るとなんとなくそれっぽく、説得力が出るみたい。
まあ、実際によく聴いている人だって、うっかりすると「本寸法」みたいなマジックワードを使うものだが。

そんな、どうでもいいことで一日分ブログができました。
ネタを提供してくれたラジオ番組に感謝です。
なんだそら。

作成者: でっち定吉

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