長井好弘著「新宿末広亭春夏秋冬『定点観測』」

図書館には、古い落語の本が置いてあることがある。そんな一冊を借りてきた。
2000年の出版。この、微妙な古さ、現代との微妙なズレが面白い。
A5版の大きな本であり、実に重い。少しずつ読んでいる。

長井好弘氏は、落語界では言わずと知れた人である。読売新聞の元記者。
東京かわら版の末尾のコラムでいつもお目にかかっている。
メインストリームよりもちょっとだけズレたところで活躍する芸人を取り上げる、極めてバランスのいい人だという印象を持っている。

この著作は、1999年5月下席から1年間、長井氏が新宿末広亭のすべての芝居に通った記録である。
すべての芝居と気軽に言うが、昼夜併せて月6席あるのだ。大変だ。
酔狂な一冊。そして実にうらやましい話。
定点観測により、新たな寄席の魅力が湧き上がってくるのである。
もっとも長井氏、忙しい中の寄席通いのため途中で心筋梗塞を起こして入院し、2000年の初席からはしばらく代筆になったりして。
何でも仕事にすると大変だという教訓でもあるが、その割には最後まで楽しくもあったようで。

当時から20年経っているが、噺家はあまり入れ替わっていない。これは驚き。
亡くなった噺家は、先代圓歌、先代文治、圓蔵、柳昇など。
米丸、可楽、遊三、川柳などの人は当時からすでにベテランなのであった。
色物の先生については、結構変わっている。この時代にはよく出ていて、現在なお現役なのに末広亭からは声の掛からない人の多いこと。
もっとも瞳ナナさんの名前がすでにあったりするが・・・まさに魔女。

寄席にベッタリ入り浸っているのに、長井氏の絶妙な距離感は素晴らしい。
手放しで褒めたたえるのではない。ちゃんと批判もする。
賞賛も批判も、立ち位置が安定していて行き過ぎない。
広瀬和生氏みたいな、褒める人を決めてから無理やり褒めちぎっていくような不自然さはかけらもない。
寄席という空間を具現化する穏やかな筆致だ。落語について書いている人ももっと見習わないと。あ、まず俺か。

長井氏、「漫談に逃げる噺家」を批判する。
これは別に、寄席の漫談自体を批判するわけではない。寄席の漫談に価値があることを十分に認めたうえで、「ここで出すべきなのは漫談じゃないだろ」と、不適格な仕事を批判するのだ。
トリなのに漫談出したりする噺家とか。
重い客席で、ウケないのを客に向かい、「なんで笑わないのだ」と客に圧を掛ける芸人も批判する。
今でもこんな人はたまにいますが。
それから夜席で少ない客を、出てくる芸人がみんないじるのにも苦言を発する。もういいよと。
長井氏が苦言を発する部分、今の私が思うところとほぼ一緒。
20年前も今も、寄席はほとんど変わらないところだなとつくづく。
苦言も吸収してしまうのが寄席というところ。別にそれでいいのかもしれないけど。
というか、完成されているのかもしれない。

この1年間には、「たい平・喬太郎」の抜擢による真打昇進披露もあった。
新作から先にブレイクした柳家喬太郎師について、「古典は『達者だな』というレベル」と書いているのも厳しいが、当時からすると的確な批評。
今の喬太郎師の古典は見事ですけども。

いずれ返さなきゃいけないが、それまでこの書籍のエッセンスを体に叩き込んでおきたい。

作成者: でっち定吉

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