昇羊 / 粗忽長屋
兼太郎 / 十徳
竹千代 / 五人廻し
昨年は2桁、非常によく聴いた春風亭昇羊さん、3月も終わるが、今年は未聴。
好きな噺家も、うっかりするとすぐご無沙汰になる。別に飽きたわけじゃないが。
昇羊さんを聴きに神田連雀亭に出向きます。
トリの桂竹千代さんは初めて。このたび、さがみはら若手落語家選手権を優勝したそうで。おめでとうございます。
連雀亭、大入りで大盛況。
3人揃って当たりでした。
春風亭昇羊「粗忽長屋」
昇羊さんは、うっかりもののお母さんのマクラ。粗忽噺をやるらしいと見当が付くが、聴いたことはたぶんない。
そのネタに絡めて話していたが、前日は福島・白河で舞台のナレーターを務めたそうで。
和太鼓の林英哲さんとのコラボだ。いい仕事をしてるのだな。
昨日のブログのネタと関係するのだけど、林英哲氏もツイッターで名前をやたら間違えられている。失礼だよ。
マクラの続きが、先週池上の銭湯で、柳家緑君さんから聴いたものとまったく一緒だった。やってないし持ってない「芝浜」をお客さんに褒められるという。
こういうこと書くと、噺家さんに嫌がられそうだ。一之輔師に、営業妨害と言われたら、ごめんなさいと謝っちゃうけど。
聴いたネタも、独自の話術があるので十分面白かったけど。こういうネタは共有財産なんだろう。
「芝浜」というのが絶妙のチョイス。有名だけど季節が限られるし、そんなにみんな持ってるとは限らないという。
粗忽長屋は、季節ものではないけどなんとなくこの時期がよさそうに思う。
粗忽ものの中では難しいとされるこの噺、結局のところ、「そんなわけねえだろ」と言って客が投げ出す直前でいかに寸止めするかだと思うのだ。
男前なのに、狂気の表情をフルに活用する昇羊さんには向いた噺だと思った。客としては、狂気の世界を、翻訳してもらいながら眺めるので、投げ出さずに楽しく聴けるのだ。
以前から、昇羊さんの表情が気になっていたのだが、ひとつ秘密がわかった。昇羊さん、一度顔を作ると、喋りながら一切表情を変えなくなるのである。大きな目は見開いたまま。
なるほど、口と表情とは現実には連動するわけで、あえて連動させないことによって、独自の狂気を生み出しているのだ。
兄弟子の昇々さんも狂気を作るのが上手いが、方法論がまるで違う。
そして劇中の言葉を、意図的に現代用語に翻訳する昇羊さん。
死んだような「心持ちがしない」ではなく、「気持ちがしない」。
遺体を引き取りに行くことについて、熊さんは「決まりが悪い」ではなく「恥ずかしい」。
この翻訳は、正直よくわからない。古めかしい言葉をあえて使うことで、古典落語の世界を表そうとする人が多い気がするのだけど? 新作派だからそういう意図をあえて排除するのか?
それはともかく、相変わらず達者な人。
下りるときに、メクリを変えたあと、メクリ台の位置を直していった。兼太郎さんの置いた、高座寄りの位置が気に入らないのであろうか。
神経細やかな人だというのが、こういうところに垣間見える気がする。