当ブログは3年半にわたり毎日更新を続け、コロナでそれをやめた。現在は「ほぼ」毎日更新。
でもアクセスを分析して、毎日更新を期待している方の実に多いことが、よおくわかりました。
なので、今日も頑張って出していきます。
さてそんなに個別アクセス数の伸びない落語会のレビューではなく、多くの集客がありそうなタイトルの記事を。
立川流には厳しめの私。だが今日は批判強めモードではなく、落語ファンとしての軽い嘆きです。軽くお付き合い願います。
意図的なアクセス増加を狙ってるわけではなく、ネタ切れなんですが。
立川談之助師が、「噂の志ん相掲示板」という掲示板サイトを運営している。ずいぶん長きにわたり、たまに見ているサイト。
最近はまた、何年かぶりに立川キウイ批判掲示板に戻っている。今さら批判する価値のある噺家でもなく、叩くのを見てもそんなに面白くはない。
そう思っていたところ、NHK新人落語大賞に絡み、どうして立川流の若手はパッとしないのだろうという疑問がいきなり出てきて、それに呼応する書き込みが続く。
この掲示板の投稿者は、立川流の古いファンが多いはずである。だからこそ、立川流の名を貶める噺家に批判的。
だが、もう立川流にいい噺家はいない。それが古いファンの共通認識のようだ。
志の輔、談春、生志は実質フリーだし。
私は、立川流で好きな人は吉笑、笑二ぐらい。彼らの弟弟子で、相席スタート山崎ケイと結婚して話題になった談洲さんは一度しか聴いていないが、ここに含めてもいい。
そして現在、立川流を聴く機会を、積極的に作ろうとはしていない。
立川流の二軍が集結する上野広小路亭の立川流寄席にも、もう長い間ご無沙汰。最後に行ったのは、まだ談四楼師がツイッター芸人になっていなかった頃。
このブログを始めてからは、ゼロ。
そもそも数回通っていた頃はまだ、期待できる人がいた気がするのだ。左談次、談幸、期待とは別にあの文字助師とか。
数年前に、そろそろ行こうかと思って結局やめた理由は、過激な言動を続ける談四楼個人を避けたぐらいのことだった。まだ。
現在ではもはや、一瞬でも行こうと考えることはない。顔付けを見ても、期待値がまったくゼロ。
それでも二ツ目なら、神田連雀亭で聴くチャンスはある。連雀亭に関しては別に、立川流を避けて通ってきてはいない。
だが今後はというと、かなり好きな人が3人顔付けされた昼席で、立川流の知らない噺家が1人混ざっているという番組でもないと、きっと行かないだろうな。
正直に言えば、志らくの数多い弟子たちに関しては、ちょいと避け気味かもしれない。
「志らくの弟子だから嫌い」なんて単純なことじゃない。師匠が嫌いだからといって、弟子まで嫌いになる必要はないし、師匠選択を誤った事実も噺家の原罪とまではいえない。
でもなんだか彼ら、噺家としてひどく哀れをそそる存在なので、気持ち的に近寄りづらいのだ。
これ、わかる人にはわかるでしょう。「亭号取り上げ」処分を受けたらく兵さんとか。寝床芝居に行かないことで、意味のない前座降格処分を受けた弟子たちとか。
その哀れみの強さゆえ、もはやいないことにしてしまう気持ちがある。
私が強い偏見に基づき、勝手に「立川流に才人なし」と考えているわけではないと思う。
若手を呼ぶ企画もので、今呼んでもらえる人はほとんどいないんじゃないか。
笑点の若手大喜利、座布団運びにも呼ばれない。
Zabu-1グランプリも笑二さんだけだった。
落語ディーパーに吉笑さんが出ているのを見れば、団体間のバランスが維持されていそうに一瞬思うのだが、実際にはもはや崩れてきている。
その吉笑さんについては、当ブログで繰り返し述べているとおり、天才だと思っているし、その評価はゆるがない。
でも、ここに来てなにか微妙なズレも感じてきたのも事実。そして、このズレもまた、立川流という団体に起因する気がしている。
結局立川流の惨状は、「寄席がない」ことにあるのだろうと考えている。