立川流の落日(下)

立川流と同じく落語協会から分裂し、インディーズと揶揄されがちな点も似ている団体が円楽党。「寄席に出られない団体」と説明されることが多い。
だが円楽党については、実際のところ月の半分両国寄席がある。亀戸梅屋敷寄席もあって、前座のうちからちゃんとした寄席修業ができている。
円楽党は立川流と大きく異なり、売れっ子も寄席にちゃんと出る。他団体の師匠も顔付けされる。
そんな環境から、いい噺家も多数出てきているのだ。そして他団体との落語会も増えてくるので、前座にとっても刺激的な環境が整ってきている。

「寄席がないから立川流がダメになった」などと言うと、反論も容易に想像はできる。
寄席のない立川流から、四天王や生志師が出たのを知らんのかと。
知っているとも。
だが当時は談志家元がいた。今はいない。求心力を欠き、すでにバラバラになっている。
立川流にも上野広小路、日暮里、そして日本橋等、寄席らしいものはある。
だが円楽党に比べて半分程度の日数であり、そして落語会だけで生計を立てられない二軍選手だけの顔付け。
今月から復活した日暮里寄席には談笑師が顔付けされていたが、これはとても珍しいこと。
二軍しかいない寄席で、学べるものだろうか。二軍なのに、世間を敵に回して平気な人たちだし。

寄席とは結局、入門後の青年が一度人生をリセットされる、非常にいい環境なのだと認識している。寄席の修業を踏まえると、尖った自意識が丸くなった、いい感じの芸人に生まれ変わることができる。
談志の壮大な寄席否定実験の結果が出たのだ。失敗として。
寄席がいかに噺家形成に欠かせないものだったか、改めて明らかになったということだ。

さて私は、噺家はインテリであったほうがいいと、基本的にはそう思っている。でも、知性をむき出しにしたままの状態だと、噺家としてはふさわしくない。そうも考える。
寄席で修業をすると、知性が内面へ向かうかもしれない。まあ東大ブランドを売りにしている春風亭昇吉さんのように、仲間と一緒にやっていけない人も出てきてしまうが。
寄席のない立川流の場合、人間性がリセットされる機会が少ない。
吉笑さんもまた、リセットされなかったインテリなのだと思う。そこに生じる微妙な違和感が、今だんだん肥大化してきている。
私に限らず、噺家はそもそも一般人から見て畏敬の対象。河原乞食なんて言葉と裏腹に、はるか昔からそうだったと思う。
最初から畏敬の念を抱いて向き合っている対象が、過剰にインテリぶりだす。そうなると、もともとの畏敬がしぼんでしまってずっこける。
といってなにも、意識して「インテリぶって」などいないこともわかっている。尖った部分をいい具合に刈られる機会がなかった不幸なのだ。

ちなみに寄席はあっても、前座修業がないのが上方。
これに理由の一端があると思うのだが、上方には吉笑さんより、さらに知性をむき出しにしている人がいる。
笑福亭たま師。今月の東京かわら版の巻頭インタビューに登場していたのだが、以前から覚えていた違和感の理由が、この巻頭記事で腑に落ちた気がする。知性をこじらせているというか。
東京で修業している入船亭遊京さんは、たま師と同じ京大の後輩だが、この人からは「むき出しの知性」はまるで感じない。
といって遊京さんに、インテリを上手に隠している気配も感じない。内面が知性で満たされていることこそ、客にとって一番なんじゃないかと思うのだ。
寄席修業でリセットされなかった噺家の知性は、諸刃の剣かもしれない。高座でもって、客の上から入ってしまうことにもつながる。
このいちばんひどい例は、立川流で見つかる。
知性の根拠をまったく有していないのに、常に人の上から入るのが志らく。

まあ、そんなこんなで、今本当にヤバい立川流。
以上、立川流の古いファンのほうが、むしろ強く同意してくださるのではないだろうか。

現状を嘆くだけでは生産性がない。
では今後どうすれば、どうなればいいのか?
哀しいことだが、なんの救済もおこなわれないだろう。
落語界統一の動きがしばしば報道される。特に芸協が、各団体にパイプの太い昇太会長になったことでもあり。
だが、救済されるもされないも、本人に惜しい資質があって始まることなのだ。
芸協による円楽党の吸収はあっても、立川流の吸収はない。
師匠とトラブったが救済措置が採られて芸協に入り、今やエースとなっている三遊亭遊雀師を見ればわかる。本当に優れた人には、どこからか救済があるのだ。
立川流の売れてない若手に、救済する価値を感じる関係者はいないだろう。
吉笑さんのような人は微妙な存在だ。なまじ売れているがゆえに、現状に甘んじてしまうかもしれない。
しかし10年後や20年後、立川流の噺家として、なんらかの希望を見い出せるだろうか?
素質ある人だけでも、現状を把握し、今のうちから行動を起こしてもらいたいなと切に願う。
船長を失った難破船に、レゾンデートルなんて求めてる場合じゃない。

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作成者: でっち定吉

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4件のコメント

  1. ブログの更新毎度のことながらご苦労さまです。

    現在立川流で最も力を持っているのは志の輔師匠ではないかと個人的には考えています。そして志の輔師匠の大学の落研の後輩(落語家になってからは兄弟子でややこしいですが)の立川談幸師匠が芸術協会に円満移籍(?)されました

    このパイプを使って志の輔師匠や談笑師匠のようなの立川流の中でも比較的良心的な一門が移籍するのが理想なのかなとも思いました(前にもそういった記事がもしかしたらあったかも知れませんが)いきなり移籍は無理ならば今の圓楽師匠みたいに客員でもいいので立川流の中でも芽がある落語家さんは寄席に出る機会を増やして経験値を積んで欲しいですよね

    立川流が残された家元の毒の部分だけをトレースした弟子たちだけのアウトサイダー地下落語集団になってしまうのは少し辛くもありますが

    ただ、部外者の素人には各団体の派閥構造がどうなっているかは分からないので簡単にできることではないでしょうし所詮絵に描いた餅なのかも知れませんが…

    1. うゑ村さん、いらっしゃいませ。

      確かに、志の輔・昇太のパイプでなにか再編成につなげられないかという記事をかつて書いております。
      それを前提に、しかし立川流の若手に対して手を伸ばす組織はないだろうなと。
      だからこそ主体的な行動が必要なのですが、寄席で修業していない人が、寄席の重要性を認識できるかどうか?

  2. 丁稚定吉様

    上、下編にわたる熱量のある記事、拝読しました。立川流の先細り、孫弟子世代で世間にネームバリューのある落語家が出てこないことはファンとして憂慮しています。
    寄席修行を通過しないことのメリット、デメリットはどちらとも挙げられるとは思いますが、やはり今の立川流の惨状(と言っては言いすぎでしょうか)を見ると、デメリットのほうが大きいのでしょうか。寄席修行を一切通過していない志の輔師、談春師、志らく師は立派な売れっ子になったじゃないかとの指摘もありますが、談之助師の著書にも指摘があるように、彼らは勝手に育って勝手に売れたのだと私も思います。規格外の才能や才覚を持っていないかぎり、寄席修行という毎日の積み重ねによって大勢の同業者、先達に揉まれていく長い学習期間は必要不可欠なのではないでしょうか。世間一般の義務教育課程と同じように、そこで多様な価値観に触れ、頭でっかちな尖りを矯正していくことは長く落語家をやっていく中で本来的には必修科目なのではないかと推測します。どうも立川流に「独演会名人」と揶揄されがちな人が少なからずいるのは、寄席を通過しなかったことで一門外のお手本に触れる機会が少なかったことと無関係ではないと思います。

    そもそも落語家は個人事業主でありますが、寄席という文化は相互扶助的なものです。その寄席を切り捨て、個人主義をどんどん尖鋭化させた集団が立川流だと思います。家長でありドグマでもあった談志が亡くなり、組織運営も形骸化する一方です。立川流内の相互扶助的文化すら失われつつあり、なおかつ、寄席修行抜きでの落語家育成メソッドもそもそも用意されていない中で、どうやって孫弟子世代が育っていくのでしょう(家元が理念は掲げつつも具体的な教育メソッドを提示しなかったのは、志の輔師らを見て弟子は大して教えずとも勝手に育つと確信してしまったのではないでしょうか。年を経るにつけ、弟子の育成に興味を失っていった様子からそう邪推してしまいます)。せめて談志の直弟子世代が孫弟子世代へ有形・無形問わず伝えられるものは伝え、手を差し伸べていってほしいと思います。談志ファン、立川流ファンが抱く一門の崩壊の危機感というものを、組織を運営する代表や理事がどれだけ感じ取れてるか、はなはだ疑問です。

    孫弟子世代で世間に名前が届く人がいないのは非常に厳しい現状だと思います。ちらほらメディアに登場する人はいても、それは広く届くというより、狭く深く届いているだけというイメージです。
    こしら師なんかも広くではなく狭く深く売れてるイメージで、わんだ師も好きな人にはたまらない芸なのでしょうが、世間に波及できる芸風とは言いかねます。孫弟子世代の中では名前をよく聞く人たちもどこかカルト的で、世間一般に名前が広まっているとは思えません。

    吉笑さんについては、現在落語論を読んで、あれ?もう落語のなんたるかを分かったように語るのか?と違和感を感じた憶えがあります。ここはうろ覚えなのですが、現在落語論上梓後にその内容について談春師から詰められたエピソードをメールマガジンか何かで発表していて、さすがに楽屋のそういう話を世間にバラしちゃうのは違うだろうと思いました。サブカルの内側でルポライター的な振る舞いをしているようで、そこがなにやら水道橋博士チックで、言い方は悪いですが小賢しさを感じます。常に先を見通して活動しているのでしょうが、どうも才気走りすぎてるような印象を持っています。

    個人的には晴の輔師、こはるさんに売れてほしいと思ってます。晴の輔師はテレビ神奈川の散歩番組内でコーナーを持っていて、嫌味やクセのない語り口で好感を持っています。言い方が合ってるか分かりませんが、飛び道具なしの、本寸法の古典落語をやってくれる、江戸の風を吹かせてくれる人に売れてほしいと思っています(新作派・改作派を否定しているわけではありません。ご理解ください)。

    乱文、長文失礼しました。

    1. まさし様、コメントありがとうございます。
      立川流のファンの方に正しく伝わりましたようで安心しました。
      逆に、私が吉笑さんに対して思う、徐々に増大しつつある違和感の正体を教えていただけた気がします。
      寄席というもの、最初から神聖視するものでもないと思います。だからこそ実験が成り立ったのでしょう。
      ですが、結果はもう出たなと思っています。

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