毎週浅草お茶の間寄席を録画しているが、このところ刺激が少なくていけない。
とはいえこの番組は、浅草演芸ホールの番組を切り取って放映するもの。
寄席自体、ぬるま湯のような空間なのだから仕方ないこと。ぬるま湯を味わいに寄席に出向いている人間が、ぬるま湯が続いて文句を言う筋合いはないが。
そんな中、思わぬ演目が流れてきてちょっとびっくり。
春風亭柳好師で、「唖の釣り」である。
落語以前に「唖」なんて言葉自体、近年では使わない。そもそも、「きちがい」「しな」などと同様、「おし」と打ってもワープロで変換されないのである。
だから「聾唖」で変換している。「聾」は、つんぼ。これももちろん変換されない。
もっとも、この高座だけ分割して残そうと、編集してタイトルを付けたら、HDDのほうではちゃんと「おし」で変換されたから面白い。
この「唖の釣り」に、貴重さを感じて取り上げることにした。テレビで流していいのだな。
もっとも、レア感だけでなく、高座自体に価値を感じてこそだが。
しっかりとぼけた、柳好師らしいいい味。
とぼけた人だから与太郎はぴったり。一見そう思いそうだが、実は結構、企みに充ちた悪い与太郎であったりする。
そして七兵衛さんの身振り手振りが実にいい味。
「唖の釣り」は、私は2017年に続けて2席聴いた。神田連雀亭で、古今亭志ん八さん(現・真打で志ん五)と、鈴本の早朝寄席で、林家扇さん。
だが、それ以外ではまったく遭遇していない。
滅びそうな噺を、二ツ目さんがやっているのは面白い。
放送禁止用語入りの、テレビでやれない噺は覚えづらいだろう。
もっとも人気の演目「金明竹」だって、「気が違った」というセリフがあるので一部変えないとテレビではやりづらいとされている。でも、結構そのまま放映されている。
浅草お茶の間寄席でも、柳家権太楼師の金明竹が「気が違った」入りで流れていた。
それから、セリフ回しだけでなく、乞食に毒見をさせる「ふぐ鍋」も流されている。
だから、世間がびくびくし過ぎな場合もあるのだ。テレビは、表現の自由が一切顧みられないメディアではないらしい。
このたび「ドルチェ&ガッバーナ」が紅白で流せるのかどうか話題になっているが、まあ歌の肝だから大丈夫だろう。
NHKも、コント番組なんかでは、結構固有名詞がじゃんじゃんセリフに入っている。目的がはっきりしていればいいらしいのだ。
そうだとしてやっぱり「唖の釣り」はびっくり。こちらはローカル民放とはいえ。
イメージとしては、按摩の噺がOKだとしても、こちらはダメ。そんな気すらする。
「唖の釣り」は聴いたことがない人が多いだろうから、簡単にストーリーも紹介。
登場人物は、七兵衛さんと与太郎、見回りの役人ふたり。
上野の不忍池は殺生禁断の場所。七兵衛さんは夜中いつも、ここで恐れ多くも鯉を釣っている。
入れ食いだが、見回りの役人は来る。
だが七兵衛さんには秘訣があるのだ。万一見つかったら、「いまわの際にある母親のために、鯉を食べさせてやりたいのだ」と泣き落としに出るのである。
七兵衛さんからその秘訣を聞き出した与太郎、泣き落としを教えてもらい、一緒に不忍池に出かける。並んで親孝行しているのは不自然なので別れて釣る。
先に役人に見つかったのは与太郎。泣き落としのセリフもきちんと覚えていないが、愚かしいところで許してもらう。
「先に見つかったほうが声を上げる」約束を忘れていたので、七兵衛さんも役人に捕まってしまう。
うろたえた七兵衛さん、舌がもつれて喋れない。それを役人が、唖であると解釈してくれる。
親孝行に免じて無事許してもらえる七兵衛さんだが、ついお礼を言ってしまう。
サゲまで書くのは好きじゃないのだが、もったいを付けるほど期待に充ちたサゲでもないので、書いてしまう。
改めて繰り返し聴いてみて、「唖の釣り」には高い価値があることを知る。
「殴られても(利益があるので)我慢する」くだりは「胴乱の幸助」に、泣き落として許してもらうくだりは「花色木綿」にあるので、この噺が唯一の存在ではない。
だが、聴きどころがさらにある。
まず、貴重な釣りの噺だということ。
釣りの噺のマクラは確立されているものが数本ある。だが実際に聴くことはめったにない。
そもそも、釣りの噺でもっともメジャーな「野ざらし」がそれほど現在人気でもないし。
あとは「馬のす」ぐらいか。こちらもごくマイナー。
身体障害にちょっと触れていることをもって、貴重な釣りの噺が廃れているのは残念だ。
そして、ちょっと珍しい構造を持っていることも見逃せない。
落語には、蒟蒻問答や金明竹をはじめとする、コミュニケーションギャップの噺が多い。
相手の言うことがわからないので、間違った解釈をしてしまう。でもなんだか話が通じるところが笑いを生む。
だが笑いの構造はそれだけではない。裏返した構造を持っているのが唖の釣り。
思わず唖になってしまった七兵衛さんが、身振り手振りで役人に事情を伝えるが、なぜか伝わってしまうというもの。
月曜日によしもと新喜劇を見ていた。元「ハム」の滑舌悪い芸人、諸見里大介がなにを言っているかわからないというのは定番ギャグだが、たまに「なぜか諸見里の言うことがわかる」というギャグも入る。
裏返した例外的なギャグなのだが、落語の唖の釣りは最初からこの笑いを狙いにいっている。
非常に貴重な構造だ。