桂阿か枝「厩火事」(ABCラジオなみはや亭より)

東京落語の演目のうち、8割は上方由来とされている。
明治以降にどっと入ってきたのだ。だが、逆に言うと2割は江戸由来。
最近では逆に、東にしかなかったはずの演目が多く、上方に移入されるようになってきている。
演目のバラエティが増えるのはいいことだと思う。
上方落語も盛況だが、同じ噺ばかり掛けていれば飽きられてしまう。
泥棒噺のエキスパート笑福亭松喬師も、泥棒噺をやり切ったので東京の「転宅」など掛けている。
亡くなった柳家喜多八師は上方落語が大好きな人だったが、上方でみな同じ噺ばかり掛けるのでもったいないと嘆いていた。書籍「落語教育委員会」より。

現在、「野ざらし」なんて、東京よりも上方で人気があるようである。アホの噺なので、感覚的にはよくわかる。
これからは、禁断の与太郎ものだって上方に持っていって欲しい。ここに宝の山がある。
与太郎は上方には存在せず、アホの喜六には代替不能。その点ハードル高いのだが、いずれ与太郎ものもどんどん移入されるものと思う。
与太郎が難しくても、とりあえず「猫と金魚」などどうだろう。もうあるかな。

radikoで毎週、私は上方落語を聴いている。
ABCラジオ「なみはや亭」で、桂阿か枝師が「厩火事」を出していた。
この、東京由来の噺を取り上げる。
日曜日の放送なのだが、早くも月曜日には消えてしまった。その前の週の放送は1週間聴けたのに、アーカイブのルールがよくわからない。
とにかく急いで繰り返し聴いた。火曜に当ブログを読んでくださる方は、すでにラジオで聴くチャンスはないのですが。
You Tubeには複数出ているので、得意演目なのだろう。

厩火事、最近上方でちょっと流行っているのかもしれない。
落語には珍しく、ちょっとアホなおかみさんが主人公。アホなかみさんは、「洒落小町」「半分垢」ぐらいでしか見ない。
さて厩火事、私はずっと好きじゃなかった。
なにしろ「ぶらぶらしているヒモ男が偉そうにしている噺」である。
この亭主を好きになれるひとはそうそういまい。第三者的に、別れちまえと思っても当然。
だが、かみさんであるお咲さんの幸せは、別れる道にはないのだ。すると、客と登場人物とに断絶が生じかねない。
そして、「風呂敷」のような抜けた明るさ、解放感はない。
そんな噺だが、いろいろ聴いてだんだん印象が変わってきた。やはり古典落語は強いもの。お咲さんの気持ちに沿うことで、異なるものが見えてくる。
とはいえ、いい厩火事においては必ず、亭主を悪く描き過ぎない工夫はなされるけども。

ちょっと小林麻耶と、怪しい亭主を彷彿とさせる噺だ。旦那は海老蔵か。
だが、これは狙ったものではないので別の機会に。「紙入れ」を聴いて、いちいち志らくを思い出さないのと同様。

先代文枝の最後の弟子、阿か枝師は、決してメジャーな噺家とはいえないだろう。文枝一門なのに、吉本には所属しておらずフリーなのも、露出を減らす理由か。
上方落語を好んで聴く私も、ラジオで聴くのはまったく初めての人だ。だが、いい口調。
この厩火事が、実に淡い味わいでよかった。料理は薄味だが、落語はこってりなのが上方の一般的傾向。
だが、東京で掛かる厩火事よりもさらに淡い味。「あっさり」と評すれば褒め言葉となる。
厩火事はトリでも出せる大きなネタだが、最初から異なる道を歩んでいるらしい阿か枝師。
短い時間で完成されているので、時間の関係で刈り込んだのではないはず。
ダイジェストではなくて、噺の肝を抽出したのだ。

東京の厩火事に入っているシーンが、だいぶ刈り込まれている。
亭主は、髪結いで忙しいお咲さんの留守に、ひとりで牛肉などごちそうをアテに飲んだりしていない。
仕事は確かにしていないが、茶碗を集める趣味人として描かれている。あまり人物造形を掘り下げないことで、客はこの亭主を憎むことはない。
そして、もろこしの子牛と麹町の猿のくだりも短い。ごく単純な発想からすると、ここで笑いを取っておかないと、ウケるところがないよとなりそうなのだけど。
「もろこし」なんてパワーワードも、お咲さんの茶々を待たずに旦那が説明している。
だがギャグなんて少なめでも、客は二つのエピソードに聞き入っている様子である。
お咲さんが麹町の猿の末路について「いい気味ですわ」とぽろっと語る。これで客の気持ちが見事に噺にシンクロする。

お咲さんの内面の逡巡もさほど描写されはしない。
ただし、茶碗を割るシーンだけは、きちんとやる。一応はわけのわからない説明を亭主にして、割る必然性と流れをきちんと構築してからにする。
通常お咲さんは、亭主を試すために、ストーリー的には無理やり皿を割る。そういうものだと思っていたが、スムーズな流れを求めるほうが自然かもしれない。

クスグリは刈り込んだだけではない。足しているものもある。
孔子の馬が焼けたエピソードを聴き、「白馬が黒馬になったやなんて」
亭主を試せとそそのかされるお咲さん、「借家でっせ、火なんかつけられますかいな」
実にささやか。阿か枝師が噺を壊さないためぐっと我慢しているのがよくわかる。

夫婦の関係を必要以上に濃密に描かないため、サゲでもってすべてを回収するようなことはない。客の笑い声も小さい。
だが、こういう一席が、あとでじわじわ来るのです。
東のほうも、これに倣い、思い切ってコンパクトな厩火事を掛けてみたらどうかと思う。
別に編集し直さなくてもいい。新たに覚えたい二ツ目さんが、そういう型で始めたらどうかなと。仲入りのひとつ前の出番ぐらいで出せそうな。

作成者: でっち定吉

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