立川流は逃げていく

先日、初めて立川流の雲水師を聴いた。芸協中心の落語会に顔付けされていたもの。
高座は非常に楽しいものだった。
取り上げる際、すでに休止している雲水師のブログ内容についても記した。
この師匠について、一日ブログの主役に取り上げたし、印象はプラスからのスタートであったことは、最初に強調しておく。

雲水師、ブログを更新していないのももっともで、すでにツイッターに表現の場を移しているのだった。
朝日新聞のネットニュースにツイッターでの政治言動発信のことが載っていて、それを知る。

ツイッターで世相を斬りまくる落語家・立川雲水「今の政治は面白い」

初めて読んで、結構衝撃を覚えた。師の政治的な立ち位置自体をどうこう言いたいのではない。

内容がつまらない。あまりにも。
ユーモアもエスプリもまるで感じない。だからといってさしたる毒もない。発信の目指す方向性がよくわからない。
そのくせ、ドヤ顔と、政治家だけではない、他人を見下す変な立ち位置の高さだけがうかがえるツイート。
中身空っぽのツイッターをニュース媒体が取り上げることに、いったい何の価値があるのか。どうやら単に、朝日新聞のスタンスに近かったというだけのようだ。
まあ、取り上げた側も決して「面白い」とは言っていないのだけど。
極左に映る談四楼師のツイッターは決して好きではないが、存在価値としてはまだ上だなと思った。少なくとも毒としては十分働くから。
雲水師のツイートを読んでも、共感も 反発心も 、一切湧いてこない。
かつてブログで弟弟子の笑いのセンスをディスっておきながら、なんだこのザマ。
いい噺家をひとり見つけたと思ったのに失望した。

客層も左右いろいろいる中で、すべてに合わせなければならないのが本来の噺家の了見だと思っている。
もちろん、噺家だって言論は自由。客を選ぶ噺家になる覚悟があるなら、なにを発信したっていい。とても、そんな覚悟を持ってやってる人はいるように思えないけど。
とにかく、最低限読んで面白いことが前提だろう。
談四楼師のように立ち位置が明確なら、そうしたスタンスのファンだけは少なくとも付くが、雲水師にはそうした変な律義さもない。

私は立川流には厳しめだ。もともと、噺家の了見から外れた人たちの集団だと思っている。
家元談志の権威を使って勝手に高い位置に居座っている割に、個人でやっていけるのはごく一部。論理矛盾だが一匹狼集団の彼ら、いずれ朽ち果てていくであろうことも確信している。
だからといって私は、落語協会の古株に肩入れしているわけではない。立川流だからというだけで差別する了見も嫌だ。だから、他団体より頻度が落ちるのは事実だけど、機会を見つけて聴くようにはしている。
そこからかろうじて、吉笑、笑二といった二ツ目さんのファンになった。今後も聴いていきたいと思っている。
でも、せっかくこちらから寄っていこうとしても、立川流の人たち、今回の雲水師のようにしばしば勝手に逃げていってしまうのである。
やっぱり噺家の了見が特殊なんだよなあ。
上野広小路亭や日暮里で活動している師匠たち、今さら 絶対に 師匠、談志にはなれないわけである。志の輔、談春にもなれないし、生志クラスにだってなれない。
そのことは別に不幸ではない。自分に合った場所で活躍するしかない。でも結果的に一生懸命、活躍場所を自ら潰しているように思えてならない。
芸協に移った談幸師は、大変まっとうな人である。「寄席に出たい」というのは単なる郷愁ではなくて、自分の活動の基盤を決めることなのだ。

雲水師のツイッターに対してお前のブログは、面白さで勝ってるかって? へい、精進します。

作成者: でっち定吉

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