「江戸しぐさ」という、江戸から連綿と続いてきたとされるマナー体系がある。
すでに数年前に、これは捏造された架空の体系だと批判が上がるようになっていた。なのに、道徳の教科書からもいまだに削除されないんだそうだ。
碓井真史という先生の書いた4年前の記事が、なぜかYahooのポータルに再掲されたのを見て、久々に江戸しぐさのことを思い出した。
江戸しぐさの批判については、その文中にも引用されている原田実という偽書研究の人がすでに2冊も本を出している。
とうに化けの皮が剥がれているはずの、江戸しぐさをいまだに普及しようと活動するNPO法人も複数あるものの、客観的に見れば、もう趨勢は決着していると思う。
役人が、一度決めたことをなかなか変えようとしないのは世の常といえ、道徳の教科書からもやがては削除されるのは間違いない。
ただし、江戸しぐさから掬いとれる日本人の誇りをアピールしたい層にはまだ響くので、形を変えて細々と続くことになるだろう。
「今こそ江戸時代の思いやりを取り戻しましょう」とか言って。ただ、「江戸しぐさ」という人工の言葉の、強烈なインパクトにはかなわない。
この一連の騒動をハタから眺めていると、まったくもって落語である。
捏造された伝統、江戸しぐさが嗤われ、そして厭われている理由は、とどのつまりただ一点と思うのだ。
それが、江戸しぐさ提唱者が説明する「江戸っ子大虐殺」である。
口伝で江戸の商家に伝えられていた江戸しぐさを滅ぼすために、明治政府により大規模な江戸っ子狩りが行われ、多くの町人が命を落としたんだそうだ。
江戸しぐさ的な文化にちょっと惹かれがちな心理も、「江戸っ子大虐殺」に突き当たると、さすがに転換を迫られる。
逆に言うなら、「江戸っ子大虐殺」なんていうキズがなければ、江戸しぐさはいまだに隆盛を誇っていたろう。「ロク」(第六感)を江戸っ子が持っていたなんていうのもかなり胡散臭いのだが、なんとなく腑に落ちてしまいかねない。
しかしまあ、「江戸っ子大虐殺」とは甘い設定だなあ。明治から生きてる人はいないから、嘘つき通せると思ったんでしょうか。
江戸しぐさのアピールのためには、「かつて失われたものが、ひっそり伝えられてきた」という根本設定が必要だった。
歴史の書き換え行為自体は、国レベルでおこなわれることもある、人類普遍の伝統。
嘘つき自体は、古典落語でおなじみ。
手紙無筆で、読めない字を読んでやらないとならないアニイが、辻褄合わせるために設定をどんどんかさ上げしていくさまを思い出すではないか。
千早ふるでもいい。
それでも、業平の和歌を、一から解釈し直してしまったご隠居は偉い。竜田川と乞食花魁のエピソードのほうが、真の解釈より面白いもの。
江戸っ子大虐殺だって、もう少し面白ければまだよかった。
さらに江戸っ子大虐殺の甘すぎる設定から、嘘つきがテーマの新作落語を思い出した。林家彦いち師の「神々の唄」。
嘘つきゲンちゃんと、ゲンちゃんの嘘に悩まされるカミさんの夫婦愛と成功を描いた傑作である。
主人公ゲンちゃんの嘘、江戸っ子大虐殺なみにバレバレなのである。「フランス行ってた」「なにしてた」「パン食ってた」。
先刻バレている嘘なのにバレたくないがゆえに行動し、最終的に成功するというのが、古典落語にない部分。
しかし、「江戸っ子大虐殺」という言葉を流行らせた人は偉かった。「江戸しぐさ」のインパクトに打ち勝つには、これぐらいの強烈なワードが必要だ。