池袋演芸場12(年末・新作まつり)

市朗   / 真田小僧
たん丈  / 老人前座じじ太郎
きく麿  / スナック・ヒヤシンス
百栄   / 露出さん
ニックス
彦いち  / 長島の満月
一之輔  / 味噌蔵
(仲入り)
粋歌   / 銀座なまはげ娘
小ゑん  / ぐつぐつ
楽一
天どん  / 芝浜

ちょうど大みそかになったので、今年の落語の振り返りでもしようかと思ったが、柄にもないのでよします。
28日、2017年最後の池袋演芸場、楽日に家族で行ってきました。
池袋は私の自称ホームグラウンド。しかし7月下席以来とご無沙汰しました。
最近では黒門亭のほうによく通っているのだが、やはり私の落語脳は、池袋秘密倶楽部につながっている。
新作まつりみたいな層の厚い番組。しかしながらトリの天どん師匠は芝浜。
今年を締めくくるにふさわしい、実にすばらしい内容でした。
支配人が喜んでいて、来年もこの企画あるかもしれないとのことです。白鳥師のブログより。

行く前に天どん師匠のWebサイトを確認すると、割引券があった。東京かわら版割引のない池袋では貴重である。
印刷して持っていき、親子3人、合計4,600円で入れた。
ひとり分でこのくらい取る落語会、ざらにあります。行かないけど。
午後1時前に並ぶと、すでに列が伸びている。平日だが、夏に喬太郎師の芝居に来たとき(土曜)より早い行列。さすが年末。
それでも早く並んだので席は十分確保できたが、立ち見も出た。
家族では、池袋に今年三度行った。家内もなんだか池袋には付いてくる。

トリの天どん師は、白鳥師と交互。ちなみに白鳥師は、トリの4日間すべて「富Q」をやったらしい。
仲入り前の一之輔師もお目当ての一人だが、東京かわら版を見るとこの日に三越落語会がある。これは代演だなとあきらめていた。
一之輔師の代演は、同格の人が少ないため人選が結構難しい。たぶん、兄弟子の柳朝師だろうと思っていた。まあ、柳朝師も悪くないよねと。
池袋は、当日の確定顔付けの発表が遅い。当日になって確認すると、意外にも一之輔師が入っている。新宿のほうは、予想通り代演で柳朝師が出ていた。
一之輔師、寄席の仲入り前のポジションについては相応の覚悟があるらしい。いずれにしても嬉しいことである。
百栄師も交互出演だが、この日入っていて嬉しい。
これで、古今亭駒次さんが入ったら最高だったのだが、交互出演の三遊亭粋歌さんのほうだった。駒次さんは今年よく聴いたので、まあいい。
女流の粋歌さんも面白かったです。

前座は柳亭市朗さん。よく見かける前座さん。将来は上手くなるんだろうという長い目で見ている。
下手なのではないけど、まだ高座が自然じゃないのである。
上目線の論評で申しわけないですが、ちょっと上手になった。
ネタは真田小僧だが、後半がやや間延びしたかな。
うちの落語大好き息子、やたら親に生意気な口をきくのだが、どうやらリアル金坊を目指しているようだと今日気が付いた。
お父っつぁんは亀ちゃんのほうがいい。

三遊亭たん丈「老人前座じじ太郎」

番組のトップは二ツ目の出番で、円丈師の弟子、三遊亭たん丈さん。そのポンコツキャラのほうがもっぱら話題になる人で、落語の腕は酷評されてばかりの人。
兄弟子、白鳥師匠との漫才「北日本兄弟」は聴いたことがあるのだが、落語は初めて。ちなみに、漫才の内容はまるで覚えていない。
正直私も、交互出演のふう丈さんか、わん丈さんだったらいいのになと思った。めぐろさんでもいい。
寄席で下手な人をひとりでも聴くと、ダメージが大きい。池袋特に落語協会の芝居では、基本的に下手な人はあまり出ないので、こちらの耐性が整っていないということもある。
ところがどっこい。池袋の厳しいファンの前で爆笑の高座であった。嬉しい誤算。
「老人前座じじ太郎」は、白鳥師の作である。ウケの大部分は、このホンの出来によるものに思えた。それでもホンのいい出来を邪魔しない、たん丈さんの欲しがらなさは特筆すべきものかもしれない。
この噺、もともと白鳥師が、リアル年寄前座だったたん丈さんのために作ったらしい。
55歳独身バツなし、42歳で入門しました。柳亭市馬師匠と同い年です、林家正蔵師匠と干支が一緒ですと哀しい自己紹介から。
前座仕事があまりにもできなかったので、落語協会の理事会で、今後30歳を超えた入門者は取ってはならんと決まったと。これ、本当の話だと聞く。
自虐ネタというのは、噺家さんの場合客が引いてしまうことがあるから難しいのである。客に見下されていいこともあまりない。
だがたん丈さんの場合は、ストレートに客に自虐が届く。可哀そうとも思われないし、不快感も与えない。
たん丈さんは、落語人生を人生の敗者としてスタートしていて、欲がないのが利点なのではなかろうか。
この日ウケていたからといって、調子に乗ったりもしないだろう。大したことないのに調子に乗る噺家もたくさんいる中で。
「老人前座じじ太郎」は、人手不足でシルバー人材センターから老人が前座として派遣されてくる噺。二ツ目すら手が足りておらず、仕事のない若手真打の「三遊亭かつ丼」師匠が時給500円で前座の指導をする。
老人じじ太郎が、黒紋付を着た前座として語る、ブラック漫談が実に楽しい。たん丈さんも楽しいのでは。
この噺、白鳥師匠のネタおろしを寄席で聴いたことがある。まあ、白鳥師のことだから、あちこちで「ネタおろしだ」とウソついて掛けてそうな気もするけど。

林家きく麿「スナック・ヒヤシンス」

続いて大きなお腹の林家きく麿師。
新作落語大好きの私だが、どうもきく麿師とは、波長がもうひとつ合ったことがない。決してつまらないのではないし不快な高座でもないけど。
他の新作落語家と違う山をひとり登っている感じなのだが、それ自体はいい悪いではない。
だが、今日はついに波長が一致した。
客の来ないスナック「ヒヤシンス」でママと古参ホステス(併せて150歳)が、嫌いな常連客「山田」の悪口をゲーム形式で言い合う噺。二人で踊りながら山田の悪口を歌いあう。
もはや、落語の形式すら保っていない気がするのだが、これが実に楽しい。新作落語といっても、ウケるためのテクニックは古典と変わらないのが普通だけど、この噺に関しては大きく逸脱している。
スナック芸の延長みたいな芸だが、上方でも大いにウケそうな気がする。上方の新作派が目指しそうな領域でもある。
他の噺家が教わってできる内容ではない。まさにワンアンドオンリー。キーワードは「ビビクリマンボ」。
本編に入って冒頭部できく麿師、登場人物のセリフとして「今日のトリ芝浜ですかね」。たん丈さんのじじ太郎が、前座なのにやたら「芝浜」をやりたがるネタから。
今日はこういった、噺家さん相互の遊びが多くてとても楽しかった。

春風亭百栄「露出さん」

真打が続く。春風亭百栄師。
今日は新作主体のメンバーだが、百栄・彦いちの両師は両刀使いなので、ここらで古典が入るのかなとも思った。だがそのまま新作が続く。
わが家は揃って百栄師の大ファン。だが、私個人は寄席で聴いてあまりよかった経験がない。以前落語会で聴いた、「ドラ吉左衛門之丞勝家」は面白かったけど。
鈴本でヒザ前を務めたとき、何度も聴いて知っているマクラだけの漫談で下りてしまい、大変がっかりした。池袋以外では、主任につなぐヒザ前の仕事としては別段珍しいことではないのだが。
私にとって百栄師は、メディアの中にしかいないバーチャル芸人なのである。先日、浅草お茶の間寄席で流れた「フェルナンド」も面白かった。これも寄席の中継なんだから、寄席でも面白いはずなんだけど。
百栄師は残念なことに、マクラを使い廻し、TVでもCDでも同じものを使う。これ、交互出演の三遊亭丈二師にもいえる欠点。
だが、池袋の高座は、噺家を安穏とさせない。なにせ、よそと違って通が多く、紙切り芸人がいつもと違う話をしだす空間だ。
いつもの寄席礼讃マクラは手短に切り上げ、商売としてのスナックヒヤシンスをいじってから「今では珍しくなった商売があります」と本編へ。
なんと「露出さん」。私はCDを持っている。TVでは出せないのか、一度も聴いたことがない。
年末で子供がいっぱいいる寄席で、露出狂の噺をするとはなんちゅう了見であろうか。だが、実は女性も含めた万人に喜ばれる内容なのである。
街に馴染んでしまい、誰も驚いてくれなくなって悩むベテラン露出狂の物語。街の人には普通に、露出さんと声を掛けられる。
露出狂の独白と、街の女性や警官との楽しい会話が交互に繰り返される、百栄ワールド全開。
露出さんは皆に好かれており、警察の表彰まで受けている。TVからも依頼があって、「ぶらり途中下車の旅」にも出演した。TV局は「ぶらり」の意味を勘違いしているのだ。
すっかり街の人々に馴染んでいる露出さんに、ちょっと人情噺の雰囲気まで漂うのだ。
サゲはCDと異なっていて、ちょっと好き。

姉妹漫才ニックスは今日も快調。どんな席でも安定してウケる。
お姉ちゃんに引っぱたかれた妹の二の腕が、赤いままであった。あれ、ホントに痛そう。
「あたし教会で結婚したい!」「落語協会で?」というありがちのやり取りが妙にツボにはまった。

林家彦いち「長島の満月」

続いて林家彦いち師。
いつも楽屋入りするとネタ帳を見て何の噺をしようか考える。しかし今日のネタはなんですか、前座以外みんな変な新作だと。
「まず老人前座じじ太郎、タイトルが長い!」
彦いち師のおかげで、きく麿師の噺のタイトル「スナック・ヒヤシンス」がわかった。まあ、予想通りの演題。彦いち師はきく麿師の兄弟子である。
古典落語も上手い彦いち師だが、この日はドキュメンタリー落語の「長島の満月」に入る。絵本にもなった名作。
ドキュメンタリー落語とは、彦いち師の個人的な体験を一人称で語る落語。こういう落語をする人は増えたが、彦いち師の場合、演者の一人称で語る点がユニークである。
スタイルとしては、新作の地噺。
地噺なので、新作と言ってもそれまでのおはなしとはかなり雰囲気が異なる。この日は新作を期待されての顔付けらしく、古典をするわけにはいかなかったのかもしれないが、見事なチョイス。
三月に池袋では本当に新作まつりがあった。その日は実に楽しかったのだがやたらと疲れてしまい、その後数週間笑う気にならなかった。
さすが彦いち師で、こうしたスタイルの違う噺を入れてくれると疲れなくていい。ただ、漫談とは相当にスタイルは異なり、やはり落語である。
この「長島の満月」も録画を持っていて、繰り返し聴いている。最初はなんだかよくわからないのだが、繰り返して聴くたびに癖になる。
そして、内容を知って聴いていても、座布団の前側に座って客席にほどよく圧を掛ける彦いち師の噺はとても楽しい。
島に初めてできた信号機のネタで客席が爆笑すると、私まで、どうだと胸を張りたい気持ちになる。
日本の一般的あるあるネタから隔絶した島、故郷の長島(鹿児島県)の日常を回想で語る落語。
給食に、漁師の持ってくる刺身が出てくる長島。オイルショックを経験していない長島。
島の日常すなわち日本の非日常を語るのに、なんだか聴き手の子供時代が蘇る不思議な噺。
エピソードは時間によって出し入れ自由なようで、日ごろ海で泳いでいる島の子供たちが、本土の水泳大会に出るエピソードはなかった。

春風亭一之輔「味噌蔵」

仲入り前は春風亭一之輔師。この人まで新作なんじゃないかと一瞬思った。自作の新作は一応ある。
新作が続くが、私のほうは古典でお許し願いますと「味噌蔵」。あれ、この日の三越落語会ネタ出しと同じだ。
たぶん、三越で一席やってきた後。ということはパワーアップしているかも。その期待にたがわぬ内容であった。
アドリブに強い師匠だから、三越のデキをフィードバックした新しいギャグもきっと入っていたのではないか。
新作以上に、しっかりと作り込んだ内容。古典落語であっても、ちょっとした新作まつりにふさわしい。
一之輔師の味噌蔵は、初めて聴く。「プロフェッショナル仕事の流儀」でちらっと映ったネタ帳を当ブログにも書き記したが、味噌蔵はよくやっているほうではあるものの、特に多いわけでもないようだ。

そもそも、冬限定ということもあるしあまり掛からない噺。瀧川鯉昇師のものはとても面白いが、他に誰がやっているだろう。小遊三師はやるみたい。
しかしいきなりびっくりした。主人、赤螺屋ケチ兵衛の吝嗇エピソードを丸ごとカット。いきなり、里帰り出産した妻の実家に向かおうとするシーンから始まる。
出掛ける前に、火事が心配な旦那。商売物の味噌で蔵を目塗りして、焼けたあと剥がして奉公人のおかずにしろと番頭に言い聞かせる旦那。
番頭は無茶な注文に対し「勉強になります」と頭を下げるが、定吉は番頭を「この人、頭おかしい」と叫んで叱られる。
仲入り前だから時間はそこそこあるのに、まるで12分のNHK演芸図鑑に出すような編集の仕方ではないか。
だが、そのわけはじきにわかった。前半を思い切ってカットし、奉公人たちが宴会の相談をするシーンを厚めにしているのである。
日ごろ貧しい食生活を強いられている奉公人たち、主人の留守に贅沢をさせてやるといっても贅沢がわからない。
アメリカンドッグのカリカリしたところをまとめて食べたいとか、納豆についてる小袋のたれをちゅぱちゅぱ舐めたいとか。
あんかけ焼きそばにヤングコーンを半分にせず丸ごと一本入れて欲しいというこだわりも。このヤングコーン、実は終盤の伏線にもなっている。
しばらく、ヤングコーンを見るたび爆笑しそうだ。
人の脳の片隅にある、本当にちょっとした情報を、表にすくいあげてオープンにするのがこの師匠はとても上手い。
味噌蔵といえばキーワードは「ドガチャカ」なのであるが、番頭が奉公人に向かい「ドガチャカ」をなぜか声に出して宣言する。みんなに言ってみろと言うので、私を含めた数人の客が声を合わせる。
「まあ、三人はついてきた」と番頭の一之輔師。

主人が奉公人の予想外に、妻の実家に泊らずその日のうちに帰ってくると、通りに「ラ・マルセイエーズ」が聴こえてくる。しばしの自由を謳歌している奉公人が歌っているのである。
こういうところに教養がにじみ出てくる一之輔落語はとても楽しい。
しかも、奉公人のひとり甚助さんは、なんでもマルセイユ出身らしい。定吉からその事実を教わった旦那、「だから目が青いのか」と驚いている。
一之輔師の財産であるギャグの数々を、覚えているまま逐一書くのは気が引けるので、自分のメモ代わりに書いておく。「焼き印」「割り箸」。
若き落語ジャイアント一之輔、古典落語オンリーながら新作の味わいも感じられるし、なによりも面白い。
この人だけ聴いておきさえすれば落語は足りるのではないかという気も一瞬はする。そういうファンもたくさんいるのでは?
だけど私は、今年も寄席の雑多なメンバーの中で一之輔師を聴いていきたい。柳家喬太郎師にも同じことを思う。

三遊亭粋歌「銀座なまはげ娘」

女流、三遊亭粋歌さんは初めて。
昨年は二ツ目さんの落語をずいぶん聴きにいった。それでも通常の寄席や黒門亭の枠は少ないので、知らない人もまだまだいる。
池袋は、二ツ目をクイツキに抜擢などたまにする。三月の新作まつりのときもそうだった。
落語に限らず、ストーリーを考えるときは、異なる世界のものを結び付けろなんていう。「銀座なまはげ娘」その見本のような秀作だ。
銀座の高級ジュエリー「ハリー・ウィンストン」(劇中ではパリー・ウィンストン)と、「なまはげ」というかなり異質なもの同士を結びつけると一席の落語ができる。
私は創作活動もしたいのだけど、現状できているわけではない。噺を作れる人は非常に尊敬しますね。
「銀座なまはげ娘」というタイトルも、また洒落ている。
パリー・ウィンストンに勤めていた女性が、バイヤーとしての経験を積むためパリに留学しようとお店を辞めたところ、人生が暗転して秋田県のアンテナショップでなまはげ実演をする羽目になる。そして、なまはげ衣装のまま以前の勤め先を訪問することになる。
なまはげといえば、今日トップバッターで出た秋田出身のたん丈さんなのだが、この噺の中にもちゃんと名前が出てきた。
粋歌さん、柳家小八師匠夫人なんですね。知らなかった。

柳家小ゑん「ぐつぐつ」

入場前の行列に並んでいた段階で、この日は子供が多いことを確認している。並びながら、ヒザ前の柳家小ゑん師は「ぐつぐつ」だろうと確信していた。
子供が多いときは、「親に連れてこられて可哀そうだ」とぐつぐつをやるらしい。特にこの時季は、あちこちで掛ける。
うちの子は無理やり連れてこられているわけでもなんでもないから、気を遣っていただかなくていいけど。ちなみにうちの子、「小ゑん師匠が僕のことを覚えている感じだった」とのことだ。客席の明るい池袋で、目のいい小ゑん師だから、本当にそうなのかもしれない。
CDも、録画(二種類)も持っているぐつぐつだが、寄席で聴いたことは一度もないのでいいかなとも思う。円丈師の「新ぐつぐつ」は新宿のトリで聴いた。
おでん落語の名作。鍋の中で喋るおでんたちというのは、アニメの「おでんくん」と一緒の設定だが、「ぐつぐつ」のほうがずっと先。私も、35年くらい前に笑点の演芸コーナーで聴いたのを覚えている。

小ゑん師のツイッターによると、ぐつぐつはおおむね評判がいいものの、「またぐつぐつか」という中傷も漏れ聞こえてくるらしい。
だが、池袋の濃いファンにもよく響く作品だ。私も、劇中のセリフはほぼ頭の中に入っているが、それでも面白い。

小ゑん師の「ぐつぐつ」をはじめ、この日の池袋、新作落語でも知っている噺が多かった。だが、そのことは不満にはまったくならなかった。
この日のファンは、「ぐつぐつ」などよく知っていそうだが、よくできた古典落語と同様、わかっている人にもとても楽しいのだ。
落語の帰りに、親子連れの子供が「おでん食べたい」などと言い出すと思うと、二倍楽しい。
CD(ラジオデイズ版)で持っているぐつぐつでは、おでん屋台の舞台は小ゑん師の故郷、西小山駅前であるが、最近では「とある私鉄沿線」に替わっている。それだけ、より普遍性が増しているのだ。

鍋の外の人間模様と、鍋の中のおでんたちを交互に映し出すオムニバス落語。
家内も生ぐつぐつが聴けてとても嬉しかったそうである。まさにラッキー・ポッキー・ケンタッキー。
ちなみに、普段にはないセリフがあった。おたまで袈裟懸けに斬られた大根が、「キッコーマンの丸大豆しょうゆが傷口に沁みる」。これ、一之輔師を意識したのではなかろうか。一之輔師は野田の出身。
関係ないけど、わが家もキッコーマン丸大豆しょうゆです。

そういえば、最近「柳家喬太郎のイレブン寄席」で小ゑん師のぐつぐつが掛けられたのだが、収録の客の一部がなにを勘違いしたものか、「ぐつぐつ」のジングルのたびに拍手をする。せっかくの貴重な録画が台なしではないか。
結局、聴き手の自我が無為に肥大しているのだ。
噺家さんに喜んでもらいたいなら、笑うのが一番。ギャグに向かって切れ切れに拍手しても誰も喜ばない。
今日はさすが池袋で、そんな無粋な客はいない。
2017年はよく小ゑん師を聴いた。
当ブログにも、小ゑん師の演目を検索してよくお越しいただく。
最近も、「吉田課長」や「下町せんべい」「鉄寝床」などを探しての訪問があった。ああ、小ゑん師匠がどこかで掛けたんだなと思って嬉しくなる。

楽一師匠の紙切りは初めて観た。正楽師匠とは違い、黒い紙を使って、バックライト付きのフォルダに挟んで客に見せる。
子供が多い客席、大人が遠慮して子供に注文を任せていた。いいお客さんです。
おかげで、うちの息子も一枚おこぼれに預かりました。

三遊亭天どん「芝浜」

トリの天どん師匠には待ってましたの声。だが、4列目にいたこの声の主、それまでも少々気になっていたのだが笑い声が過剰だ。
天どん師のファンらしいのだが、人情噺の芝浜なのに、どうでもいいシーンで声を上げて笑う笑う。それまでの高座でも、ちょっと突出した笑いが聴こえていて、かすかに気にはなっていた。天どん師の高座になると、はっきり浮いている。
必ずしも「人情噺=笑わない噺」ということではないけど、いちいち笑ってみせる必要などない。
私が少々神経質なのかと思い、家内に後で訊いてみたら、家内も気になったとのこと。さらに前の客も、変な笑い声にわざわざ振り返っていたと。
作為的な笑いは、誰も幸せにはしない。もちろん演者も。
人情噺というのは、初心者には聴き方が少々難しいのだろうが、せっかく聴くなら空気を読むことを学んで欲しいものだ。
それほど難しい作法を求めているわけではない。まわりの客をよく見ていればいいだけのことだ。自分以外笑っていないのであれば、おかしいのは自分のほうだ。
いつもながらとてもいい客の揃った池袋であったが、ひとりふたりはこういうのもいる。
ちなみに、この男の客もブログやっているのではないか? この日のレビューをしている、状況的にぴったりな初心者のブログを見つけたので。
人に落語の面白さを伝えようとする前に、まず自分のふるまいをきちんとしなさいよ。

天どん師、ツイッターでも年末らしいのをやると予告していた。事前に読んでいなかったけどブログのほうでは、「芝浜」ネタ出し予告があった。
長い芝浜だった。終わったのが5時15分をまわっていた。
天どん師、人情噺を語っていても、終始ワンクッション挟んでいるような、この人独特のスタイル。
高座が生々しくないのだ。登場人物に過剰になりきったりはしない。
泣かせようなどという邪心は持っていない。

芝浜の主人公魚勝は、噺家さんのチャレンジ精神を呼び起こす人物のようである。
天どん師、腕は間違いのない魚勝を「楽して生きていきたい人物」と徹底的に強調して描く。楽したい了見で酒に走る人間、そうそう更生するわけないのだ。
では、どう処理するか。天どん師は、具体的にどうやったらこういう人物が更生するのかを考える。
普通の芝浜には入っていない、得意先に頭を下げるシーンが入っている。深々と来なくなったことを詫び、自らの下ろした魚を渡してまた贔屓になってもらう。
こうしたリアルなくして、ダメ人間は更生しないのだろう。ファンタジーとしてではなく、現実にあり得ることとして描く天どん師。
だから、魚勝もそんなに立派な店に生まれ変わったわけでもない。だが、店が立派になったことより、働いてその蓄えで楽をする生活スタイルを、魚勝がはっきり自覚して実践できるようになったことのほうが、はるかに重要なのだ。
その分、財布を拾ったことを夢にしてしまうことには、リアリティは求めない。天どん師の嫌う小三治師は、「俺は昔からいやにはっきりした夢を見ることがあった」と言わせて、夢を夢にすることに注力していた気がする。
いや、天どん師工夫してるんだなあ。最後、酒飲んじゃって、新しいサゲくっつけてしまうのではないかと思ったくらい。
ただ、ちょっと終盤が間延びした気がした。もっとサゲまで短く運べるのではないかな。

一年の締めくくりにすばらしい高座が続いた池袋でした。

作成者: でっち定吉

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