丁稚の反省(上・THE W)

「昔ながらの落語のオチ分類」を続けているのだが、個別記事のアクセス数が実に少ない。
もともと、初心者に落語を勧めるメディアでサゲ分類などなぜ解説するのか、非常に疑問に思っていたのだが、そんな需要などどこにもなかった。それを私が自ら証明してしまった。
いったん中断して、「円楽と志らく」という記事を出したらこちらは早々ヒット。
日々のアクセス回復のため、今日も別ネタにします。
そうこうするうちにM-1グランプリが始まってしまう。オチの話はいつ完結するやら。

さていろいろと日々のものの考え方の反省など。
まず、女芸人「THE W」。
昨年注目した「はなしょー」が今年は落ちてしまい、これは本当に残念だった。
審査に異を唱えるなんてことはしないけど、ただちょっと捻った審美眼の審査員が多い印象はある。
はなしょーの病院ネタは、すでにYou Tubeで視て知っていたものだったが、全然影響がない。
セリフのやり取りの中に、ツッコミみたいな自己解説つぶやきがさらっと入る演出が、とても好きである。

Aマッソの芸は、びっくりはしたがネタ自体は別に面白いとは思わなかった。途中で飽きた。
昔流行った陣内智則のひとりコントは、ひとり芸としてびっくりさせられただけでなく、質が伴っていて本当にすごかったなと改めて思う次第。

「まあねー」のぼる塾は、家内が爆笑していた。すでに露出しすぎて擦り切れかかった芸だが、あまりネタ番組を視ていない人にはとても楽しく映ったらしい。

優勝した「吉住」について。
私のお笑い脳は、彼女のピン芸に対して明確に反応している。にも関わらず、ずっと納得いかないまま。
どう面白いのかも完全に把握しているのに。その面白さがストレートに沁み込んでこない。
終わってからも、「この人は売れないな」とつぶやく私。

昨年ははなしょーのネタに新作落語を感じたのだが、今年は吉住のほうが、落語との親和性はむしろ高い。
特に一本目の女審判。物語の世界そのものをボケにしてしまう、三遊亭白鳥師の落語っぽいネタである。

ひと晩、なぜ納得いかないか考えて、結局、ビジュアル面だと腑に落ちた。
地味すぎるビジュアルを、生理的に受け入れられなかったようなのだ。
こんなつまらん感性の人間に、賞レースを語る資格などあるだろうか? だから今、猛省しているのである。

もっとも、今後の私の変遷についても、ある程度予想はできている。
今後吉住という芸人が、年末と正月の特番で消化されることで、彼女にどんどん慣れていく。
もともと面白さを濃厚に感じている以上、慣れていけばどんどん好きになりそう。
もっとも当初の私がそう感じたように、本当に売れないという可能性ももちろんある。
ほれ見たことかではなく、すでに好きになっていれば、残念に思うに違いない。

ビジュアルといっても、美人の芸人ならよくて、あとがダメなんてことではない。さすがに、そんなものの見方をするヤツがお笑いなど見てはいけない。
ゆりやんの外見を不快に思う人は、あまりいないと思う。
メイプル超合金の安藤なつも受け入れられないビジュアルだったのだが、ナイツのラジオで毎週聴いているので慣れ、今や好感まで持つようになった。
女流落語家についても考える。
先日、啖呵を受け入れられなかった女流二ツ目についても、地味なビジュアルが、私の評価に強く影響を与えている事実にその後気づいた。
林家つる子、金原亭乃ゝ香など美人落語家の存在は認知しているが、追いかけたりまではしない。
だが、美人である事実を無視するつもりもない。それは芸人のひとつの個性であり、活かすべきもの。
実際、女流でいちばん売れてる柳亭こみち師を見ていると、ビジュアルは評価においても大事な要素なのだ。そうも思う。

以上、偏見が含まれていることは自認しているが、かろうじて一つの見解として許されるものと思ってはいます。
男の噺家だって、ビジュアルは客に大きな影響を与えているはずである。扇辰師はやはりカッコいいし。
ビジュアルに恵まれていない女流は、ビジュアルに頼らない落語をするしかない。それは偏見とは違うと思う。

明日も反省シリーズですが、落語・演芸に関するネタじゃありません。

(下)に続く

 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。