ナイツと能町みね子(とちょっと志らく)

今晩は国民的イベント、M-1グランプリ。
生放送を採点しながら観て、明日出そうと思います。
普段落語を聴いている男の漫才批評、よかったらご覧ください。おかしな点数もつけると思いますが。

さて今日の記事はつなぎ。
尻切れトンボになっている落語のオチの話を続けてもいいのだが、ナイツのちゃきちゃき大放送を聴いていてネタを拾ったもので。
「常連さんにきいてみよう」のコーナーゲストは、能町みね子。常連さんだから毎月出る。
かつてこの人の主導した「高輪ゲートウェイ駅名反対運動」は非常にイヤだが、それ以外はおおむね舌鋒鋭く、しかしバランスを取ったコメントが見事な人だと思っている。
ラジオの生放送で1週間のニュースを振り返るコーナー。
お得意の相撲の話などしたあと、「これは予定になかったのだが」と断り、DHC会長のヘイトの話題を唐突に。
私も昨日の記事で触れたばかりなので、個人的にタイムリー。
放送でも言えないぐらいのひどい差別をした企業を、どうしてテレビ局がもっと報道しないのか、スポンサーとして切らないのか。(ツイッターにも書いていたが)特定のドラッグストアでDHCの扱いをやめれば大きな運動につながるのにと。
これについては我が意を得たり。
事前の打ち合わせで、TBSとしてはDHCの記事はNGだったのだろう。でも、「このぐらいは言って許されるはず」と決断をし、アドリブでコメントする能町みね子。
反旗の翻しかたがスマートで見事だなと。
「TBSはおかしい!」と大声を上げるとなると、それは違うのだろう。月イチゲストの座も追われて、言いたいこと言える場所も減ってしまう。
ツイッターでは語っている以上、放送では黙っていてもいいのだが、それはよしとしなかったようだ。

能町みね子のコメントの内容には賛同する。ところで、まったく違うことを考えた。
本当は、志らくの番組(グッとラック!)の終了報道にもコメントしたいんじゃないか。
かつて能町は溢れる相撲愛を理由に、無責任に貴乃花擁護をする志らくを、ツイッターで徹底的に否定してみせた。理屈による武装がまったくできない志らくはタジタジであった。見事な闘いっぷり。

でも、さすがの能町みね子も、TBSのラジオに出してもらっているのに、同局のテレビ番組打ち切り報道について余計なことは言えない。
ちゃきちゃき大放送自体、小林麻耶の件には、ニュースを除いて一切触れてこなかったし。
ラジオだからって自由なメディアじゃないということを再確認。でもそれをどうこう言うのではなく、制限を前提になにを語るかが、知恵だ。
来月また、なにごともなかったように彼女が出演することまで含めて、成功ということになるだろう。

以下、ナイツつながり。
M-1を当て込んで、文春オンラインに記事が出ている。ちょっとこれについて。

ナイツ塙が明かす「女芸人No.1決定戦 THE W」「R-1グランプリ」が“つまらない”理由

この記事の前編、<「関東芸人はM-1で勝てないと思います」ナイツ塙が分析したM-1で“勝てる”漫才のポイント>にもリンクが張られている。
まあ、いずれも書籍の引用なので、既読の人には今さら感はあるだろうが。

コメントしたいのは、表題のTHE WとR-1のことではない。
ハライチ岩井の落語見立ての話。岩井によると自分たちは新作落語で、古典落語の大会では勝てないのだと。
岩井は勘違いしている。
彼が真に言いたかったことはもちろんわかっているが、あえて落語好きとして、新作落語の見立ては全然当てはまっていないことを言いたい。
できれば、寄席芸人ナイツ塙に否定して欲しいところであった。

落語の世界における新作落語は、ハライチの漫才ほど特別な存在では、決してない。不当に貶められてもいない。
現在、「古典落語ファンが引く新作落語」なんてほとんどない。あると思うのは幻想であり、過去の幻影。
「古典落語は気難しい年寄りが、新作落語は柔軟な若い人が好む」なんて思い込みがあるのだろうが、まるで間違い。
むしろ、今の若い人は幼少時から日本の文化になじみ、ネガティブな印象を持たずに成長してきている。年寄りがかつてそうだったような、古典を再発見する必要などもともとない。
若者には、古典落語のほうがとっつきやすいぐらいじゃないだろうか。
落語好きが受け入れられない新作があるとしたら、下手に作ったものだけ。新作は完全に落語のプラットフォームに載っていて、特殊なものでもなんでもないのである。
先日のNHK新人落語大賞でも笑福亭羽光さんの新作が優勝した。あの大会でも、そもそも新作、虐げられてなどいない。
二刀流の噺家なら、新作のほうがむしろ有利である。

この点、寄席芸人ナイツ塙も意外と、寄席で普通に掛けられている新作になじんでないのかもしれないな。
今、寄席で普通にウケる新作というと、ナイツの属する芸協でなく、落語協会のほうが主だから。

落語見立てはともかくナイツ塙は岩井の見解に関し、そうじゃないと。
ハライチの演者ふたりの関係性が弱いだけなんだと言う。
これ、期せずして、先日のTHE MANZAIにおけるウーマンラッシュアワーの批判にもなっている。村本が笑いの天才だと勘違いしている人は、じっくりこのエッセンスを読み込んで欲しいものだ。
ちなみに、松ちゃんもツッコミの仕事についてはいつも手厳しい。この点、よく似ている。

ところで、ラジオレギュラー週18時間のナイツ、また番組が増えている。
ニッポン放送の不定期で、「ぶんつうラジオ」というもの。
この番組の第2回のゲストがニックス、第3回が宮田陽・昇。
寄席漫才好きの私には、とても嬉しかったです。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 更新ご苦労さまです。

    岩井さんの一件、私もナイツ塙さんの著書を読んでいたので知ってはいました。おそらく岩井さんとしては「古典落語=M-1ウケのいい『型にはまった』関西弁漫才」「新作落語=標準語の型にはまらない漫才」という比喩がしたかったのかなと思いました(※比喩の適切さは正しくなくとも『テンポの早い関西弁漫才』という型みたいなものがM-1で幅を効かせてそれが優勝者の関西弁吉本漫才師の偏重になっているような気はしていますが)

    しかしながらおっしゃる通り新作落語は古典落語に虐げられている日陰者ではないですし昔ならともかく今の世の中で新作落語を軟派・邪道と考える古典落語原理主義者の老人というステレオタイプは多くはないとは思いましたね。

    とはいえ裏を返せば岩井さんの比喩は落語を知っている人と知らない人とでは認識の差がまだあるんだなとも感じましたね。落語側も色々と歩み寄ろうと努力はしてきているとは思います。

    しかしそれでも伝統芸能という一面もあるので落語を知らない人が連想する落語の世界はいまだに(偏見含みで申し訳ないですが)技術はあったものの政治力がない上にストイックすぎて煙たがれた(と個人的には思っている)三遊亭圓生師匠みたいな人が牛耳っている堅苦しい世界なのかなと思いましたね。

    もちろん今でも厳格な高齢の師匠はいるとは思います。しかし、昔と比べたら多様化してきたのかなとも思っています。落語を知らない人が今の落語の多様性に触れて誤解がとけるような工夫がされていくといいですよね。

    最後に長文失礼しました。M-1の総括楽しみにしています。

    1. うゑ村さん、ありがとうございます。
      「ハライチ岩井の見解をナイツ塙が論評する」というシステムはなにも間違っていないし、語っていることもすばらしい。だがそもそも、論評の道具立てが違うという。
      芸協新作でも、鯉八さんの会など行くとお客は年配女性ばかりで、しかもこの人たちが実によくわかっています。面白いものです。

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