好也 / 七福神
楽大 / 寄合酒
朝橘 / 身投げ屋
菊春 / うなぎ屋
楽市 / 時そば
円福 / 初天神
(仲入り)
正雀 / 鴻池の犬
紫文
竜楽 / 阿武松
今年最初に出向く寄席は、なんと両国。ちなみに昨年は亀戸でした。
2年続けて円楽党からスタートです。
昨年は恐る恐る出向いた円楽党だが、今年はもう、ホームグラウンドに近い。
今日の主任は三遊亭竜楽師。昨年6席聴かせていただいた師匠。席数ではたぶん最多タイ。
だが、家族を連れて聴いたことは一度もない。隠れた名人、竜楽師を家族に披露するのが目的である。びっくりして腰抜かして座りしょんべんするなよ、と来たもんだ。
夜席だけの両国は子供がいると出掛けづらいが、土曜日ならなんとか。
お江戸両国亭に着くと、スウェーデン人の前座じゅうべえさんが外で太鼓を叩いていた。
最近知ったのだが、1,500円の両国寄席、主任の師匠を聴きにきたと言えば前売り料金1,200円で入れてくれるのだ。
前回12月は、そんなこと知らなかった。子供と二人で行って3,000円取られるところ、「あ、子供料金ないんですね」とつぶやいたら子供だけ1,200円で入れてくれた。別に嫌味で言ったわけじゃなかったのだけど、ありがとう。
今日は「竜楽師匠を聴きにきました」と言って、親子3人3,600円で入れていただきました。
落語協会、芸協はまだまだ高い二之席の開催中、安く入れて愉快痛快。
両国寄席は、円楽党に他派が混じる面白い顔付けがなされているのだが、今日のゲストは色物さん含め3人とも落語協会である。前座を抜くと、円楽党4人。
庇を貸して母屋を取られ、てませんか大丈夫ですか。それはともかく、林家正雀師まで登場するなかなか通好みの番組。
寒波到来の中なかなかの入りでした。50人近く入っているか。
冒頭から。
前座の好也さんは初めて。これで、好楽師匠の弟子、5番目から10番目まで制覇だ。別にそんなこと目指してないけど。
私は初席に出向かないので、正月しかやらない噺にはあまりなじみがない。
楽しい七福神(または「かつぎや」)が聴けてよかった。
好楽一門、皆上手いのでいつも感心する。
三遊亭楽大「寄合酒」
夏の両国で聴いて以来になる巨体の楽大さんは、この日もパアッと明るく楽しい高座。
節分には両国寄席で手ぬぐい配るのだが、お客さんが3人しかいなかったりすると。皆さん来てくださいとのこと。両国だけでなくて手ぬぐい配りは寄席ではやっているけど、私も行ったことないな。
京都の呉服屋さんにかわいがられているという内容のマクラ。でも仕事はくれないし、服もくれないらしい。
そこからのつきあいで、L’Arc~en~Cielのhydeの誕生会に呼ばれているのだとか。別に自慢気な、嫌味な内容ではなく楽しい。
そこから、やはり明るい寄合酒。乾物屋から持ってきた食材について、兄貴分が料理の指示をいちいち出し、持ってきた方も気軽にそれに応じていてオヤと思った。
簡単に指示を出すところまでは、まあ聴く。だがそれに応じ、鯛を片っぴらだけ刺身にして、片っぴらは塩焼きにするところまで具体的に指示出して、「おう、できるよ」と応じるやり取りは初めて聞いた。
楽大さんが食いしん坊なのがうかがえる。また、これによって噺に奥行きが加わるのでいいですね。決して無駄なシーンではないのだ。
今日はうなぎ、そば、飴、どんぶり、大食いと食べ物の噺が多かった。これはツいてることにはならないだろう。
三遊亭朝橘「身投げ屋」
小圓朝師の代演で、弟弟子の朝橘師。
小三治師のところを破門されて、父と同じ円楽党に身を寄せた苦労人の小圓朝師、まだ聴いていないのでちょっと楽しみにしていたのだが。
まあ、先々月、先月と楽しませてもらい、すっかりファンになった若手真打、朝橘師なら全然構わない。
まず寄席名物の代演を詫び、期待されていない自分についての自虐をひとくさり。
小圓朝兄さんの高座を目当てに来られた方います? と客に問う。後ろの方に一人いたみたい。
今回の両国寄席、朝橘師はかなり代演に入るらしい。
ネタは大変珍しい「身投げ屋」でびっくり。
やる人、五街道雲助師以外に知らない。調べたら、芸協の売り出し株、当代三笑亭夢丸師も掛けるらしい。
朝橘師は雲助師に教わったのか? それとも自分の師匠?
ちなみに、落語の演題で「○○屋」と表記されるのは、店を構えている商人の場合に限るらしい。確か先代桂文治の教え。
だから、店を構えていない商人の噺の場合、「ざるや」「豆や」「かつぎや」と表記するのが本当なのだと。
そこからすると、この噺は「身投げや」でないといけないことになる・・・間が抜けてるな。やはり「身投げ屋」。
誰に教わったのかは知らないが、少なくとも雲助師の「身投げ屋」とは相当に違う。テンポが非常に速い。
志ん朝が仮に掛けていたとすれば、きっとこんなふうにやっていたんじゃないかというムード。
珍しい噺というものは、だいたいその珍しさに価値があって掛けられるものである。噺家さんとしても、その部分で勝負をしている気がする。
だが朝橘師、珍しい噺を、大変メジャーな噺であるかのように語る。すごいことである。
珍しさ以前に、とても面白い。速いテンポだが、テンポそのもので高揚感を与えるというより、間を持った部分とのメリハリが効果的なのがいい。
噺は、両国橋で身投げ屋(他人がいるときに「死なせてください」とやって恵んでもらう)を始めた男が、結局親子の身投げ屋に同じ手法で巻き上げられるという単純なものである。
落語をよく聴く人なら、この噺を知らなくてもサゲは予測できてしまう。
だが、そういったわかりやすい部分も含めて、古典落語のエッセンスがぎっしり詰まっている。
人の生き死にの話なのだが、とてもカラッとしていて気持ちいい。助けてくれる人のふところを見極める場面は爆笑。
いやーすばらしい。またファン度が増した。
朝橘師、三年以内に、かつての兼好師や萬橘師のように売れてくると確信している。
朝橘師は2005年入門で、落語協会だと二ツ目の中堅どころ、市楽、歌扇、粋歌、市江、小太郎が同期である。芸協だと、鯉斗、双葉、小痴楽。
早めに真打になってしまえる円楽党ではあるが、同期と比較しても立派な真打だと思う。
古今亭菊春「うなぎ屋」
古今亭菊春師は落語協会の噺家さんだが、私は初めてお見かけする。先日は「浅草お茶の間寄席」で、明るい高座を務めていた。
圓菊一門は大所帯だが、私のホームグラウンド池袋に呼ばれる人は限られている。上から志ん弥、菊丸、菊之丞、菊志ん、菊太楼、文菊、ここまでである。
寄席、特に落語協会の席の競争原理は、それは厳しいのだ。
「落語協会は寄席に出られ、円楽党や立川流は土手組」だと思っている人もいるだろうが、決してそんなに単純ではない。一之輔師など、忙しいのにいつも寄席に出ているが、この師匠が出るということは、ひとり出られない人がいるということでもある。
といって、寄席に顔付けされない人がみな下手かというと、そんなこともないけど。池袋には呼ばれない人も、出演者の多い浅草や新宿には出られる。
さて、池袋でお見かけしない菊春師はどうだろう。
ドタバタ噺のうなぎ屋、落語大好きのうちの子がやたら喜んでいたのでよかった。
ただ本当に微妙なところなのだけど、「この人を聴けた!」「この人ならでは!」という満足度がちょっと足りなかった。
「寄席にあまり出ない人も上手いものだ」という感想と紙一重なのだが。
三遊亭楽市「時そば」
順序変更で楽市師。本来はクイツキ。ゆっくり楽屋入りしたら、正雀師、円福師がまだ入っていないのですぐ上がってくれと言われて動揺しているとのこと。
缶コーヒー買ったのに飲んでないそうで。
この、当代円楽師の弟子も初めて。いい男だ。イケメンブームに乗り損ねたのだろうか。
年男ですと自己紹介。24です、とギャグを飛ばし、うそうそ36ですと言って客が納得したところ、「本当は48です」。
48には絶対見えない。
噺家の世界、貫禄がないと損ですと。早く年を取りたがる人が多いが、自分は地方に一緒に行った、頭の薄い前座の後輩だと思われることが多いのだと。
まあ基本は確かにそうだけど、昇太師みたいな人もいるから絶対とは思わない。
ちなみに、当代円楽師の弟子に老成した人は少なく、なぜかみな若作りである。
地方で落語をするときには、予算確保のため講演会になることが多いというマクラ。時そばを演じるだけでも、「落語と不定時法」というタイトルになる。
楽市師、江戸時代の刻の数え方を解説してくれる。丑三つ時の説明時、「夏は夜が長いので」と間違ったまま進めていたのが少々気になったけど。
そしてこの季節にピッタリの「時そば」。
なかなかよかった。時そばは笑いのない、一人目の仕込みを乗り切らなければならない噺だが、この点非常にスムーズであった。
そして二人目のそば屋も、小生意気な店主だが、悪ふざけのレベルまではいかない。ここでとことんふざけたくなる噺家さんも多いけども。
「どんぶりにものこぎりにも使えて重宝」というありがちのクスグリは入らない。
そのかわり、「これそばかい? 太くて平べったくてきしめんじゃねえのか。まあいいよ、俺江戸っ子ぶってるけど名古屋の出身だから懐かしいや」。名古屋出身は本当。
円楽党を聴くようになるまで、当代円楽師の弟子はヘタクソばかりなのだと思っていた。師匠も弟子をよく言わないし。
実際には、明らかに下手な人などいない。この日出た楽大さんも達者。ほんとすみませんでした。
まあ、売れている弟子は確かにいないけど。
三遊亭円福「初天神」
円福師は例によって、といってもお見かけするのが二度目だからそんなに知っているわけではないが、出囃子と手拍子に乗って踊って入場。
バラバラの手拍子に、「次は覚えてしっかりお願いします」。稚気に溢れた師匠である。
先月聴いたばかり。うちの子もその際の「ふぐ鍋」が非常に楽しかったそうである。
今日の着物は「はれのひ」でレンタルしたものですとマクラ降ってから、初天神。うちの子がいたからのチョイス? まあ、そうでなくても、今が旬の噺ではある。実際のところ年中やってるけど。
先日亀戸で、楽京師の初天神を聴き、いつも聴く初天神とかなり違う型なので驚いたのだが、それがすなわち三遊亭の標準というわけでもないらしい。
落語協会の寄席で聴く初天神とは違うものの、もう少しスタンダードに思える型であった。
そして、円福師の描く子供がすばらしい。シニカルでピュアという、まさにこれがリアルな男の子だ。リアルだったら落語においてすなわち価値が高いということではないけど、落語の中でリアルな子供なのである。
そして、親子でテクテク歩くシーンが厚め。これは時間的に飴で落とすのかなと思ったらそのとおりだった。
林家正雀「鴻池の犬」
順序変更でクイツキになった林家正雀師。クイツキというか、後半は三人だからヒザ前でもある。正雀師はこのポジションが実に上手い。
この日の主任竜楽師と、ちょっとタイプが似ている師匠。「男の花道」なんて掛けるところも。
実際には高座のスタイル自体はだいぶ違うのだけど、噺に対峙する姿勢はよく似ている。笑いを目的にしていない点も。
寄席でもってこのおふたりの競演を味わえるとは、なかなか贅沢である。
正雀師、干支にちなんで、犬を扱った噺をと。あれ、「元犬」「犬の目」以外に犬の噺あったっけ。
ちなみに、元犬の改作を手掛ける柳家三三師、戌年のこの正月はあちこちで掛けているようである。おかげで私のブログに検索で押し寄せる頻度がすごい。
丁稚が店の戸を開けようとすると開かない。捨て犬三匹を入れた箱が戸を塞いでいたのだ。
あ、「大店の犬」(おおどこのいぬ)だ。そうか、これも犬の噺だ。
上方落語の「鴻池の犬」である。帰りに演目一覧を見たら「鴻池の犬」と書いてあった。まあ、どっちでもよかろうが。
上方では名作だが、東京では正雀師の他にやるのは柳家さん喬師くらいだろうか。
正雀師のものは一度「ようこそ芸賓館」で聴いたことがある。
舞台を完全に東京に移植してしまうのではなく、「鴻池」であることに意味があるので、東京で捨てられていた犬のクロは大阪の鴻池本家に引き取られていく。残りの二匹、シロとブチは捨てられてさまよったあげく、生き残ったシロだけ、大阪のクロを頼って東海道をひとり旅する。
本来もっと長い噺だと思うが、適度に省略してありそう。どこを抜いているのかはわからない見事な編集。
犬に託して人の運命の移ろいやすさを描いた逸品と言えなくもない。抑制の効いた正雀師匠が語るので、そういう生々しさは、聴き手が勝手に想像するところであるが。
どこまでも抑制の効いた正雀師が淡々と語ると、もう、なんともいえずググっときますね。
上方とは違ってサゲは「こーのいけ」というものだが、一緒に声を合わせた客が後ろにいた。
鴻池の犬のサゲを知っているなら、かなり聴き込んでいる客だろうに、どうしてそんな無粋なマネをするのか。どうしてできるのか?
「みんなで声を併せて一緒にサゲを言いましょう」、寄席にそんな風習はありません。
一度、毒舌代表として白酒師に出てもらい、他人が見えていない客にキツいお仕置きをしてもらいたい。
サゲを言ってしまうのはだいたい婆さんである。連れに向かって、みんなが知ってるサゲをこれ見よがしに披露してみせる。だが今日は珍しい噺で、披露したのは爺さんだった。
いずれにしても、これ、笑点の悪影響じゃないだろうか? 木久扇師匠のわかりやすいボケに、客が先にオチを言うというあれ。笑点はそれでいいさ。
円楽党あっての笑点であり、笑点あっての円楽党。そう思うと笑点の悪口を言うのは気が引けるけど。
でも寄席には寄席の空気があるのだ。笑点を視るのと同じようには参加して欲しくない。
それにしても、サゲを言って楽しむ心理だけはわからん。連れの人にすごいと思ってもらった、その20倍、人間としてマイナス評価を背負っている。
ヒザの柳家紫文先生は本当に久々。落語協会の色物さんだが、協会の寄席に最近出ているのかどうか?
脇の仕事が多いらしいが、両国には出るというのは不思議である。
長谷川平蔵ネタを久々に聴けて嬉しい。舞台はすぐそばの両国橋。
ネタの中身を綺麗に忘れてしまっていたのもちょうどいい。
うちの子からすると、柳家小ゑん師の「恨みの碓氷峠」に名前だけ出てくる芸人さんで、本物が聴けて嬉しかったようである。変なところに食いつく奴だね。
三遊亭竜楽「阿武松」
そしてお目当て、竜楽師。今日も黒紋付に、青々とした身綺麗な頭。
そういえば、先月の竜楽師の記事で「黒門付」って書いてしまっていて恥ずかしい。日本語IMEが「黒門」を覚えてしまってるのだ。もう直しました。
一年間聴いた竜楽師、私はすでに大ファンであるが、家内と坊主は初めて。
終わってから感想を聴いたら、家内は「ファンになった。声が本当にすばらしい」とのこと。どうだまいったか。
家内は私に付いて、主に池袋でいい落語を聴いているが、決してディープな落語ファンではない。喬太郎、一之輔、白鳥、百栄といった面白落語の好きな普通のファンの感想である。
竜楽師がちゃんと一般受けする、見事なエンターテイナーであることの証明になっていると思う。
仲入り休憩時に調子こいてトイレに行かず、尿意をこらえてもぞもぞしながら聴いていたバカ息子も、感服したようである。まあ、私も結構、不意の尿意を我慢して聴いていることがある。親子だねえ。
ネタは、昨年一月に亀戸で聴いた「阿武松」。一年間竜楽師を聴き続けたので、そろそろネタもカブる頃だ。
相当の衝撃を受け、たちどころに竜楽ファンになってCD買ったきっかけの演目なので、まったく嫌ではない。
両国寄席は、場所柄相撲の噺がよく掛かる。トリまで相撲が出なかったら、トリの師匠は相撲噺を掛けるという縛りでもあるのだろうか? 先月の両国では兼好師匠が「花筏」をトリで出していた。
まあ、トリネタの相撲噺もそんなに数はないから、たまたまだとは思うけど。それでも、「大安売り」「半分垢」などの軽い相撲噺が出ていなければ、トリの師匠が相撲噺をやりたくなる傾向はあるのかもしれない。
竜楽師のこの日のマクラ。新宿末広亭に呼ばれたが、三丁目の駅から道に迷った話から、翌日から初場所が始まる大相撲のこと。
兼好師と違い、最近の相撲ゴシップでウケは取らない。
昔あったニューヨーク相撲公演のときに、いろいろ相撲用語を英訳する必要があった。大関がチャンピオン、そして横綱がグランドチャンピオン。上手投げがオーバースロー。下手投げがアンダースロー。
横綱は決してサイドロープではないし、大関はワンカップではない。小結はスモールライスボールではない。
噺を語る肚の確立した竜楽師、こんなギャグをちょっと言うと、効果が倍になって帰ってくる。
ウケなくて悩んでいる二ツ目さんや若手真打は見習うべきだと思う。結局、肚ができてなくてギャグが薄っぺらいからウケないのです。
といっても竜楽師、ウケさせる腕は十分お持ちだが、ウケを目的にする師匠ではない。人情噺がすばらしい。
人情噺は難しいと思っている人にこそ、竜楽師でぜひ聴いて欲しい。「人情噺=泣く噺」ではない。魂を揺すぶられるのがよくできた人情噺。
阿武松、二度目なのでいろいろな発見がある。もともと釈ネタだったと思うが、竜楽師の阿武松にも、立て板に水の講談ぽいシーンがある。地の語りがとても気持ちいい。
また、人情噺における笑いの効能というものも改めて考えた。竜楽師の人情噺は、笑いのシーンが大変にスムーズだ。
「お客さんへのサービスで笑いを入れてみました」なんてものではない。要は喜怒哀楽、人間のあらゆる感情が昂っているシーンなら、笑いもまたよく響くのである。
大食いの相撲取りが死を覚悟したときに、客席に笑いがこぼれるのも、また自然なのだ。
見事なトリでフィニッシュ。大満足の両国寄席。
家内も両国が気に入ったらしく、また来たいとのことだ。普段行く池袋とは空気が違い、新鮮なのだと。
私も、珍しい噺が適度に掛かる点がとても楽しい。他派が混じるのもいい。
この日は馬喰町駅から、夕暮れの両国橋を渡っていった。屋形船がくぐり、「ヒミコ」がくぐり、スカイツリーのライトアップがよく見えた。そんなのもオツ。
身投げ屋と長谷川平蔵はいなかった。
顔付けも、落語協会の寄席よりはるかに噺家の互助機能が働いているはずだが、それにしては平均的に上手い人が多い。
ただ、客は圧倒的に池袋がいい。今日も、サゲを言う客、私語を止めない客、変な合いの手を入れる客など、野暮客オンパレード。
これは両国のマイナス点。携帯こそ鳴らなかったが。
円楽党の噺家さんには非常に好感を持っているのだが、そんなことがあり、池袋のようなしっくり感がまだ沸いてこない。
まあ、楽しみたいので、いつまでもぶちぶち腹を立て続けないようにはしたいと思う。
また月の前半、土曜日にいい主任の師匠が顔付けされているときに家族で来たいですね。