昨年から円楽党の本拠地である両国、亀戸にずいぶんと出向くようになった。
都内の寄席は、格の順に上野、浅草、新宿、池袋。
それらと比べ両国は、言葉は悪いが場末である。だが、ここは円楽党だけではない、各派の芸人が集う寄席。
各派と言っても、ある程度レギュラーメンバーになっている師匠が多いけども。それでも、所属団体を超えた、落語界の将来がひっそりとこの地で先取りされているのである。
その円楽党には、私はもっぱら三遊亭竜楽師匠を聴きにいっている。世間の人気よりも業界評価のほうがはるかに高い人だ。
だから芸協の芝居のゲスト枠にはよく呼ばれている。年に一度の国立演芸場、五代目圓楽一門会の千秋楽のトリも務めた。
その次にお目当てにしているのが、三遊亭兼好師匠。この人も、芸協の芝居には呼ばれる。
この師匠はもう、実力だけでなく、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気者である。トリを聴くため、わざわざ円楽党の小規模な寄席に出向かなくても、ホール落語で引っ張りだこのスター。
地方の落語会で、すっかりおなじみだという方も多いのでは。
柳家喬太郎、三遊亭歌武蔵の両師匠とやっている「落語教育委員会」の新メンバーでもある。まあ、鈴本での同会には、落語協会員でないので出してもらえないようだけど。
いずれにしても、私はホール落語にはあまり行かないもので、今年も多分、兼好師を聴くとしたら両国・亀戸になると思う。
TVにはよく呼ばれていて、もともと好きな噺家さんだった。昨年亀戸まで行ってついに聴けたのだ。
その兼好師、東京かわら版1月号の巻頭インタビューを務めている。こちらを読んでなかなか刺激を受けた。今日はそのネタを。
円楽党、噺家として売り出すためには不利だ、と普通思うだろう。私もそう思っていた。
だが兼好師、自分が売れたのは円楽党にいたことが大きいのだという。小さな組織なので、四派で会をやるというとき、自分が呼ばれることが多かったのだと。
ほおーと思うが、実際にはそんなことはないはずである。落語協会と比べれば倍率は低くはなるだろうが、円楽党にだって噺家がいないわけではない。
実際のところ、円楽党の香盤の近い人では、呼ばれるに値しなかったのだろう。呼ばれなかった人が現在下手でつまらないわけでないことは、この目で確認しつつあるけども。
兼好師、謙虚である。
一見、出世のために不利に映りそうな円楽党の、その小さな規模のお陰で世に出ることができたという兼好師。
だが、選抜に値するメンバーがおらず、「円楽党はいいや」と除外されてしまえばもうおしまい。
円楽党あっての兼好師であるのと同様、兼好師あっての円楽党でもあったわけだ。
世間が気づいていないにしても、現在の円楽党の実力はなかなか高いのであるが、そのかさ上げにも間違いなく兼好師、貢献しているはず。
売れてる意識は特にないとも言う兼好師。歩いていて囲まれたりするわけではないので。
本人曰く、毎日寄席に出ている人たちと変わらないのではということだが、毎日寄席に出ているような人は、すでにすごい人である。
そして、自分自身をいかによく理解しているのかうかがわせるのが次の発言「私って、一つ一つのネタをみるとさほど面白いことは言っていない」。
ボクシングでいうと、タイミングよくジャブを出しているだけ、なのだそうだ。
ちょっと衝撃を受けました。
もちろんこのスキル、「だけ」というようなものではない。ジャブがタイミングよく出せるだけでも、落語でメシを食うに十分値することくらい、落語を聴いている人になら誰にでもわかるだろう。
だから兼好師の発言も、謙虚というより誇らしげにも映る。
そしてこの発言により、私も兼好師の魅力について改めて腑に落ちた。
「騙しの達人」「ライトな毒舌の使い手」だとみなしている兼好師だが、意外と、目に見えて図抜けた部分はない気がする。いや、逆にそれだからこそ、謎の魅力が漂っていていつも気になっていたのだけど。
タイミングのいいジャブが繰り返されると、徐々に徐々に利いてくる。気が付くと、見事なクリーンヒット一発に相当するダメージを受けているのだ。
そこにしか突破口がなかったのでジャブ路線に進んだと兼好師。二ツ目時代に、自分の特徴と持ち味をよく理解していたからこそ今の成功があるわけだ。
四派の会などに選抜され、他派のアグレッシブな芸を目の当たりにするうちに見出したのだろう。兼好師曰く「ハードパンチの持ち主」である他派の噺家を。
二ツ目時代に自分の進むべき路線をきちんと見出したというのは、決して簡単なことではない。噺家を職業として考えているからできること。
落語協会や芸協にもたくさん、年功序列で真打になってもまだわかっていない人がざらにいる。高座で迷っているような人もたまには観る。まあ、当然売れていない。
売れっ子兼好師だが、ハードパンチを持ち、ジャブも上手いという先輩噺家がいる中で(・・・いますね)、埋もれていく心配もいつも持っているそうだ。だから、新しいスタイルがあるのではないかとも考えるが、そうするとそれでやってきた人には適わない。
やはり、今までのスタイルを長持ちさせなければならないと。地道にやっていけばそれなりの形になっていくと考えているそうだ。
そうなんでしょうね。70歳を超えた超ベテランの噺家さんになると、スタイルが沁みついていて、なんともいえない感動を覚えることがあるから。
客前で喋る商売そのものもかなりお好きなようだ。ワガママを発散できるのでストレスが溜まらないんだと。
だから弟子にも怒らない。悪いところばっかり似てしまうけども、面と向かっては怒らない。
そもそも好楽一門が怒らない。そして仲がいい。
当ブログでも、噺家さんの師弟関係についてよく書いているが、厳しい師匠から大した弟子が育たないというのは自然法則だと思う。
厳しい師匠は、実は理不尽なやつあたりをしているだけなのだ。怒らない兼好一門、そして好楽一門、ますます発展するだろう。