ラジオ「ネオ上方落語宣言」より(下)

3組目は、「桂紋四郎」「桂華紋」のふたり。
華紋さんは、2019年のNHK新人落語大賞受賞者。紋四郎さんは、「テレワーク落語」(配信)を最も先に始めたパイオニア。
春風亭一之輔師にそのことを取り上げてもらい有頂天だったという。
繁昌亭大賞の「特別賞」をわざわざ作ってもらい、受賞した紋四郎さんだが、これは東京から褒めてもらったおかげだとご本人は言う。
東京の権威で受賞が決まるようなら困るのだが、もちろんそんなことはないだろう。

テレワーク落語のおかげで、「我々、知名度は低いが全国区」だと語る紋四郎さん。落語だけではなく毎朝情報番組を発信したりしているので。
You Tube界隈に起こっていることは、完全に落語界においても起こっている。
そして落語を知らない配信のお客さんが、再開後の繁昌亭にやってきたという。面白いことである。

華紋さんは、You Tubeとラジオの親和性を語る。
だから自分のYou Tubeでは、映像をカットしてラジオにしているんだそうで。テレビよりも、聴き手がずっと能動的になるのだとふたり。
能動的な努力こそ、落語の聴き方に近い。
私もラジオ好きの落語好きなので、よくわかります。

紋四郎さんは、You Tubeでもってそのまま落語で勝負すると、故人の志ん朝と闘わなければならない。それは無理なので、お遊び要素を入れるのだと。
いっぽう華紋さんは、やりかた次第でもっと独自性が得られるのではないかという考え。
配信も一種の生放送だから(たとえアーカイブでも、ということだろう)魅力があるし、あとはカメラワークなどの工夫で勝てる要素があるのではと。
この後も話は、配信を通しとどまることなく拡大していった。配信の収益面(投げ銭)も含め、実によく考えているものだと感服する。
実はこのふたりこそが、上方落語界をすでに率いているのかもしれない。そして日本の落語界全体をも。
いちばん響いたのはYou Tubeで配信している情報番組のくだりである。落語を聴かせようという前に、一部の人に対して、噺家個人を知らしめることに成功しているのだ。

対談の最後は、「笑福亭鉄瓶」「露の紫」のふたり。紫さんも、二葉さんと同様、NHK新人落語大賞に出ていて、しかも常連。
それまでの対談とは角度がかなり違っていた。
紫さんの師匠、露の都は女流落語のパイオニア。
天狗連から入ってきた紫さんが入門して最初に教わったのが、男社会で生き抜く術。「気遣わせたらアカン」。
女性も楽屋で着替えないといけない。だが、男の噺家に「ちょっと出るわ」と言わせたらいけないのだと。
なのでムームーというか、アッパッパというか、そんなものを利用して着替えるのだと。
鉄瓶師も、昔の師匠方なんて現代基準ではセクハラの塊だったのだから大変だったろうと、明確な言葉は使わずにそんな内容を語る。

鉄瓶師は、鶴瓶に入門したが落語をする気がなかったし、実際覚えてもいなかった。惣領弟子・笑瓶をはじめそういう弟子の多い一門。
だが鉄瓶さんの現在の生活を支えているのは落語。このため師匠と落語への感謝を熱く語る鉄瓶師。同業者に偽善だと言われそうだがと断りつつ。
しかしながらと、紫さんを引き合いに出し東京との違いを語る。NHK新人落語大賞の決勝に3回出ても、その特需なんかないやろと。
振られた紫さんが、「ないっすよ」。佐ん吉、雀太、華紋という歴代優勝者もそうなのだと。
うーん。あの賞の権威を認め、歴代優勝者に敬意を払っている私からするとこれはとても残念だ。
鉄瓶師、近畿2府4県のホール落語に呼ばれているのは東京の噺家ばかりだと嘆く。落語ファンが増えて悪いことはないように私は思うが。
東西の気質は仕方ないところもある。関西のお客さんはテレビに出てないと認めないくせに、テレビに出てばかりいると非難するのだと鉄瓶師。
でも本当は関西に限らない。志らくが日頃言ってる不満とパラレルだ。

東京にいる落語ファンの私からすると、ささやかでも上方落語家の活躍を応援したいし、東京公演の際には顔を出したいなと思う。料金が高めなのが難点だが。
鉄瓶師も、東京の真似ではなく違うものを打ち出していかないといけないという考え。そして、同業者の閉鎖性を糾弾する。
「落語とは」なんていちいち言わないで、一度違うこともやってみたらいいじゃないかと。まったくそうですね。
ただ鉄瓶師、ひとつ完全に間違った認識をお持ち。東京では、早朝などでないいい時間帯に、各テレビ局で落語の番組をやってるのだと。
・・・やってねえよ!

さらに繁昌亭の番組の作り方について。昨日取り上げた文鹿師とは違う考えだと鉄瓶師。
アカン奴は、排除しなくていい。出番を決めて出せばいいのだと。寄席をぶち壊さない、軽い出番にしろということだろう。ただし2番目は重要だからダメだと。

現状の上方落語の内幕がわかって楽しい番組であった。
ただ、誰も東京の落語界の本質がわかっていないなと残念に思う。私のような、一介のファンの肌感覚すら、把握していない。
認識が違っていたら比較はできない。
東京の噺家と付き合いがあっても、実のところなにもわからないのだな。鶴光師の語る内容も、体験していないと響かない。

当ブログ、上方落語を扱うとだいたいアクセスが減るのだ。
でも上方についても、今後もずっと注目しています。

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作成者: でっち定吉

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