BS朝日「御法度落語おなじはなし寄席!」から その1「時そば」

TVの落語もなかなか面白いことをやっている。テレ朝はたまに思い出したように落語番組を作りますね。もっとも「落語者」を思い出して調べたら、もう10年前だけど。
東西で「同じ噺」を一緒に掛けてみようという企画。
寄席で同じ噺をするのはご法度。同じ系統でもダメなのに、同じ噺をするなんてという掟破り。

だが続けて聴いてみても、意外と違和感がないものだ。
そもそも、私もこんなことを勝手によくやっていた。ひと頃、当ブログの記事のため、同じ噺を聴き続けていたものだ。
まとめて聴いてみると、元々の東西の違いにとどまらない、個々の演出の違いがよくわかってくる。
TV番組の目的は、東西の違いを浮かび上がらせることにあるのだろうが、東西より個々の演者の違いのほうが大きいことも、ざらにある。
明治の頃は、上方落語がどっと東京に入ってきたが、現在では逆の流れも大きくなっている。東京にしかない噺を、大阪で掛ける人が増えている。
私もそんな上方移入落語を日々ラジオで聴かせてもらい、楽しんでいる。いろいろ聴いた経験のおかげで、西に持っていったことの不自然さは感じない。あとは演者がどうかだけ。

違う人の同じ噺を続けて聴くと、噺の全体像が3Dとして浮かび上がってくるのだ。
この表現は、私が繰り返し批判している人間国宝が自著に書いていたもので、やや気が引けるけど。

さて、この番組、すでに2回放送された。

【第1回】

  • 「時うどん」笑福亭たま
  • 「時そば」柳家さん喬

【第2回】

  • 「長屋の花見」桂文治
  • 「貧乏花見」桂塩鯛

ちなみに、今週土曜に放送の【第3回】

  • 「酢豆腐」古今亭菊之丞
  • 「ちりとてちん」※改作 桂あやめ

ちょっと嫌な予感がしている。
かつて私、ある東京で聴いた改作というか新作落語の「ちりとてちん」をこっぴどく批判したことがあるのだ。
演者の名前は出していないが、わかる人にはわかる。
でもそのちりとてちん、もしかしたらあやめ師匠から来ていた可能性があるなと。
書いた批判の内容が間違っているとは思っていないが、実は自覚なしに改作者への批判を混ぜてしまっていたのでは。
女流パイオニアのひとり、あやめ師ならもちろん、見事な落語に違いない。だが、基本的な内容が一緒だったらどうしよう。
まあ、仕方ないか。
プロの新作落語を、素人が勝手に掛けて、大会に出たりなんかすることもある。その際審査員が、ストーリーそのものを批判することだってある。
作者にとってはもらい事故。
びくびくしながらオンエアを待ちます。

ちなみに、「酢豆腐」と「ちりとてちん」がそもそも同じ噺かというとおおいに疑問があるが。ちりとてちんの東西比較はそれほど面白くないから、仕方ないか。
東京でも、夏になるとちりとてちんばかりで、酢豆腐は少ない。ちりとてちんもいいのだが、粋な酢豆腐をもっと聴きたいものだ。

今後はどんな東西比較をするのだろうか。
「禁酒番屋」は出るとみた。上方の禁酒関所にはだいたい、漏斗で女のしょんべん入れるくだりが入っている。下品でよろしい。
「阿弥陀池」(新聞記事)だと、どうだろう。新聞記事ははるかに軽いからな。
「お菊の皿」(皿屋敷)だと、ほぼ同じ。
「くしゃみ講釈」だと、講釈師の名前が違うぐらいか。東は一龍齋貞能、西は後藤一山。
先日笑福亭松喬師で聴かせていただいた「借家怪談」(お化け長屋)が出て欲しいのだが、ちょっとマイナーですか。

番組の会場、下谷神社では、たまに落語会をやっている。
私は一度だけ、「柳噺研究会」に行った。
さて見事だった第2回を観た後でいうと、第1回に関しては人選を間違えたのではないか。
時うどんを出したたま師を、さん喬師が時そばで完全にねじ伏せてしまった。これでは比較にならないではないか。
たま師はインテリ落語家の代表として、飛ぶ鳥を落とす勢い。NHK日本の話芸にまで登場している。
でもこのオンエアに関していえば、ベテランにぶつかって天狗の鼻をへし折られる、マンガのような造形。
上方在住の落語ファンも、この対決を観てあまりいい気はしなかったのではないか。時うどんを出すなら、もっと他にいただろと。

たま師、「地方に行くと、時うどんを時そば風に替えてやる演出がある」と語る。さすが江戸落語は全国区なんでと。
これ、絶対違うと思うけどな。認識のほうでなくて、時うどんを地方で替えてやっている事実のほう。そんな事実はないと思う。
そもそも普段やってない演出なんて、すぐにできないだろう。時そばのように別々の男が交代で出てくるとなると、すべての演出が変わってしまう。
時そばがよく知られているからこそ、上方の演出をぶつけるというほうが自然だろうに。

私が二松学舎大学落語シンポジウムで林家染左師から聴いたのでは、時そば型時うどんを始めたのは故人の桂吉朝。吉朝は東京での人気が非常に高かった人で、その美学にもうなずけるものがある。
そのタイプの時うどんを教わった人が、たまたま地方で掛けたのに遭遇しただけだと思うがな。たまだけに。

うっすらスベりながら続きます

(追記)

ちょっとお詫びして訂正します。たま師が語っていたのは「地方に行くと時そばスタイルになる」ではなく、「地方公演によく行く人は時そばスタイルに替える」でした。
微妙な違いだが、そのニュアンスは結構違う。

 

作成者: でっち定吉

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