貴乃花親子と六尺棒

日頃から落語を聴いていれば、放蕩の若旦那が勘当され、苦難に遭ったり(そうでもなかったり)というストーリーはもう、おなじみ。
船徳、湯屋番、紙屑屋、干物箱、唐茄子屋政談などなど。唐茄子屋以外はみな呑気で鷹揚な若旦那だ。

もっぱら時代劇と落語の世界の言葉である「勘当」が、ネットニュースに出ていて驚いた。
相撲協会と揉めて飛び出したのもずいぶん昔、今や人間関係しくじりアイコンである貴乃花元親方が、息子の優一について「勘当している」と語ったという。
もちろん世間はいろいろなコメントをつけるのだが、「勘当」自体についての「そんな制度ないよ」というまっとうな意見は見当たらない。
多くの人が同時多発的に「勘当した!」と同じギャグを呟いている。ご愁傷さまです。
私としては、左の人にはちょっと怒って欲しいところなのである。「現行憲法下で勘当なんてできると思ってるのか、時代錯誤の認識にもほどがある」と。
憲法は9条しかないと思っている人、結構多い。

ところで勘当ったって、元親方に一体なにができる?
せいぜいが、将来の遺産相続から排除するぐらい。
もっとも家庭裁判所に相続排除を請求するハードルは著しく高いので、貴乃花が本気だとしても、優一に適用されることはまずあり得ない。
親父のバイク盗んだとか言われているが、そもそも犯罪の立証も困難だし、立証できたとしても親族窃盗は捜査機関に相手にされない可能性が高いし。

落語の若旦那は、人別帳から外されていたり、様子見でそのままにされていたりする。
勘当といっても程度はいろいろで、そのままにされているならちょっとしたお仕置き程度なので、やがて許される可能性が高い。
だから出入りの職人の2階でぶらぶらしているのだ。2階で厄介、併せて十戒の身の上。

勘当は、「家」に基づく制度であるから、現行法上はもちろん存在しない。
家がなくなっても、事実上の「嫁入り」「婿入り」は存在する。勘当もそんなものと、世間は漠然と考えているのだろうか。
さて、無意味な勘当の当事者である元親方としては、マスコミを通じて、優一を兵糧攻めにしたいのだろう。
ここから、「靴職人に専念せよ」という親心を読み取るのは世間の勝手。実際はたぶん違っていて、人生のリセット癖が著しいだけの人だと思うが。
血を分けた息子でも、いなかったことにできる特殊な感性の持ち主。

「優一のお友達ですか。うちにも優一という息子がいましたが、靴の納期を平気で守らず事務所も首になり、You Tubeに手を出してもすぐに投げ出してフラフラしているので、親類一同、いや相談する親類はいないので、私の判断で勘当ということにいたしました。はいお寝みなさい」

つまり六尺棒。
落語と同様、親子の力関係はたちまち逆転するのだ。

「うちにも貴乃花という親父がいましたが、他人の意見は聞かず、常に敵を作って攻撃してばかり。今では仕事もろくにしていないので、親類一同相談のうえ勘当といたしました」
「親を勘当する奴があるか」

六尺棒はともかく、花田優一という男につき、メンタルの強さをあらためて思い知る次第。
なるほど、これこそ正統派の若旦那かもしれないなと。
私は優一など決して好きじゃない。それは世間の大多数と同様。
だが、洗脳されやすいくせに肝心なところで突っ走ってばかりのアホ親父より、よほど社会性が高いなと。これについては心底感心している。
「勘当」というワードが出たからといって、彼にとって別にどうということもなかろう。むしろネタになる。
今後も、このメンタルの強さにより、そこそこ話題は途切れないことだろう。つまり、親父の目論見は完全に外れる。
親を切り、兄を切り、弟子を切り妻に見捨てられた男が勘当を言い出しても、相手にする人は、もういない。
最近、当ブログで孤立芸人をよく取り上げているが、孤立親方も同じである。
息子のほうは、世間でどんなに嫌っても、決して孤立はしないことだろう。第一、愛嬌はある。
靴をろくに作っていないからやがて相手にされなくなると思っている人、思いたい人も多いだろうが、たぶんそうはならない。
今後もフラフラと、若旦那として芸能界を渡っていくのだ。
消える頃になると燃料が投入される。投入する燃料があるというのがすごいのかもしれない。

このフラフラ振りを、無責任に楽しむ視点ぐらいはあってもいいなと思ったのです。

作成者: でっち定吉

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